2017/05/30 挑戦者たち

株式会社 炭焼笑店 陽 代表取締役 行友 裕二 氏

大阪の裏通りで実績を重ねてきた「炭焼笑店 陽」は今年3月、自社初となる目抜き通りに進出。新たな局面を迎えた代表取締役の行友裕二氏に、これまでの歩み、そして、今後の戦略や課題について聞いた。

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飲食店は街の起爆剤になる。力を付け、さらに挑戦したい

大阪の裏通りで実績を重ねてきた「炭焼笑店 陽」。代表取締役の行友裕二氏の鋭い嗅覚は、ブーム前夜のエリアの匂いをいち早くかぎ取り、タイミングよく出店、軌道に乗せてきた。今年3月には自社初となる目抜き通りに進出。新たな局面を迎えた行友氏に、これまでの歩み、そして、今後の戦略や課題について聞いた。

――服飾系の専門学校を卒業後、飲食業界へ。そのきっかけは?

香川県で生まれ育ち、高校卒業後、大阪のアパレルの専門学校へ。その頃、アルバイトとしてパスタ専門店やチェーンの居酒屋で働き始めました。おもしろい先輩に囲まれ、仕事が終わるとミナミへ遊びに連れて行ってもらいました。そんななかで飲食店ほど楽しい場所はないと思うようになり、飲食業界に就職しようと決めました。

専門学校を卒業した後、大阪の和食店に正社員として入社。しかし、将来は独立すると決めていたので、いろんな業態で経験を積んだ方がためになると考え、雇用形態をアルバイトに変えてもらいました。それからは、寝る間を惜しんで洋食店や焼鳥店などでバイト三昧。常に3店舗くらいをかけ持ちして様々なジャンルの料理を学びながら、開業資金を貯めました。20代半ばまで続いたバイト生活の後半1~2年は、冬になると飲食店の仕事を休み、灯油の巡回販売に専念。回っている地域の人たちに気に入られ、歩合制で相当売上をあげたので、資金も700万円くらい貯まりましたね。

資金も貯まり、そろそろ独立をと考えていた頃、北堀江の物件に出合いました。駅から少し離れた、公園が近くにある住宅街の一角。当時、京橋駅から徒歩15分くらいの場所に焼鳥の人気店があり、その店のように駅から離れた場所で繁盛する格好良さに憧れ、26歳で「炭焼笑店 陽 北堀江」をオープンしました。業態を炭焼にしたのは、炭で焼く“アナログ感”が好きだったのと、焼鳥店で働いていたときに、素材や焼き方でいくらでも変化をつけられるおもしろさに魅了されたから。店名には、炭火の温かいイメージが伝わるように「陽」という字を入れ、また、笑顔が溢れる場所にしたいという想いから、「笑店」としました。

――1号店から順調だったとか。以降の出店の経緯を教えてください。

「炭焼笑店 陽 北堀江」は2006年4月にオープン。当時のスタッフは、私以外に社員2名とアルバイト1名。まだSNSなども普及していなかったので、店のファンを増やすには、とにかく来てくれたお客様に満足してもらうしかないと、積極的にコミュニケーションを取りながら、“接近戦”の接客で勝負しました。専門学校時代から、いずれ飲食で独立すると周囲に宣言していたので、仲間もたくさん来てくれ、その仲間がまた友人を連れて来てくれるなど、客足も順調に伸びました。オープンした年の11月に一度だけ売上が落ちましたが、今振り返ってもピンチはこのときだけ。以降は売上も順調で、開店3年目には予約が取れない状況になりました。ただ、業績が好調な一方、人材の面では十分なマネジメントができず、スタッフが辞めてしまうなど、苦い経験もしました。

それでも、店には勢いがあったので、2店舗目を出しても繁盛するという自信がありました。次はよく遊んでいたミナミの難波に店を作ろうと物件を探すなかで、出合ったのが路地裏の物件。初めて見たとき、「ここは絶対流行る!」と直感が働き、2010年12月に「炭焼笑店 陽 難波」をオープンしました。ラッキーなことにその後、この路地裏には次々に人気店が登場し、オープンからおよそ1年半後には、“裏なんば”と呼ばれる集客力の高いエリアに成長。売上も当初の1.5倍にアップし、その勢いに乗るかたちで2012年9月、今度はキタに「炭焼笑店 陽 天満」をオープンしました。

その後、2015年3月に4号店「炭焼笑店 陽 お初天神裏参道」を出したのは、難波店の実績が評価され、飲食横丁「お初天神裏参道」をつくる際に声がかかったから。ここでも“裏なんば”同様のムーブメントが起こり、2度にわたって飲食店が街を活性化するという貴重な体験ができました。

1979年、香川県三豊市生まれ。ファッションデザイナーを目指し、大阪の専門学校へ進学。在学中のアルバイトを契機に、10代で飲食業での独立を決意。複数のアルバイトで資金を貯め、26歳で独立。現在、「炭焼笑店 陽」をはじめ、全6店舗を展開する。

――沖縄料理の店や立ち飲み業態を始めたのは、なぜですか?

