アイエムエムフードサービス株式会社 代表取締役社長 河村 征治 氏 - 挑戦者たち -

2018/04/25

インターナショナルな視点で
店の価値を高めていきたい

アイエムエムフードサービス株式会社 代表取締役社長 河村 征治

起業の夢を叶えるために選んだ飲食業界。アイエムエムフードサービス株式会社の河村征治氏は、料理人から経営者となり、現在、直営21店舗を持つ会社に成長させるも創業時のブランドを失うなど、手痛い失敗も経験。その経験を糧にした多様な業態開発とは?そして、今後見据えるものとは?

――フランスで修業をしたと聞きました。飲食業を志した経緯を教えてください。

 高校生の時、起業して自分で店をやりたいと思ったのがきっかけです。業種にこだわりはなかった。飲食業に決めたのは、お客さんと接する時間が長く、その中で、料理やサービスで差別化しやすいと考えたからです。飲食店と決めたからには、どこよりもおいしい料理を出したい。そのときの私にとって、いちばんおいしい料理と言えばフランス料理。そこで、まず本場のフレンチを知りたいと思い、フランスへ行き、約2カ月間、食べ歩きました。滞在中、人を介して、修業中だった下村浩司さん(現・「エディション・コウジシモムラ」オーナーシェフ)にお会いできたのですが、下村さんは「日本で修業するなら、このうちのどこかに行くといいよ」と、東京のフランス料理店を数店、リストにしてくれました。

 帰国後、リストにあった店すべてで食事をし、そのうちの1店を修業先にしようと決めました。そして、何とか採用してもらったのが、「北島亭」(東京・四谷)です。ここで、フランス料理を一から学び、その後、「カーエム」(東京・恵比寿)、「七條(しちじょう)」(東京・神田)などを経て、再びヨーロッパへ渡りました。各国を周るなかで、フランス・アルザス地方のストラスブールにある店がとても気に入り、何とか厨房に入り込んで、雇ってもらいました。この店を含めて数店で働いた後に、帰国しました。

――帰国後はアイスクリームの販売や商社の商品開発もされていたとか?

 帰国後は、近い将来独立する資金を稼ぐため、どこかの店で働くつもりでした。本場で経験を積み、自信もあったので、料理長の職を探したのですが、なかなか見つかりません。そこで一度、料理の世界から距離を置き、仲間4人でチームを組み、東京の表参道や代官山でアイスクリームの移動販売を始めました。高級店のアイスクリームを再現して、徐々に味を評価してもらい、都内のカフェなどへも卸すように。そのなかで人脈を広げることもできましたが、経営は成り立たず、チームは解散。仲間の1人が地元へ帰るのを見送る時、事業を継続できなかったことを後悔し、おいしいものを作るだけでなく、経営者はまず、経営を成り立たせることが大事なんだと痛感しました。

 その頃、私自身も別にアルバイトをしなければならず、たまたま知り合った人の縁で、大手商社の商品開発コンサルティングを業務委託で請け負うことに。さらにそれと並行して、株式会社グローバルダイニングでシェフパティシエとして働いていました。そして、全11ブースある沖縄でのフードコート出店に携わることになった2005年、正社員として入社。料理長として商品開発を担い、プロジェクトを成功に導いたことが評価され、「ラ・ボエム」ブランドの責任者に。その後も実績を積み、専務取締役副社長に就任。マカオやアメリカの事業を任されました。

 その後、起業するため2011年に退社して地元の金沢に戻り、同年6月にアイエムエムフードサービス株式会社を設立。ハンバーガーの「ワンダフル県庁前店」を10月にオープンしました。

――なぜ、フランス料理店ではなく、1店舗目をハンバーガー業態に?

 もともと、専門店での独立を考えていました。ハンバーガーにしたのは、日常食をやりたかったから。当時はデフレの真っ只中で、景気回復へ先が見えない状況。そんななか、フルサービス業態で開業するのは難しいと判断しました。ただ、そんな時代だからこそ、中心価格帯を300円程度に抑えた、毎日食べられるハンバーガーであれば需要があると考えたのです。オープンしてすぐは、1日に600~700人が来店する盛況ぶりでした。当初から多店舗展開を狙って開発した業態だったので、翌月には2号店を片町に出店。その後、立て続けに5店舗を出しました。しかし、1号店のオープンから半年後には、売上に陰りが見え始め、とうとう危険水域に。2012年の11月にはそのうちの2店舗をイタリアンの「ピッツェリア サンカルロ」と「ボッコンチーノ」に業態変更しましたが、「ボッコンチーノ」はわずか4カ月で閉店するなど、苦しい状況に陥りました。

