株式会社 すずや 代表取締役 蟹江 脩礼 氏 - 挑戦者たち -

2016/09/20

地域に愛される店になるために
大切なのは、何より“人”です

株式会社 すずや 代表取締役 蟹江 脩礼

神奈川県川崎市を拠点とし、地域密着型の飲食店を展開する蟹江脩礼氏。居酒屋のアルバイトで飲食業界に入り、そのわずか半年後には独立・開業を果たし、現在、5つの店を構えるまでに成長を遂げた。今日に至るまでのストーリーと今後のビジョンについて話を聞いた。

――飲食業界に入ったきっかけを教えてください。

 小さいころから、「ビッグになりたい」と思っていました。ビッグ=社長というイメージがあり、トップとして企業や団体を率いたいという思いがあったんです。一方で、ものづくりに興味があり、特に肉体労働にあこがれていました。街を歩いているときも、道路工事の現場などを通りかかると立ち止まり、「工事をする人たちって、かっこいいな」と、その姿に思わず見入ってしまうほど。それで、高校時代には建設工事のアルバイトなどで汗を流し、卒業後はガス会社に就職して、配管工事の仕事に就きました。

 そこでしばらく働いた後、父親が経営する機械部品メーカーに転職。いずれは父の後継者に、という話もありましたが、心のなかでは敷かれたレールの上を歩くことに抵抗を感じていました。そんなとき、たまたま居酒屋で働く知人から声をかけられ、その店を手伝うことに。これが飲食業との出合いです。昼は父親の会社、夜は居酒屋のアルバイトと、仕事をかけ持ちする日々が続きましたね。その後、両親の離婚もあって父親の会社を退社。新たに何をしたらいいか考えていたところ、背中を押してくれたのが、料理好きだった母親の「小料理屋をやりたい」という言葉。居酒屋でのアルバイトも半年ほど経った頃、母の実家から近い溝の口駅前に良い物件が見つかり、思い切って「すずや 溝の口本店」をオープンしました。23歳のときです。

――居酒屋で働き始めて、わずか半年後の独立というのが驚きです。

 当時は「大丈夫、なんとかなる!」という根拠のない自信がありましたが、今、振り返ると無謀でした。飲食業の経験は、わずか半年間のアルバイトだけ。ただ食べることが大好きで、いろいろな飲食店に客として足を運んでいましたから、その経験を活かし、自分なりに「いいな」と思った店を手本にして、見よう見まねで自分の店をつくり上げていきました。当時出していたのは、家庭料理を意識したメニュー。幼い頃から家には来客が多く、その人たちを料理でもてなす母の姿を目の当たりにしてきました。そうやって無意識に学んだ“おもてなし”が、飲食業をするうえで役に立ちましたね。

 とはいえ、料理についてはほぼ素人。料理関連の雑誌や書籍を読みあさりながら、料理人のスタッフの技を手本にして、必死に勉強しました。すると、家庭的な雰囲気も好評で、オープン間もなく経営は軌道に乗りました。1年半後には、2店舗目を出さないかという話も舞い込み、溝の口から2駅ほど離れた武蔵中原駅前に、「鈴や 武蔵中原店」を出店。業界経験の豊富なスタッフが集まり、近隣に大手企業の工場が多く、そこの従業員の方々が足を運んでくださったこともあり、新店舗の出だしも順調でした。さらに、倉庫として使っていた空間を宴会用スペースに改装したところ、これが功を奏し、大人数の忘年会や歓送迎会などに重宝され、繁盛店に成長しました。

――順風満帆ですね。その勢いのまま、3店舗目も出店されたのですか?

 武蔵中原店をオープンしたことをきっかけに、本格的に多店舗展開を意識し始め、「30歳になるまでに3店舗を出す!」という目標を立てました。しかし、ここまでとんとん拍子に進みましたが、事業規模を拡大するにつれ、従来と同じやり方では経営が立ちいかなくなるという危機感もありました。店が増え、スタッフの数も増えるほど、店舗運営の方向性や理念の共有が難しくなってきますからね。

 そこで、それまで以上にいろいろな方法で経営に関するノウハウを学びながら、ロジカルな視点でコスト管理や人材育成に取り組みました。自分の考えを整理するため、常にノートを持ち歩き、気付きやアイデアが浮かんだら、すぐさま書き留めるようにもしました。そういったことを続けた結果、現在では、経営理念はもちろん、「すずやの思い6カ条」や20以上から成る「すずやの精神」などを、すべてを明文化しています。その内容を繰り返し確認しつつ、必要に応じてブラッシュアップ。そして、常にスタッフ全員で共有するように努めています。

 そして2005年、当初の目標どおり、30歳になる直前に「すず家 自由が丘店」をオープンしました。この店で東京へ初めて進出することになったのですが、しばらくはなかなか客足が伸びず、苦戦しましたね。

――それまでは順調だったのに、何が苦戦の原因だったのでしょう?