沖縄料理には、もともと個人的に興味を持っていました。そんななか、「沖縄SOUL FOOD じゃむ」をオープンしたのは、沖縄出身で、有名な沖縄料理店で働いていたスタッフが入社してくれたから。新たな業態として取り組んでわかったことは、沖縄料理は「陽」ブランドに比べ、食材の原価が抑えられるということ。野菜もたくさん使ってヘルシーなので、時代のニーズにもマッチしていると思います。今後も沖縄料理業態は大事に育てていき、店舗展開も視野に入れています。

そして、今年3月にオープンした「炭焼笑店 陽 難波アムザ店」では、初めて「立ち飲み」にチャレンジ。これまでの店とは違い、ミナミの目抜き通り、千日前通沿いにある商業ビルの1、2階という超1等地です。ここでは「陽」ブランドを活かしつつ、もっと気軽に来店できる“和バル”をイメージして、1階を立ち飲みにしました。ビルの上階には温泉・サウナ施設があり、そこへ行く人たちの立ち寄りスポットにもなればと考えています。

オープン当初は、主なターゲットを中高年の男性に想定していましたが、実際に営業してみると30~40代が中心で、若い人、特に女性も多い。それならいっそ、新しい世代の大衆酒場を目指そうと、テラス席を設け、11時半~17時はハイボールを一杯90円で提供。“昼飲み”をどんどんアピールして、集客につなげようと考えています。

――店舗が増えるなかで、人材についてはどのように考えていますか。

人材に関しては、開業当初からの課題。これは今も変わっていません。そのため、3号店をオープンした頃からは、外部の会社に依頼してサービスや接客のセミナーなどを開いてもらっています。調理に関しては、定期的に「料理勉強会」を開催してスキルアップを図り、最終的な成長の度合いは、私自身が実際に食べて判断しています。また、当社のこだわりの1つである器に対しても理解が深まるように、みんなで窯元へ出向き、自分たちで器を焼く機会も作っています。社員にはこれからどんどん店を任せていきたい。将来的には社内独立制度を導入し、1店舗1オーナー制にして、さらに組織を強くしていきたいと考えています。

毎年1月10日は、社員みんなと“えべっさん”こと大阪の今宮戎神社へ。1年の商売繁盛を祈願している

――着実に成長してきましたが、今後の目標や夢を教えてください。

路地裏と目抜き通り、両方での出店を経験してわかったことは、いくらエリアの魅力で人を呼べても、結局は自分の店に集客力がなければ続かないということ。ですから、「陽」はさらにブラッシュアップを重ね、これからも発展させていきたいですすね。

今回初めて出した立ち飲みについても、とても可能性を感じているので、人材を育てながら沖縄料理業態と合わせて店舗数を増やしていく方向です。具体的な出店計画は立てていませんが、自分自身がおもしろいと思えるエリアでチャレンジしてみたい。「陽」であれば、例えば東京の新橋あたりにも合うのでは、などとイメージを膨らませています。また夢としては、国内にとどまらず、アジアなどの海外にもいつか進出してみたいですね。

炭焼笑店 陽 北堀江(大阪・北堀江)
https://r.gnavi.co.jp/du2xyhph0000/

朝5時まで営業する古民家風の店内は、カウンターを中心に25席。備長炭で焼き上げる焼鳥が売りで、予約の取れない人気店。
炭焼笑店 陽 難波アムザ店(大阪・難波)
https://r.gnavi.co.jp/32w1a2t10000/

“和バル”をコンセプトに、ちょい飲みに対応。昼飲み客を誘う16時までの限定コース「昼の宴会コース」(2,980円)も人気。

Company Data

会社名
株式会社 炭焼笑店 陽

所在地
大阪市西区北堀江2-16-14 メルチェ北堀江1F

Company History

2006年 「炭焼笑店 陽北堀江」オープン
2010年 「炭焼笑店 陽 難波」オープン
2012年 「炭焼笑店 陽 天満」オープン
2015年 「沖縄SOUL FOODじゃむ お初天神裏参道」オープン
2017年 「炭焼笑店 陽 難波アムザ店」オープン

※本記事の情報は記事作成時点のものであり、情報の正確性を保証するものではございません。最新の情報はご自身でご確認ください。

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