2017/01/30 挑戦者たち

株式会社 ソウルダイニング 代表取締役 守田 真人 氏

現在、生まれ育った藤沢市を中心に店舗を展開する株式会社ソウルダイニングの守田真人氏。湘南エリアで10店舗という目標達成への歩み、そしてアメリカへの出店など、今後のビジョンについて聞いた。

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常に笑顔でまじめにやること。その先に飲食業の喜びがある

料理のおもしろさに魅了され、飲食業界へ。25歳で独立し、現在は生まれ育った大好きな藤沢市を中心に店舗を展開する、株式会社ソウルダイニングの守田真人氏。湘南エリアで10店舗という目標達成に向けた歩み、そして、アメリカへの出店も視野に入れたこれからの目標やビジョンについて聞いた。

――まず、飲食業界に入られたきっかけを教えてください。

高校1年生の時に友人に誘われ、地元・藤沢の焼肉店でアルバイトを始めたのが、飲食業との出合いです。包丁を握ったことすらありませんでしたが、厨房スタッフとして入りました。そこは大きな店だったのですが、すべて店内調理。先輩たちが一から教えてくれ、料理のおもしろさにどんどん引き込まれていきました。

そして、料理人になると決め、高校を中退。実家も出て、その焼肉店の社長の自宅に居候させてもらうことになりました。その当時、店長だった社長の息子さんからは、一般常識をはじめ、社会人として必要なことを教わり、今でも兄のような存在ですね。

そのうち、店の厨房を任され、十数人をまとめる立場に。年上の方も多く、最初は戸惑いましたが、立場が上でも敬意を忘れずに接することで、さらにいろいろなことを学べました。

――その後、25歳のときに藤沢市内に最初の店を出店されましたね。

料理の道に入った時から、独立が頭にあり、18歳の時には「30歳までに店を持つ」と目標を定めました。そんななか、将来のために別のジャンルも勉強したいと考え、24歳の時に焼肉店を退社。東京・新宿の炭火焼がメインの創作和食店に入りました。ここで、刺場、揚場、煮方、焼場など、調理の全ポジションを経験できたのは幸運でした。また、それまでは厨房の中にいたので、お客様と触れ合う機会はほとんどなかったのですが、この店の焼場はカウンターの目の前にあり、お客様とコミュニケーションを取ることも必要となり、これも貴重な経験になりました。

その後、独立のチャンスは突然やってきました。25歳のある日、藤沢時代の社長の息子さんから、「藤沢にいい物件が出たから、見に来ないか」と電話があったのです。ただ、もっと修業を積むつもりでしたし、海外でも働きたいと思っていたので、まだ独立のタイミングではないと考えていました。それでも、とりあえず見に行ったところ、藤沢駅から少し歩いたビルの4階にある、カウンターキッチン付きの物件でした。キッチンに立ってみると店内が見渡せ、そこで調理しながら、カウンターのお客様と会話をする自分の姿がイメージできました。店を出す時は大好きな藤沢でと思っていたこともあり、その場で独立・開業を即決。業態は、藤沢にはないものをと考え、“コリアンダイニング”に決めました。

1980年、神奈川県藤沢市生まれ。高校時代、焼肉店でのアルバイトをきっかけに飲食業界へ。東京・新宿にある和食店での修業を経て、25歳と若くして独立。藤沢に“コリアンダイニング”を出店する。その後、洋食、カフェと業態を広げ、現在は、湘南エリアに全8店舗を展開している。

――目標より5年早い出店ですね。はじめから順調だったのですか?

30歳までに自己資金1000万円を貯めようと、逆算して貯金をしていて、当時使えるお金は500万円ほどありました。居抜き物件だったこともあり、借金なしで出店でき、資金面ではスムーズでした。しかし、調理の経験はあっても、経営に関しての知識はゼロ。本を読むなど独学で勉強しつつ、日々の実務をこなすなかで覚えていきました。同時に販促の重要性も感じ、ぐるなびなどにも加盟。その効果もあって徐々に客足は伸び、売上も順調に推移したので、特に苦労と感じたことはありませんでしたね。

はじめから、湘南エリアに10店舗は出したいと考えていたので、1店舗目の足場を固めてから店舗展開に踏み切りました。2、3店舗目も韓国料理の店でしたが、チェーン化するのは嫌だったので、コンセプトや店名は変えました。どの店も順調でしたが、次に出店した韓国料理の店でつまずいてしまったのです。業態が地域のニーズに合っていなかったことが原因で売上が激減。そこで、思い切って業態転換を図り、初めて洋食の店にチャレンジしました。私自身、洋食の経験がなかったので不安もありましたが、幸い、経験豊富なシェフを迎えることができ、売上は回復しました。この店が、「ビストロ&バル BACCAS」で、これを機に展開する店のジャンルを拡大。次は新宿時代の経験を活かし、炭火で焼く炉端焼の「炉ばた・鮮魚 かげん 辻堂店」を、さらに、「484CAFE」でカフェ業態も出店しました。

――出店する物件や立地に関しては、どのような考えをお持ちですか?

