株式会社 Omnibus 代表取締役 新澤 聖樹 氏 - 挑戦者たち -

2017/09/22

若い人たちの挑戦を後押しして、
飲食業を憧れの職業にしたい

株式会社 Omnibus 代表取締役 新澤 聖樹

横浜の上大岡と野毛を中心に15店舗を展開する、株式会社Omnibusの代表、新澤聖樹氏。ホテルの中華料理店からキャリアをスタートし、派遣調理師としても研鑽を積んだ経歴の持ち主だ。最近では地域の飲食店や異業種ともコラボした「横丁」の運営でも大きな注目を集めている。これまでの道のりや、情熱の源泉を聞いた。

――高校を卒業して調理師専門学校へ。当時から料理が得意だったのですか?

 まったくその逆で、包丁もまともに使えませんでした。生まれ育った横浜を離れて入学した大阪の辻調理師専門学校では、初めての調理実習でいきなり手を切り、同期約2000人の中で第1号の保健室利用者になってしまったほど。「手に職をつけたい」と漠然と考え、選んだ進学先でしたが、本気で努力しなければまずいと痛感。それからは、遊ぶお金も暇もまったくない過酷な日々でした。1年後、各ジャンルの調理の基本的な技術を身に付けて卒業。そして横浜に戻り、JR磯子駅前にあった横浜プリンスホテルの、中華レストランに就職しました。

 そこでは、新人は誰よりも早く出勤し、準備や片付けを完璧に済ませておかないと、何も教えてもらえません。2年働き、徐々に下ごしらえや調理補助などもやらせてもらえましたが、厨房の規模が大きく、自分の切った食材がどの料理に使われるのかもよくわからない。そんななかで、「お客様の口に入るまでを見届けられる場所で働きたい」という思いが募り、退職しました。

――その後、「派遣調理師」という仕事も経験されたとか。異色の経歴ですね。

 ホテルを辞めた後、「飲食以外の別の道もあるのでは?」と迷いが生じ、まったく違う業種も経験しました。でも、結果的に自分には飲食しかないと気付き、それで調理師派遣会社に登録したのです。あのとき一周回って飲食業を選んだことで、これでやっていくんだと、腹が決まった気がします。

 派遣先はジャンルも業態も様々で、それまで中華料理の経験しかなかったため、派遣された店のシェフから「アクアパッツァ作って」と言われて、どんな料理かすらわからないことも。正直にそう伝えると、あきれながらもほとんどのシェフが惜しみなく教えてくれました。加えて、自分でも本を読むなどして、いろいろな料理の知識や技術を覚えていきました。

 その後、地元の横浜・上大岡の居酒屋で働きながら飲食店経営のイロハを学び、25歳のとき、母が上大岡で経営していたスナックの深夜帯を間借りして、「夜食バー 残波」をオープン。飲食店で働く人たちが仕事終わりに通ってくれるようになりました。やがて彼らから、「本腰を入れて自分の店を構えなよ」と背中を押され、27歳で独立1号店の「房’z」を上大岡に出しました。

――その後も、上大岡エリアに集中して店舗を展開してきた理由は?

 まず、地元の上大岡を盛り上げたいという想いからです。出店に際して意識してきたのは、「上大岡で一番」や、「上大岡で唯一」であること。それを軸に業態を開発し、エリア唯一となるオイスターバー「貝 shine 」やマンションの一室を丸ごと改装した「&家」などをオープンしました。またエリアを絞ることで、ばらばらの地域で出店するよりも目立ち、注目されやすいというメリットもあります。

 現在、社内独立の店舗も含めて、上大岡、野毛(日ノ出町)、弘明寺と京急沿線に出店を固めていて、沿線に新たな人の流れや活気を生みたいと考えています。実はこれまで、「物件を探そう」と、自ら動いたことはほとんどなく、基本は“待ち”の姿勢。「こんな物件が出たよ」と周りから声がかかれば、そうした機会に備えて増やしておいた引き出しの一つを開け、新たな業態を始動させるイメージですね。

――これまでの歩みは順調な印象ですが振り返って停滞期はありましたか?

