2012/10/02 Top Interview

株式会社ハイデイ日高 代表取締役社長 高橋 均氏

駅前一等地に「日高屋」の出店を始めて10年。今年8月に300店舗を達成した株式会社ハイデイ日高。チェーン展開が難しいラーメン業態で成功した要因、外食産業の展望について高橋氏に語っていただいた。

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ブラッシュアップで、“時代”を勝ち抜く

駅前一等地に「日高屋」の出店を始めて10年。激変する経済環境をものともせず、着実なペースで出店を重ね、今年8月、直営300店舗を達成した株式会社ハイデイ日高。チェーン展開が難しいとされてきたラーメン業態で、時間ごとに様々な客層をつかんで成功した要因、そして、今後の外食産業の展望について、代表取締役社長の高橋均氏に語っていただいた。
株式会社ハイデイ日高
代表取締役社長兼
執行役員社長高橋 均 氏Hitoshi Takahashi1947年茨城県生まれ。1974年、義兄の神田正氏(現・株式会社ハイデイ日高会長)が経営する中華料理店「来来軒」に入店。1978年有限会社日高商事常務取締役、1983 年株式会社日高商事常務取締役、1993年株式会社ハイデイ日高常務取締役営業本部長、以後、専務取締役営業本部長・商品開発部長・新業態開発部長を務め、2009年5月から現職。

毎年30店舗の出店を支える“駅前戦略”とメニュー開発

独特の筆文字が印象的な「熱烈中華食堂 日高屋」の看板は、この10年、首都圏の駅前に、毎年ほぼ30店のペースで着実に増え続けてきた。その勢いは、リーマンショックや東日本大震災に伴う経済の停滞にもかかわらず、今年8月には「日高屋」280店舗、会社全体としても300店舗を数える成長を見せている。

代表取締役社長の高橋功氏は、その成長は同社ならではの“駅前戦略”を実践してきた結果と語る。「私たちは乗降客4万人以上の駅前と、繁華街への出店にこだわってきました。当然ながら、駅前には人が多い。しかも、あらゆる年齢の人がいます。時間帯によって会社員、学生、主婦、高齢者など層も様々。そこにいるすべての人々に、多目的に使ってもらえる店舗を作ること。それが、私たちの戦略でした」。

物件選びでは、家賃は二の次。まず、そこに「日高屋」ができたら、どんなお客様に、どのくらい来てもらえるか。また、来てもらうために、どんな店を作ったらいいのかを考えるという。

この戦略を支えるのが、中華にとらわれない大胆なメニュー開発だ。お酒に合うつまみメニューの導入もそのひとつだった。「『日高屋』はアルコール比率が15%と、ラーメン店としては異例の高さです。その背景には、ビジネス層が多い駅前のアルコール需要が伸びる要因を見込み、つまみ類を充実させたということがあります」。この戦術で夜の客層は一気に拡大。ラーメン店で居酒屋需要を満たすという新しい外食シーンの開拓に成功した。またその一方、昼間のメニューでも、サラリーマンを狙った定食、若者向け大盛りメニュー、女性を意識したヘルシーメニューなど、幅広い客層を惹き付ける多彩な商品を次々に開発していった。

「いくら駅前で安いからといって、空腹を満たすだけの店では、回転率は上がっても、飲食業としては夢がないですよね。誰にでも、“日高屋に行けば自分の好きなメニューがある”と思ってもらいたい。食を楽しみ、会話を楽しみ、時間を楽しむ…。食は“人を良くする”と書くわけですから、それを満たせる店でなければ、続ける意味はありません」と高橋氏。食を提供する商人としての誇りを感じさせる言葉だ。

大切なのは“時代との競争”絶え間ない磨き込みが不可欠

だからこそ、定番メニューばかりでなく、時代の流れを読んだ新メニューや季節限定のメニュー作りにも力が入る。今年の夏は「塩麹つけ麺」が好評を博したが、続く秋メニュー、冬メニューの開発にもぬかりはない。

