2017/02/15 挑戦者たち

株式会社 ING FACTORY 代表取締役 北原 拓将 氏

「居酒屋 農業高校レストラン」という店を立ち上げた株式会社ING FACTORY。率いる北原拓将氏自身も農業高校出身で、「ゴールは地域活性、店はその手段」と語る。その道程、見据える未来を聞いた。

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店はゴールではなく“手段”。「農業高校レストラン」を全国へ!

「居酒屋 農業高校レストラン」という、これまでになかった飲食店を立ち上げた株式会社ING FACTORY。率いる北原拓将氏が、自分にしかできないことを模索し、巡り着いたブランドだ。自身も農業高校の出身で、「ゴールは地域活性、店はその手段」と語る北原氏に、想いをかたちにする道程、見据える未来を聞いた。

――ご自身も農業高校の出身ですね。飲食業を目指したきっかけは?

兵庫県加古川市の自宅からいちばん近い高校が「兵庫県立農業高等学校」(通称・県農)だったので、迷わずそこへ進学。両親が居酒屋を経営していて、店では県農の生徒が作った食材も使っていましたし、生徒が販売実習として、野菜をリヤカーで売り歩くことも知っていました。県農の食材が、子供の頃から身近にあったのは確かです。

農業に興味があって進学したわけではないのですが、県農では「生きる術」を教えてもらいました。人間が生きるためにはモノを作り、加工し、売らなければいけません。殺生も避けられない。それらをすべて教えてくれた母校とは、強い絆ができました。でも、県農での経験がそのまま飲食業へつながったわけではありません。ただ食べることは好きだったので、食に関わりたいという気持ちはありましたね。

転機となったのは、高校卒業後に飛び込んだ横浜での屋台の仕事。縁日などに屋台を出し、焼きそばやお好み焼を売っていました。これが楽しかったんです。作ったものをその場で売るというのは、もっともシンプルな外食の形です。具材や調理器具をどう配置すれば、早く作って早くお客様に渡せるか、どういう看板なら目に留まるか、必死に考えました。小さな屋台1つにすべてが詰まっていて、ここで、「商売の原点」に触れたのだと思います。

でも、いくら楽しくても、屋台は屋台。やっぱり自分の店を構えたい。そう思って、露店での仕事は1年で辞め、兵庫県に帰ってきました。

――そこから出店に向けての修業は、どのようなものだったのでしょう。

焼きそばとお好み焼しか作れなかったので、まずは料理を覚えたいと考えて、神戸や加古川で和食、イタリアン、鉄板焼など、様々なジャンルの店で5年間みっちり働きました。

その後、経営の勉強をするために、複数店を経営する飲食企業に入社。いろいろな業態の店で店長を務めました。数字には苦手意識があったのですが、社長からは「君は将来、自分の店を持つのだから、きちんと覚えなさい」と言われ、毎月、損益計算書なども作成していました。おかげで数字にも慣れ、独立の際はとても役に立ちました。銀行との交渉などでも、すぐに書類が書けるようになっていましたから。

最終的に、この会社には5年半お世話になり、「ヒトとモノの管理」を勉強させてもらいました。その間、開業資金を貯めることも必要でしたが、当時は給料のほとんどを外食代へ。飲食店に行って人脈を広げることも、大切な準備の1つと考えていたのです。

そして、2009年11月。計画通り、30歳で独立・開業を果たしました。

1979年、神奈川県川崎市生まれ。小学6年の時、両親とともに兵庫県加古川市に移住。兵庫県立農業高等学校を卒業後、飲食業での起業を目指して修業を積み、2009年に独立。2013年から、農業高校とそこで作られた食材の魅力を発信する「居酒屋 農業高校レストラン」を展開している。

――その後、農業高校に注目したのはどういった経緯だったのですか?

最初の店は、「三匹の台所」という、記念日に特化した居酒屋です。神戸・三宮の繁華街の外れという立地で、強力な個性がないと集客が難しく、事実、入れ替わりが激しい物件でした。その分、家賃は割安。自分ができる以上のことはしないと決めていたので、この家賃なら客単価3000円で……と計算し、イケると判断しました。

幸いだったのは、通りに面して大きなガラス窓があったこと。これをメッセージボード代わりにして、誕生日などのパーティが始まる前に、友人たちがお祝いのメッセージを書くサービスを打ち出しました。これが大当たり。客層のほぼ100%が女性グループで、20代を中心に連日10件も記念日の予約が入って賑やかでしたね。

