2012/11/20 Top Interview

株式会社ダイヤモンドダイニング 松村厚久氏

「100業態100店舗」を掲げ、それを10年足らずで達成した株式会社ダイヤモンドダイニング。次の目標は「1000億円1000店舗」。新たな冒険を始めた松村氏に、挑戦の源にあるものを語っていただいた。

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限界を突き抜けグローバル企業へ飛躍

「100業態100店舗」を掲げ、2000年台の最初の10年を疾走した株式会社ダイヤモンドダイニング。目標の大きさと斬新さに驚かされたが、10年足らずで達成した実行力・業態開発力に業界は瞠目した。そして、休む暇もなく挙げた次の目標は「1000億円1000店舗」。新たな冒険を始めた同社代表取締役社長の松村厚久氏に、果敢な挑戦の源にあるものを語っていただいた。
株式会社ダイヤモンドダイニング
代表取締役社長
松村厚久 氏Atsuhisa Matsumura1967年生まれ、高知県出身。日本大学理工学部在学時、「サイゼリヤ」でのアルバイトがきっかけで、飲食業を志す。日拓エンタープライズ株式会社に入社して、ディスコの企画と運営に携わった後、1995年独立。日焼けサロンの経営で資金を調達し、2001年、銀座に1号店「VAMPIRECAFE」をオープンして外食産業に進出。2008年1月には、外食産業にもっとも影響を与えた人物として、外食産業記者会が表彰する「外食アワード2007」受賞。 2010年10月、「100店舗100業態」を達成。

外食産業「200億円限界説」を打ち破る!

松村厚久氏が打ち出す「目標」に、業界はいつも驚かされている。そもそもの発端は10年前の「100店舗100業態」。外食産業は、基本的には同一フォーマット(ブランド)の店舗をチェーン展開して成長してきたというのが、業界の常識だ。が、あえて、その真逆を目指したところが、まず注目された。

しかし、業界が本当に驚いたのは、実際に10年足らずで「100店舗100業態」を達成したこと。不況の影響や外食市場の縮小が叫ばれる中での「100店舗100業態」の実現は、外食産業にまだまだ可能性があることを感じさせ、業界全体を大きく励ますことにもつながったと言えるだろう。

そして、次に掲げた「1000億円1000店舗」に対し、松村氏は冷静にこう語る。「いや、そんなにすごい数字じゃないですよ。今、年商250億円ですから、これを4倍にすればいいだけ100業態を作るほうが、ずっと大変です」。勝算がない数字ではない。そこには外食産業全体の今と未来を分析した、松村氏ならではの戦略がある。

「実をいうと、外食産業には“200億円限界説”という通説があるのです。当社を含め、売上が200億円台の外食企業というのは、どこも壁に突き当たっています。ここまでは順調に伸びても、この先が続かない。既存店の売上が落ち始め、立て直しが必要になり、その手当てをしているうちに、他の店も勢いを失ってしまうからです。だからこそ、なかなか200億円台を突破できず、縮小していくこともあります。うちも同じ。この壁をぐっと乗り越えないと、企業として成長できません。現状で満足していてはいけないのです」。

個店主義とチェーン展開の双方のメリットを活かす新路線

かつて、1店舗目を出店した年の忘年会で、松村氏は仲間たちと「5年後には3店舗を持つ会社にしたい」と語り合ったそうだ。しかし、実際5年後には3店舗どころか、50店舗を展開していた。「つまり、可能性は無限大なんだということです。最初のころは3店舗すら無理だと思いましたが、そんなことはありませんでした。自分で限界を作る必要はないのです」。

そんな松村氏だからこそ、“200億円限界説”に屈服してはいられない。現状打破のために打ち出した目標が「1000億円1000店舗」であり、それを実現する新戦略が「50業態×20店舗」だ。