 アッパー層が多い自由が丘という土地柄か、商品やサービスに対して、よりシビアなお客様が多かったからでしょうね。料理の味と質、サービスにこだわってきましたが、まだまだ努力が足りなかったのかもしれません。改善策を打ち出すため、ミーティングを重ねた結果、「お客様への感謝をかたちにするため、上質な料理を提供しつつ、価格以上の価値を感じてもらえるようにしよう」という結論に至りました。こうして生まれたのが、原価度外視のお値打ち日替わり3品です。これを全店で提供したところ、売上がアップ。「すず家 自由が丘店」もオープンから6年目にして、ようやく手応えを得られました。まさに粘り勝ちです。

 この頃から自分たちの身の丈に合った出店を考えるようになりました。「いつまでに何店舗出店」と目標を掲げて突っ走るのではなく、スタッフの成長や会社の資金力などを考慮したうえで、展開を図ろうと方針を改めました。当社が特に注力しているのは、人材の育成です。例えば、調理でいえば、揚げ場、焼き場、刺し場など、いずれの仕事もできるようにならなければいけませんし、全社員が参加するメニュー会議などで、新メニューのアイデアなども募り、成長を促しています。そうして、戦力となるスタッフが十分に育ってから、新たな店舗の出店を検討するという考えに変わりました。

――今後はどのようなビジョンや目標を掲げていますか?

 事業発展のカギは、やはり人材。そのため、定期的に行う社員会議や店長会議では、店舗ごとの利益や諸経費などの数字を詳細に把握してもらい、課題や目標の共有に努めています。また、随時、社員に「意向アンケート」も実施。これは現在、それぞれがどのような価値観を抱き、どんな想いで仕事に向き合っているかを確認する一方、会社の価値観や目指す方向性と食い違いがないか、すり合わせるためのものです。全員一体となり、ブレない店づくりを続けていくためには、こうした取り組みが大切だと考えています。

 目指すのは、地域に貢献し、愛され続ける店。現在、ドミナント戦略を取りながら、川崎で地域密着の店づくりを進めています。売りである新鮮な野菜や魚、選りすぐりの酒を提供できるのは、築き上げてきた人脈があってこそ。信頼関係で結ばれた魚屋や農家、蔵元、酒屋の方々のおかげです。これからも人や地域とのつながりを大切にして、「川崎といえば、すずや」と言われる存在になりたいですね。

蟹江 脩礼 氏
蟹江 脩礼 氏
 
すずや はなれ 溝の口(神奈川・川崎 溝の口)
すずや はなれ 溝の口(神奈川・川崎 溝の口)
http://r.gnavi.co.jp/ghzbm0dw0000/
「地産地消」がコンセプトの和食居酒屋。川崎産の食材と築地直送の魚を使った創作料理が自慢。全国から厳選した日本酒がそろう。
すず家 自由が丘店(東京・自由が丘)
すず家 自由が丘店(東京・自由が丘)
http://r.gnavi.co.jp/a906602/
自由が丘駅から徒歩数分の東京初進出店。鮮魚と朝採れの野菜を使用した創作和食が売り。最大20 名対応の掘りごたつ席もある。
「スタッフ同士の信頼関係を築くことが重要」(蟹江氏)との考えから、バーベキューなどの社内イベントも実施
「スタッフ同士の信頼関係を築くことが重要」(蟹江氏)との考えから、バーベキューなどの社内イベントも実施
蟹江 脩礼 氏
Profile
Nobuyuki Kanie
1975年、東京都世田谷区生まれ。高校卒業後はガス配管工事の仕事に携わり、その後、父親の経営する機械部品メーカーに入社。23歳のときに同社を退職し、1999年に母親、妹と「すずや 溝の口本店」をオープン。現在、神奈川県川崎市を中心に、“地域で愛される店”を展開する。
Company Data
会 社 名
株式会社 すずや
所 在 地
神奈川県川崎市中原区下小田中1-5-9 1F
Company History
1999年
「すずや 溝の口本店」オープン
2001年
「鈴や 武蔵中原店」オープン
2002年
有限会社すずやに法人化
2005年
「すず家 自由が丘店」オープン
2009年
株式会社すずやに社名変更
2010年
武蔵中原に「朝市酒場」オープン
2011年
「朝市酒場」を「Kitchen SUZUYA」にリニューアル
2015年
「すずや はなれ 溝の口」オープン
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