でも店が軌道に乗って、ようやく気持ちにも余裕が出てきたとき、ふと思ったのです。30歳を過ぎたのだから、もっと社会に貢献することや、何か自分にしかできないことをしたい、と。それまでの私には、店を出すこと自体がゴールだったので、その先には何もなかった。そのときに思い出したのが、兵庫県立農業高校の存在でした。

県農は自慢の母校です。校内で作られる野菜のおいしさも、生徒や先生の農業への熱い想いもよく知っていました。また、兵庫県は農業に力を入れていて、そのなかで県農は大きな役割を担ってもいました。ところが、農業従事者以外にはほぼ無名。兵庫県の農業の活性化のためにも、県農をもっとアピールしたいと考えたのがきっかけです。飲食店であれば、食材を通して県農を知ってもらえる。これは、卒業生である自分にしかできない。そう確信しました。そこで新たなゴールを「農業高校の食材を通した地域活性」に据え、店をその手段と考えて、神戸駅のそばに「居酒屋 農業高校レストラン」を出すことにしたのです。

――全国的にもほとんどない試みです。手応えや、苦労したことは?

まずは高校時代にお世話になった先生に相談し、校長先生に連絡をしてもらい、挨拶に行きました。卒業生が県農の魅力を広めたい、県農を通じて兵庫県や加古川市を元気にしたいと考えたことを校長先生はとても喜んでくれ、協力を約束してくれました。

一番苦労したのは、食材の種類と量の確保です。県農で作っている食材はあくまで授業の一環ですから、飲食店の食材のすべてをまかなう種類と量をそろえるのは無理。だからと言って、足りない分を卸業者などから仕入れようとは思いませんでした。「県農」という枠組みにこそ意味があるからです。そこで、県農OBの農家にも着目し、「県農OB食材」というカテゴリーで仕入れることにしました。種類と量が安定してきたのは、開店から約半年後。県農の生徒が作る野菜牛乳、牛・豚・鶏肉などの「県農ブランド」と、県農OBが作る食材で、「居酒屋 農業高校レストラン」のグランドメニューができ上がりました。

県農の生徒とOBが作っていることから食材への信頼が高く、食に健康と安全を求めるお客様に喜ばれるのが強み。多くの人に応援していただけることもメリットで、県農の関係者だけでなく、学校の近所に住んでいる人、子供が県農に通っていた人なども来店してくれます。

農業高校レストラン」のスタッフと、農業高校の生徒たち。北原氏の夢実現には彼らの協力が欠かせない

――続いて出した三宮店も好調です。今後の展望を教えてください。

2016年7月に「居酒屋 農業高校レストラン 三宮店」をオープン。神戸店が「県農ブランド」のみで始めたのに対し、三宮店は兵庫県内にある農業/水産高校に対象を広げました。

夢は、47都道府県に「農業高校レストラン」を広めること。「農業高校レストラン」の商標登録を取った後は、ボランタリーチェーン(加盟店が主体となって連携・組織化するビジネスモデル)での展開を目指します。

そのためには、やはり“人”が大事。現在、スタッフの労働環境を整え、会社の基盤を強くすることに力を入れています。また、社内会議では作物の生育状況など、農業高校の情報を共有。こういったことが、社員の独立支援と地域活性につながるとうれしいですね。仲間とともに、日本中の農業高校のブランド力を上げ、農業を元気にしていきたいと思っています。

居酒屋 農業高校レストラン(兵庫・神戸駅)
http://r.gnavi.co.jp/5k6kd1pg0000/
農業と地域の活性化を目的に出店。兵庫県立農業高校と、そのOBが作る食材を使用し、「県農畑の冷製バーニャカウダ」などが人気。
居酒屋 農業高校レストラン 三宮店(兵庫・神戸 三宮)
http://r.gnavi.co.jp/gefpy4b70000/
“県農”だけでなく、兵庫県の各地にある農業/水産高校の食材にこだわった居酒屋。店頭では野菜など、食材の販売も行っている。

Company Data

会社名
株式会社 ING FACTORY

所在地
兵庫県神戸市中央区多聞通1-1-2 太古堂ビル1F

Company History

2009年 「三匹の台所」オープン
2011年 宴会専用の店「はなれ」を、「三匹の台所」の近くにオープン
2012年 株式会社 ING FACTORY設立
2013年 「居酒屋 農業高校レストラン」オープン
2015年 「三匹の台所」を「農家の台所 ひょうご 食農ふぁん」へリニューアル
2016年 「居酒屋 ひょうご食農ふぁん」を「居酒屋 農業高校レストラン 三宮店」へリニューアル

※本記事の情報は記事作成時点のものであり、情報の正確性を保証するものではございません。最新の情報はご自身でご確認ください。

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