「飲食業というのは、一つの業態(ブランド)で20店舗くらいを展開するのが一番動きやすいと僕は思っています。このぐらいの規模なら、カニバリゼーション(自社による「共食い」)も起こらないし、知名度も獲得できる。20店舗ずつで1000店舗展開にするには50業態が必要。だから“50業態×20店舗”をうたったわけです。業態は100以上作りましたからね。今ある業態を、立地とトレンドを見定めながら精査します。さらにM&Aも含めてどうしてもやりたいのが、ファミリーレストランとファストフード。ダイヤモンドダイニングならではの、あっと驚くファミレスやファストフードを、必ずやります」。

これが、これまでの「マルチコンセプト(個店主義)戦略」から、「マルチブランド(同一ブランドで複数店舗)戦略」への転換につながった。個店とチェーンの利点を融合させる試みだが、外食企業の新しい方向性といえよう。

アメリカへの進出で、文字どおりのグローバル企業に

マルチブランド戦略のフィールドは、国内だけではない。昨年11月、アメリカに設立した子会社を通じて、ハワイの日本食レストラン「SHOKUDO(食堂)」の経営権を取得し、海外進出を果たした。さらに今年11月1日、「IZAKAYAYUJI(いざかやゆうじ)」で、アメリカ・ロサンゼルスでも本格的な事業展開がスタート。

「1~2店舗出店しておしまいにはしませんよ。しっかり事業として取り組んで、現地に根づく店を作るグローバル企業になるつもりです。それに僕は、当社の統括総料理長・長澤裕司を世界一のシェフにしたいと思っています。まずロサンゼルスで、彼の名前を冠した居酒屋を何店か作り、それからハリウッドのど真ん中に“ファインレストラン”を出そうと計画しているんです」と、目を輝かせて語る。聞いているだけでワクワクするような壮大なプランだが、勝算はもちろんある。

「日本の外食産業の力なら、世界を相手に十分戦えますよ。それだけ日本の外食産業は、料理もホスピタリティも空間もレベルが高い。100業態のメニューを統括してきた長澤裕司なら、なおさらです。外貨を稼ぐためにも、日本の飲食業はもっと海外に出たほうがいいと思いますよ。ゆくゆくはニューヨークやシンガポールに本社を構えるくらいまでやりたいですね」。

今、45歳。名実共に、日本の飲食業界を牽引する若手経営者の一人だ。冷静に経営戦術を敷く一方で、持ち前の企画力やエンターテインメント性は健在。現在、松村氏自身がプロデュースに関わっている大きな企画が2つ東京で進行しているという。ひとつは、北海道の花畑牧場とともに作る、チーズをテーマにした店。そしてもうひとつは、松村氏と同じ1967年生まれの経営者、デザイナーがコラボレーションする店。その名も「BAGUS 1967」。松村氏の業態開発の創造力と意欲は、枯れることがない。

「店作りは本当に楽しい。どんなものができるか、今からワクワクドキドキしています。僕ら1967年生まれはバブル景気も知っているし、今、一番いろいろなことができる世代ではないでしょうか。なんでもありの、“日本一かっこいい店”を作りますよ。僕らの世代がもっと頑張って、外食産業を引っ張っていきたいと思っているところです」。

Company History

1996年 3月

東京都豊島区に有限会社エイアンドワイビューティサプライ設立

2001年 6月

東京・銀座に「VAMPIRE CAFE」をオープンし、飲食店経営を開始

2002年 12月

株式会社ダイヤモンドダイニングに商号変更

2007年 3月

大証ヘラクレス(現JASDAQ)に株式を上場

2008年 6月

株式会社サンプールを子会社化

2008年 12月

株式会社シークレットテーブルを設立(100%出資子会社)

2009年 5月

株式会社ゴールデンマジックを設立(100%出資子会社)

2010年 6月

株式会社土佐社中設立(合弁会社)

2010年 9月

株式会社吉田卯三郎商店を子会社化

2010年 10月

「100店舗100業態」を達成

2011年 6月

株式会社バグースを子会社化

2011年 10月

アメリカにDiamond Dining International Corporation を設立(100%出資子会社)

2011年 11月

Diamond Dining International Corporation が、Dream Dining Honolulu LLC を子会社化

2012年 8月

アメリカにDiamond Dining International California LLC を設立(100%出資子会社)