「特に外食産業で大切なのは、“時代との競争”だと思います。お客様が今、何を求めているのか、それに応えるためには何が必要かを常に考え、実践すること。それは他店との勝負ではなく、時代との勝負です」と高橋氏。社長席の横には、今も「日高屋」創業当時のメニュー表が貼ってある。「これを見て、創業時を思い起こし、今とどう違うのか、今後は何が必要なのかをいつも考えています」と、笑顔を見せる。なるほど、当のメニュー表にはつまみ商品がほとんどない。女性に大人気の「野菜たっぷりタンメン」も、創業時はごく普通のタンメンだったようだ。また、“時代との競争”を意識しながら、高橋氏は、流行を追うだけでなく進化を目指す。一見変わらない定番メニューでも、実は少しずつ進化しているのだ。「定番商品も時代に合った味を常に追求して改良を重ねています。時代と勝負する。しかし、その前に大切にしたい言葉があります。“質の向上なしに、企業の成長はない”。これこそが、私のもっとも好きな言葉なのです」。

“本物”への道を拓くのは、新しい工場と人材の育成

「日高屋」の前身である「来々軒」の創業は、1973年まで遡る。ファミリーレストランが台頭し、外食の産業化が始まった時代。「日高屋」は早くからラーメン業態での多店舗化・企業化を推し進め、セントラルキッチンを作った。今、成熟した外食市場を俯瞰して高橋氏は、「市場は需要と供給の関係で成り立つもの。これからの外食市場で生き残ることができるのは〝本物〟だけ」と、表情を引き締める。

今年、300店舗の出店を達成した同社。そして今、本物に磨きをかける秘策。その一つが、この10月に始まったセントラルキッチンの増設だ。
「良質な商品を安定的に供給するためには、大量一括生産が不可欠。工場生産と各店舗での調理をどう組み合わせれば、もっともおいしくできるかを追求することが大事です。新しいセントラルキッチンには、量産はもちろん、それ以上に品質の向上が求められます。温度管理だけでなく、湿度管理も徹底して行う最新設備ですから、麺も餃子の皮も今より数段おいしくなるはず。本当に楽しみです」。機械化をいちはやく取り入れてきた「日高屋」。その中心には、若い頃、ラーメン店の現場に立っていた高橋氏がいた。そうした現場での経験が活かされたシステム開発が、日高屋の“本物”を支え続ける。

高橋氏は、2009年に社長に就任してからも、積極的に社員とコミュニケーションを図っているという。店長会議のあとには、店長一人ひとりと語り合う時間も持つ。各店長が経営者としての意識を持って店舗経営にあたれるように、2年前からは「自主管理経営計画」制度を導入。人材を大切にし、その育成に力を注いでいる。

「彼らにはよく、『君は店長という社員、私は社長という社員』と言います。役割が違うだけで、同じ日高屋の社員。一緒に未来の夢を語り、力を合わせて実現する会社を作りたいのです。これからの企業は、社員が上から言われたことしかできないようでは成長できない。一人ひとりが自ら目標と夢を持ち、計画し、行動し、実現する。こうした企業が、今後はもっと増えてくるはずです」。その目線は、しっかりと時代の先端に向けられている。

Company History

1973年 2月

中華料理店「来々軒」を現・さいたま市大宮区にオープン

1975年 3月

「来来軒」大宮南銀座店をオープン

1983年 10月

有限会社から株式会社に改組

1986年 3月

食材供給子会社を設立し、麺と餃子の生産を開始

1993年 3月

初の都内店「らーめん日高赤羽店」をオープン

2002年 6月

「日高屋」1号店(東京・新宿東口店)をオープン

2005年 2月

行田工場の(セントラルキッチン)本格稼働開始

2006年 8月

株式を東京証券取引所第一部に上場

2006年 9月

新業態「焼鳥日高」1号店(埼玉・川口駅東口店)をオープン

2009年 2月

外食産業記者会主催「外食アワード2008」を受賞

2012年 2月

総店舗数300店を達成