物件については、実際に見て、「ここなら何ができるか」を考えます。そこでアイデアがひらめかない時は契約しませんね。最近ですと2016年11月、辻堂駅前にオープンした「CAFE NOB」もそうです。以前からお話をいただいていたのですが、そのときは具体的にイメージができませんでした。そんななか、アメリカ・ニューヨークのブルックリンに行き、いろいろな店舗を視察したときに、「こういうカフェレストランをあそこでやってみたい」と思い、出店を決めました。

――店舗を展開するうえで重要な人材はどのように育てているのですか?

実は独立する際、スタッフを募集して最初に採用した人間が、現在の私の右腕です。2店舗目を出した時は、彼に最初の店を任せ、僕は次の店に入りました。それ以降は、新店に私が入り、そこで出会った人材を育て、自分は次の店に回るというかたち。今思えば、ずっとよい人材に恵まれていますね。アルバイトとして店に入り、社員になる人が多いのもうれしい限りです。

スタッフが40人くらいまでの時期は、給料明細が入った袋にそれぞれに対するメッセージも添えていました。それを楽しみにしてくれていたスタッフも多かったのですが、店舗が増え、人も多くなると、そこまではできない。でも、みんなで集まる機会は大事にしており、バーベキュー大会や社員旅行などのイベントで、絆を深めるようにしています。また、1年前には新たに経営理念を作りました。以前に作ったものがあったのですが、よりわかりやすく、「挑戦から未来を切り拓く」というシンプルなものに変えたのです。

スタッフの絆を大切にする守田氏。毎年、社員旅行や夏のバーベキュー大会なども開催し、親睦を図っている

――今後の展開や目標について教えてください。

現在、藤沢市内に6店舗、そのほか、茅ヶ崎と戸塚にそれぞれ1店舗あり、目標の湘南エリア10店舗まであと2店舗。それを達成した後は、横浜に出店したいですね。特に、飲食の激戦区である横浜駅エリアで勝負したい。その後、東京都内への進出は今のところ考えていません。それよりも海外、できればアメリカで店を展開したいですね。

また、そういった将来の目標などを踏まえ、会社としてさらに本部機能を強化する必要性を感じて、組織づくりにも着手したところです。

私の願いは、社員が幸せになること。そして、独立したいという人は、積極的に支援したい。実際、独立した社員に業務委託している店もあります。

飲食業界に入って約20年。お客様が目の前でおいしいものを食べ、店の雰囲気を楽しみ、喜んでくださることがこの仕事の最大の魅力。そして、人の成長もうれしい。その醍醐味をより多くの人に味わってほしいですね。もちろん、苦しいこともありますが、そこを乗り越えたときに喜びがある。そのためには常に笑顔で、まじめに商売をすることが大事だと思っています。

コリアンダイニングSEOUL GATE藤沢(神奈川・藤沢)
http://r.gnavi.co.jp/b323700/
おしゃれな店内で、和テイストを取り入れた韓国料理を味わえる人気店。掘りごたつやテーブル席などがあり、大小の宴会に対応する。
CAFE NOB(カフェノブ)(神奈川・辻堂)
http://r.gnavi.co.jp/d4ba69es0000/
2016年11月、JR 辻堂駅前の商業施設内にオープンしたカフェレストラン。NOB は「ナチュラル・オーガニック・ビューティー」の略。

Company Data

会社名
株式会社 ソウルダイニング

所在地
神奈川県藤沢市藤沢484-4F

Company History

2006年 「コリアンダイニング SEOUL GATE 藤沢」オープン
2010年 「韓国料理サラン」オープン
2012年 「豚まる」「韓国料理とサムギョプサル サム家」オープン
2013年 「ビストロ&バル BACCAS」オープン
2014年 「炉ばた・鮮魚 かげん辻堂店」オープン
2015年 「484 CAFE(ヨンハチヨンカフェ)」オープン
2016年 「CAFE NOB」オープン

※本記事の情報は記事作成時点のものであり、情報の正確性を保証するものではございません。最新の情報はご自身でご確認ください。

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