映画『セールスマン』 - エンタメレストラン -

2017/06/16

エンタメレストラン

Vol.139
セールスマン
Bunkamura ル・シネマほか全国順次ロードショー
http://www.thesalesman.jp
© MEMENTOFILMS PRODUCTION-ASGHAR FARHADI PRODUCTION-ARTE FRANCE CINEMA 2016
【イントロ&ストーリー】
2011年度の『別離』に続き、本年のアカデミー賞で2度目の外国語映画賞を獲得したイランの名匠、アスガー・ファルハディ監督の最新作。ある事件をきっかけに理性をかき乱されていく夫婦の葛藤を軸に、登場人物たちの思惑がスリリングに絡み合う心理サスペンス。トランプ政権によるアメリカへの入国制限命令に対する抗議のため、授賞式へのボイコットを表明したことでも世界の注目を集めた。
★教師エマッド(シャハブ・ホセイニ)と妻ラナ(タラネ・アリドゥスティ)は、小劇団に所属し、俳優としても活動している仲のよい夫婦。ある日、エマッドの留守中に、引っ越して間もない自宅で、ラナが侵入者に襲われてしまう。警察に通報して犯人を捕まえたい夫に対して、妻は事件を表沙汰にしたくない。やがて犯人は前の住人だった女性と関係がある人物だとわかるが、その先には意外な真実が待ち受けていた。
【キャスト&スタッフ】
監督・脚本:アスガー・ファルハディ
出演:シャハブ・ホセイニ、タラネ・アリドゥスティほか
配給:スターサンズ/ドマ

イランの現状を背景に、人の心の暗部をえぐり出す名匠
夫婦の亀裂を決定的にした“恐るべき”パスタとは?

 アカデミー外国語映画賞は例年、80カ国前後の推薦作から5本がノミネートされ、もっとも優秀とされた映画に贈られる。各国代表に選ばれるだけでも大変な栄誉。だが2011年の『別離』で受賞したイランのアスガー・ファルハディ監督は今年、本作『セールスマン』で2度目のオスカーを手にした。この短期間で2度。彼が今どれほど脂の乗った監督かがわかるだろう。

 イランでは、2009年の大統領選で(改革派のムサヴィ候補の優勢が伝えられるなか)アフマディネジャド大統領が再選。投開票の不正操作の疑いから選挙無効を訴える改革派のデモが起こり、多数の逮捕者を出した。多くの映画監督がイラン国内での活動ができなくなり、ヨーロッパやトルコに移住するなかでファルハディ監督は国内に留まり、映画を作り続けている。彼はイランの社会状況を背景にしながら、そこで生きる男女に起きるハプニングをうまく取り入れて、心のすれ違いを浮かび上がらせる名手だ。本作『セールスマン』ではアーサー・ミラーの戯曲「セールスマンの死」が重要な役割を果たし、同じ価値観に留まっていられない夫婦の亀裂を描いてみせる。

 舞台はイランの首都テヘラン。主人公のエマッドは高校の国語教師で、生徒たちの信頼も厚い。友人たちと劇団を運営し、次の上演作「セールスマンの死」で主役のセールスマンを演じることになる。妻を演じるのは、実生活でも妻であるラナだ。そんなある日、思いがけない工事ミスで2人が住むアパートが損壊。夫婦は急きょ、新居を探さなければならないことに。

 劇団員の手引きで住人が出ていったばかりの部屋を紹介されるのだが、腰を落ち着けたばかりの夜、エマッドが仕事から帰宅すると、ラナが部屋に侵入した何者かに襲われて、病院に搬送されたと知る。彼女は入浴中を襲われて頭にケガを負い、記憶もところどころ飛んでいた。翌日、恐怖から独りで家にいたくないと話すラナに対し、エマッドは優しい言葉をかけることができない。なぜ妻は襲われたのか。なぜその夜にかぎって鍵を開けていたのか。誰が襲ったのか。どこまで襲われたのか──。

 まるでシェイクスピアの戯曲「オセロ」の主人公が、貞淑な妻デズデモーナの貞操を疑うように、不毛な妄想が止められなくなるエマッド。ラナは、心が弱っている状況でむしろ厳しく追究されるのだから、たまったものではない。

 そしてある晩、夕食の席で2人の断絶は決定的になる。パスタを作ったラナが、エマッドの机に置いてあった紙幣で食材を購入したことを告げた瞬間、彼は「それは俺の金じゃない、男が置いていった金じゃないか!」とばかり、目の前のパスタを一口も食べずに激高するのだ。

 ファルハディ監督は、細かな伏線を張り巡らせつつ、エマッドだけではなくラナの心情もていねいに積み重ねていく。エマッドの言い分に共感するか、それとも、ラナの対処に理解を示すのか――。犯人像をどう想像し、事件の真相をどう解釈するか、観客によって夫婦の景色がまるで違って見えるところに、この映画のおもしろさがある。そもそも「セールスマンの死」も、妻に真実を話せないセールスマンと夫の事情を知らず言葉を鵜呑みにする妻の、心のすれ違いを描いた戯曲だった。2組の夫婦の心情は、巧みに重ねられている。

 突然理不尽な出来事に襲われたとき、人はどうもがくのか。ファルハディ監督は、まるで絡みつくようにリアルに、登場人物の心情を描いてみせる。果たして2人が平穏な夕食をとれる日はまた来るのか。その結末さえそれぞれの解釈に委ねられ、観客はこの“事件”に関わったすべての人の痛みを背負うしかなくなるのだ。

Text by 金原由佳(映画ジャーナリスト)
「キネマ旬報」「装苑」「ケトル」「母の友」「朝日新聞」など多くの媒体で執筆中。著書に映画における少女性と暴力性について考察した『ブロークン・ガール』(フィルムアート社)がある。取材・構成を担当した『アクターズ・ファイル 妻夫木聡』『アクターズ・ファイル 永瀬正敏』『鈴木亮平 FIRST PHOTO BOOK 鼓動』(すべてキネマ旬報社)、『伝説の映画美術監督たち×種田陽平』(スペースシャワーブックス)が発売中。

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