2012/02/21 Top Interview

株式会社きちり 代表取締役社長 平川昌紀氏

株式会社タニタと提携し、今年1月「丸の内タニタ食堂」をオープンして大きな注目を集める株式会社きちり。その背景には業態開発だけでなく、システムの構築を目指すという創業以来の理念が息づく。

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既成の枠組みを超え、新たな外食ビジネスを創造する

体重計などの計量器の製造・販売で知られる株式会社タニタと提携し、今年1月「丸の内タニタ食堂」をオープンして大きな注目を集める株式会社きちり。その背景には業態開発だけでなく、システムの構築を目指すという創業以来の理念が息づく。同社が一貫して追い求める方向性と未来像とは。代表取締役社長の平川昌紀氏に語っていただいた。
株式会社きちり 代表取締役社長平川昌紀 氏Masanori Hirakawa1969年大阪府生まれ。甲南大学卒業後、リゾート開発会社に入社しトップセールスを獲得。1997年11月、個人にて飲食店の経営をスタート(モスバーガーFC)。1998年、29歳のときに有限会社吉利を設立。2000年に株式会社へ改組し、代表取締役社長に就任。現在に至る。

創業以来の理念を追求。外食産業の新スタンダードを

1月11日、東京・丸の内にオープンした「丸の内タニタ食堂」は、2012年の年初を飾るトピックの一つだった。同店は、累計400万部超という大ベストセラーのレシピ本「体脂肪計タニタの社員食堂」でも知られる株式会社タニタと、平川昌紀氏が率いる株式会社きちりが業務提携し、同レシピ本のメニューを忠実に再現するスタイルの新業態。メディアでも広く取り上げられ、連日の行列で大きな話題を集めた。

「今回のタニタ社とのコラボレーションは、当社が創業以来、一貫して追求してきた"外食産業の新しいスタンダードの創造"が一つの形になったものです。決して一朝一夕に実現したものではありません」と平川氏。

では、「新しいスタンダード」とは――。「外食産業は業態を開発し、店を作り、料理を売る産業です。当社がそれに加えて追求してきたのは、店の土台を成すシステムの構築でした。飲食業が産業となって40年。従来のシステムはいたるところで時代にマッチしなくなっていると思います。システムを作り替えることで、旧来にはなかった新しい枠組みで外食ビジネスを展開する道が拓ける、そう確信していました」。

新しいシステムの構築は、大きく分けてバックオフィス、バックヤード、バックアップ企業という3部門にわたる。バックオフィスとは管理部門、デザイン、採用、販促など。バックヤードとは調達、一次加工、配送の仕組み。バックアップ企業とは提携企業、すなわち金融や商社、広告代理店などだ。

「バックオフィスの管理部門は徹底した効率化を研究し、低コストでのマネージングを可能にしました。バックヤードでは一括物流のシステムを作り上げ、生産者と直接つながることで、良い食材を適正価格で仕入れることができるようになりました。当社はこれらを他社でも運用可能なプラットフォーム(基礎部分/基本的なオペレーティングシステム)とし、他企業がここに乗ることで、新しい外食ビジネスを一緒に展開することを目指したのです」。

健康、エンターテインメント、第一次産業と外食とのコラボを

今回の「丸の内タニタ食堂」のように、計量器メーカーと外食産業という異業種のコラボレーションが実現した背景には、きちりが開発したこのプラットフォームがある。いわば14年間の積み重ねの上に花開いた成果だ。

「今後もこのプラットフォームを使って、様々なコラボレーションを行ない、外食ビジネスをダイナミックに展開していきたいのです。従来の枠組みの中ではなく、枠組みを超えて進めたい。提携先として大きな可能性を秘めている分野は大きく3つです。タニタ社のような健康・ダイエット分野、音楽産業やゲーム業界などのエンターテインメント分野、そして畜産や農業・漁業といった第一次産業です」と平川氏。

しかし、その眼差しの先にあるのは、異業種ばかりではない。

「もちろん、他の外食産業との提携も可能と考えています。もともと、私はフランチャイズのビジネスモデルに興味があって、フランチャイジーにもなりましたし、今のシステムの構築もフランチャイズチェーン(FC)に転用できるものを念頭に置いてきました。このプラットフォームなら、もっと自由度の高い仕組みができるはずです。飲食店運営という実業が基盤にある当社だからこそのシステムですから、優位性には自信があります。同業種も異業種も、上下の関係なく有機的につながることで、自由で大胆なビジネスが縦横に枝を広げていくイメージ。『プラットフォームを利用した生態系の構築』が全体像です。ここにきて、ようやく夢の形を少しだけ語れるようになってきました」と平川氏。大胆な発想のなかにも実直な人柄が伝わってくる語り口だ。

流されない決意と覚悟で、逆境を切り拓く

明確なビジョンを語り、堅実な経営手腕を見せる平川氏。創業以来、13期連続増収とまさに順風満帆。だが、水面下の苦労も、もちろんある。

「大きかったのはリーマンショックでした。前年に上場を果たし、右肩上がりの成長計画を描いていました。ところが、リーマンショックによる市場規模の落ち込みで、それが狂ってしまい、順応するのに時間をとられました」。低価格路線に舵をきる企業が少なくないなか、きちりはあえて客単価を上げることで生き残りを図った。

「経営者としてのカンがそうさせた、と言いたいところですが、実際は私たちにはそれしか道がなかったのです。選択にあたっては、社内でも相当に議論をしました。あのとき当社が低価格にシフトしていたら、今のきちりはありません」ときっぱり。「何よりも大切なのは"我が道を行く"ことなのではないでしょうか。自分たちは何がしたいのか、どんな会社でどんな仕事をするのかを明確に持ち、周りに流されずに信じる道を貫くことです。それができるなら、不況もトレンドも関係ないとさえ思います」。

関東圏への本格的な進出、強みが生きるレンジを模索

関西で約50店舗を展開し、20?30代の女性に圧倒的な知名度を誇るきちり。昨年には、関東圏への本格的な進出のため、大阪と並んで東京にも本社を開設。東京での店舗展開は、客単価4500円前後のややアッパーな業態が目立つ。

「当社はターゲットを決めて店作りをしているわけではなく、当社の強みが最も活きるレンジ(範囲)を模索している段階ですね。海の魚って、泳ぐ層が決まっているでしょ。今は、関東圏で150店舗規模の出店を果たすには、どの層がもっとも泳ぎやすいかを模索している途中です」という。

最近は趣味においても、今までチャレンジしなかった領域に幅を広げているという平川氏。「以前はクラシック音楽や演劇鑑賞には興味がなかったのですが、この頃はそれらが楽しめるようになってきました。左脳ばかりを使ってきたので、右脳を使うことが新たな刺激となり、思いがけない切り口につながるかもしれません」。穏やかな口調のなかに、透徹した経営者の目が光る。

Company History

1998年

7月 有限会社吉利を設立
8月「きちり喰堂」(大阪)オープン

2000年

11月 株式会社に改組、社名を「株式会社きちり」へ

2002年

10月 兵庫初出店。「KICHIRI 三宮店」オープン

2005年

9月 京都初出店。「KICHIRI karasuma」オープン
12月 奈良初出店。「KICHIRI 大和八木」オープン

2006年

11月 東京初出店。「KICHIRI 池袋東口店」オープン

2007年

7月 株式上場

2011年

9月 東京本社開設(大阪と2本社制に)

2012年

1月 株式会社タニタと業務提携し、「丸の内タニタ食堂」をオープン
下旬現在、直営61店舗を運営