 店舗が4~5店に増えた頃ですね。自分の熱意や想いだけで突き進める規模を超え、店ごとの熱量にばらつきが生じました。スタッフの教育体制も整わず、一人ひとりのスキル不足を人数で補う状況に陥り、売上も低迷。そのとき立ち返ったのが、社名の「オムニバス」に込めた初心です。この言葉は乗り物の「バス」の語源でもあり、個性豊かなスタッフを乗せて幸せに向かって走りながら、大勢のお客様に満足を届け、地域もより豊かにしていける会社でありたいという願いを込めています。あらためて、「どんなバスならスタッフは乗りたいだろうか」と考え、見つけた答えは「楽しいことに向かって走るバス」でした。たとえ日々の仕事で辛いことがあっても、みんなで目指している目的地は、楽しい場所なんだと実感してもらいたい。そこで、スタッフ同士が楽しむ時間を作るようにしました。例えば2カ月に1度、全店舗が通常より早めに営業を終え、各店で用意したまかないを一つの店に持ち寄り、飲んで語らう機会を設けています。そこでのルールは「仕事の話はNG!」。自由参加ですがスタッフの出席率は高く、仲間意識を高めるよい機会にもなっています。また、正月には常連のお客様や上大岡の知人・友人も加えて開催するサッカー大会が、恒例行事になっています。

――今年、上大岡と野毛に「横丁」をオープンした経緯を教えてください。

 上大岡の飲み仲間の輪が徐々に広がり、2年ほど前から、不動産業や美容師、プロパンガス会社など異業種の10人が定期的に集まるように。そんななかで、一緒に街を盛り上げていこうという話になりました。飲食業の自分にできることは何か考え、浮かんだのが「横丁」を作り、人を呼び込むことでした。飲食店同士でお客様を奪い合うより、近隣の複数の店を楽しく巡れるような環境を作る方が、結局は自店にもメリットが大きく、街全体を活性化することにもつながると考えたのです。上大岡に「行きたい・住みたい・働きたい」と思う人を1人でも増やすことを目指し、今年4月に経営の異なる全8店舗で「上大岡燦々横丁」をオープン。地域への貢献も考えて、災害時にはプロパンガスを使って電気の供給や食料の炊き出しを行える設備も整えました。

 さらに、今年5月に野毛に出店した「新鮮野菜肉巻串×酒場る 煙巻」でも、同じビルに入居するほかの5店舗の経営者と連携。ビル内を自由に“たて飲み”ではしご酒できる横丁として発信していくことを決め、6月に「野毛たてのみ横丁」として、オープンを果たしました。

――現在、力を入れていることや今後の目標について教えてください。

 これまで、店の内装はほぼすべて自分たちで手がけてきました。最近は、ほかの店から内装を依頼されることもあり、今期中に「内装部門」を社内に新設する予定です。いずれは、メニュー開発なども含めたプロデュース全般も請け負いたいと考えています。店舗数の目標は掲げず、それよりも、自分の熱量が届く範囲を大切にしたい。社内で人材育成を担う“教育大臣”を3人任命し、想いを共有しながら人を育てられる仕組みづくりを進めています。

 並行してこれまで通り、社内独立を後押しし、オムニバス出身者を増やしたいですね。成功事例を多く作ることでグループの力も高まり、業界の活性化にもつながるはず。飲食を、みんなが憧れる職業にしたいという強い想いが原動力になっています。

新澤 聖樹 氏
新澤 聖樹 氏
房’z(神奈川・上大岡)
房’z(神奈川・上大岡)
https://r.gnavi.co.jp/a774800/
神奈川・三浦半島で獲れた季節の鮮魚をはじめ、地の魚、野菜、鶏などの素材にひと手間を加えた創作料理が自慢。朝5:30まで営業。
 
新鮮野菜肉巻串×酒場る 煙巻(神奈川・桜木町)
新鮮野菜肉巻串×酒場る 煙巻(神奈川・桜木町)
https://r.gnavi.co.jp/ahx04xrd0000/
新鮮な野菜を豚肉やベーコンで巻き、備長炭で焼き上げた巻串が人気。内装を手作りした店内には、少人数用や団体用の個室も完備。
キッチンカーで出店した祭りでの一コマ。派遣調理師として多くの現場を踏んだ経験も、今に生きている
キッチンカーで出店した祭りでの一コマ。派遣調理師として多くの現場を踏んだ経験も、今に生きている
新澤 聖樹 氏
Profile
Kiyoki Nizawa
1976年、神奈川県横浜市生まれ。高校卒業後に調理師専門学校に進み、横浜プリンスホテル(現在は閉館)に入社。2年後に退職し、派遣調理師としての勤務や夜食バーの経営を経て、2003年に「房’z」をオープン。現在、15店舗を展開し、地域を盛り上げる活動にも力を注ぐ。
Company Data
会 社 名
株式会社 Omnibus
所 在 地
神奈川県横浜市港南区上大岡西1-19-1 千草ビル501
Company History
2003年
上大岡に1号店「房’z」オープン
2007年
株式会社Omnibusを設立
2013年
上大岡に「&家」オープン
2015年
上大岡に「貝 shine」「庵蔵 立ち喰い蕎麦バル」オープン
2016年
「野毛焼きそばセンター まるき 野毛本店」オープン
2017年
上大岡燦々横丁内「ギョーザと焼きそばまるき」、野毛たてのみ横丁内「新鮮野菜肉巻串×酒場る 煙巻」オープン
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