 一方、2013年3月にJR金沢駅の中に1年限定でオープンした「ワンダフルコーヒースタンド 金沢駅前店」は好調でした。その経験から、飲食店にとって立地がいかに大事かをあらためて実感。出店する場所を選ぶ目を持ち、そこに合った業態を開発し、落とし込めばうまくいくと身を持って感じました。そのため、以後は必ず物件を見に行き、そこにどんな人がいるかだけでなく、どんな様子で歩いているかなど、徹底的に調査するようになりました。

 また、「ワンダフル」の失敗から、業態開発はあらかじめ作り上げたパッケージにこだわるのではなく、立地や物件に応じて変えていくよう、方向転換したのも大きかったですね。

――具体的にどのように業態開発を?また、通販にも力を入れていますね。

 例えば2014年5月、金沢にオープンした「オリーブオイルキッチン」では、イタリア料理とスペイン料理の両方の要素を取り入れた地中海料理を提供しています。オリーブオイルをおいしく食べることがコンセプトです。この業態は、スペインで修業した料理人をコンサルタントとして招き、そこから上がってきたものを一部取り入れて開発しました。ほかの業態も、江戸前寿司なら江戸前の寿司職人というように、外部からその道のプロを招き、スポット的に依頼しています。彼らが考えたメニューをどう組み立てるかに当社のセンスが問われ、そこにこそ強みがあると考えています。

 通販事業では、「ワンダフル」で販売していた冷凍ピザにリピーターが付いていたので、2013年に冷凍ピザの通販サイト「森山ナポリ」をオープン。自社ドメインだけで3万人の会員を確保しています。通販は幅広い層にアプローチでき、味へのこだわりを追求し、それを説明することができる。職人が手作りして味にこだわっていることも、支持を得られている理由だと思います。

――今後の出店戦略など、どのようなビジョンを描いていますか?

 これまで金沢をはじめ、北陸を中心に展開してきましたが、2018年からは本格的に東京へも進出していきます。9月に渋谷、11月には丸の内に出店予定で、丸の内の店はロンドンの著名なレストランターとコラボ。大箱のチャイニーズレストランで、インバウンドの集客も視野に入れています。今後は、インターナショナルな目線に立った業態開発に力を入れていく予定です。

 さらに、レモネード専門店「レモネード by レモニカ」は今後、FCでどんどん展開していきます。約2年自社で育て、きっちりとしたフランチャイズパッケージを作ってから、戦略的にFC展開を進めており、3月の下北沢店のオープンを皮切りに、今年度中には15店舗に達する見込みです。これからも、印象に残る店づくりをして、ブランド力を高めていきたいですね。

河村 征治 氏
河村 征治 氏
レモネード by レモニカ 金沢1号店(石川・金沢)
レモネード by レモニカ 金沢1号店(石川・金沢)
http://www.lemonade-by-lemonica.com/
独自の製法により、非加熱でフレッシュレモンからエキスを抽出して仕上げるレモネード専門店。FC展開も始まり、全国出店の勢いだ。
 
金沢回転寿司 輝らり(石川・金沢)
金沢回転寿司 輝らり(石川・金沢)
https://r.gnavi.co.jp/sap7scn40000/
金沢駅金沢港口から徒歩1分。北陸の各漁港で水揚げされた白海老、ガス海老、のどぐろなど、新鮮な魚介を手軽な価格で楽しめる。
最初の店舗である「ワンダフル 県庁前店」オープン時の写真。失敗もありながら着実に会社として成長してきた
最初の店舗である「ワンダフル 県庁前店」オープン時の写真。失敗もありながら着実に会社として成長してきた
河村 征治 氏
Profile
Seiji Kawamura
1977 年、石川・金沢出身。高校時代に飲食業での起業を志し、フレンチの料理人として腕を磨くため、「北島亭」(東京・四谷)などで修業。その後、ヨーロッパへ渡り、フランスで働く。帰国後、商社の商品開発コンサルティングなどを経て、2011年に開業。現在、直営21店舗を経営する。
Company Data
会 社 名
アイエムエムフードサービス株式会社
所 在 地
石川県金沢市森山1-2-1
Company History
2011年
アイエムエムフードサービス株式会社設立。「ワンダフル 県庁前店」オープン
2013年
「ワンダフルコーヒースタンド 金沢駅前店」、ECサイト「森山ナポリ」オープン
2014年
「オリーブオイルキッチン」オープン
2015年
初の和業態「七十二」オープン
2017年
「金沢回転寿司 輝らり」「オリーブオイルキッチン 銀座店」オープン
2018年
東京・渋谷、丸の内などで出店予定

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