「やればできる」という精神論ではダメ。満足度を“見える化”したことがカギでした
地元・近江食材の魅力を、飲食店を通して発信している株式会社nadeshicoの細川雄也氏。1号店を1カ月先まで予約が取れない大繁盛店へと急成長させるも、壁にぶつかり、長い試練の日々を経験。挫折を乗り越え、夢の実現に向かって歩み続ける不屈の経営者に、成功の秘密をうかがった。
――JA(農協)を辞めて脱サラし、飲食店経営を始めたと聞きました。
JA北びわこには6年間勤めていました。大学卒業後、親の勧めに従って就職したのですが、学生時代からいつかは独立したいと思っていたので、自分の気持ちにそぐわない仕事は、正直しんどかったですね。ただ、だからといって手は抜かず、仕事は一生懸命やりました。心のどこかで、一生懸命やっていればいつかチャンスが来るんじゃないかという思いもありましたから。でも、明確な目標や、やりたいことさえ見つからなかった当時の僕に、そんなチャンスなど来るわけもありません。
そうした日々の中で出会ったのが、ジェームズ・アレンの「『原因』と『結果』の法則」(サンマーク出版)という本です。実はこれ、「あなたは自分を持っていないから嫌い」と言って僕のもとを去った、当時の彼女の置き土産なんです。夢ばかり語って何一つ行動を起こさなかった僕でしたが、その言葉はさすがにショックで、このなかに何が書いてあるのか、懸命に読みましたね。そして、この本から自分から動くことの大切さを学び、独立しようと決心して、28歳の12月に辞表を提出。翌年の3月に退職しました。
――飲食店での独立を決めた理由と、開業までの道のりを教えてください。
何ができるか真剣に考えた結果、JA時代に得た農業の知識を活かすしかないという答えに至りました。農業に参入する気はありませんでしたが、農作物を仕入れて、料理として提供する飲食店なら、これまでの経験も活かせると思ったのです。
オープンは退職から5カ月後となる2007年の8月に設定し、それまでに必要な知識を得ておこうと、本屋にあった飲食店の独立開業に関する本は全部買いました。お金の借り方から看板の出し方まで、出店に必要な情報はほぼ入手できましたが、料理人の経験がない僕には、料理の問題だけがクリアできなかった。これはもう誰かにお願いするしかないと思い、あるコンサルティング会社と契約しました。辞表を出したちょうどその頃、契約の前金100万円を納めたのですが、この会社が倒産し、100万円もパーに…。目の前が真っ暗になりましたね。でも、友人に助けてもらい、なんとか再び開業に向けて動き出すことができました。その友人は、今も盟友として店を盛り立ててくれています。そして、目標から2カ月遅れた10月に、ようやく1店舗目のオープンにこぎつけました。
――オープン早々、大繁盛店の仲間入りを果たされたそうですね。
昔からの仲間も多い地元にこだわって出店した「菜でしこ 長浜店」は、和モダンな創作和食ダイニング。女性のお客様に来てほしかったので、料理も野菜を中心にして、当時流行っていたせいろ蒸しを取り入れました。狙い通り女性のウケもよく、店は連日満席。予約は1カ月先までいっぱいと、自分でも信じられないくらいの反響でしたね。はじめは昼の営業をやっていなかったのですが、ランチを始めてからは、最高でひと月の売上が600万円を超えることもありました。
これで気をよくしたのと、独立から30年で600店舗出したいという夢の達成に向けて、1年半後には早くも2号店「菜でしこ 彦根店」をオープン。でも、これがその後の業績不振を呼ぶきっかけになってしまったんです。
――業績不振を経て、3号店、4号店へつなげた秘訣は何でしょうか。
はじめにやったのは、業績不振につながった要因の分析。その結果、気づいたことの一つが、僕が2号店にかかりっきりになったために、1号店の士気が下がってホスピタリティが落ちたこと。もう一つは、オープンから日が経つとお客様の方も飽きてきて、どうしても客足が落ちたということです。ご祝儀的に勢いで上がった売上は落ちるのが当たり前なのですが、僕はそういう飲食業界の常識さえ知らなかった。そこから、またひたすら勉強を始め、セミナーなどにも積極的に足を運びました。やれることはすべてやったつもりでしたが、どれも思うような結果につながらず、約2年間はどうしようもなく苦しい日々が続きました。
解決の糸口が見つからなかったのは、根本的な問題を抱えていたからです。それは、メニューの柱にしている近江の野菜が、地元の人にとっては自宅で食べるごく当たり前のものだったということ。家庭でも作れるような野菜料理を出しても、有り難くもなんともない。飽きられて当然でした。そんな時に、東京のとあるイタリアンバールに行きました。ここがとても魅力的なお店で、「コレだ!」とひらめいたんです。イタリアンなら家庭で再現するのが難しい料理を出せるし、しかも近江食材も活かせて、ワインブームにも乗れる。さらに、新しい食のシーンを滋賀に創り出すこともできるはず。そう確信して、「NADESHICO DINER」と「近江バル nadeshico」のオープンに踏み切りました。
――そういった壁を乗り越えるなかで、どんなことを感じましたか?
業態や料理も大事ですが、それだけではうまくいかない。低迷期に感じたのは、スタッフに僕の理念が浸透していないということです。結局、「頑張ろう」とか、「やればできる」という精神論だけでは、無理があるんですね。
その点を解決するために、3号店の「NADESHICO DINER」をオープンしてからは、アンケートをより有効活用するようになりました。お客様の声を漠然と把握するのではなく、何パーセントの人が、どこに満足したのか、数字にして“見える化”を図ったのです。すると、スタッフも何をどう頑張ればいいのか具体的にわかるようになり、「お客様に感動を提供する」という理念も、より伝わるようになりました。その結果が、お客様の満足度向上につながったのだと思います。
――これからの展開や、将来の目標について教えてください。
やはり、近江食材のおいしさをもっと全国に向けて発信していきたいですね。滋賀は野菜だけでなく、肉や川魚、しじみ、お茶など、本当に優れた食材に恵まれています。実はワインもおいしいものがあって、「近江バルnadeshico」では、滋賀県産のワインも含め、自分でワインセラーからボトルを選べる気軽さがウケています。「近江バル」は現在、夜だけの営業ですが、昼も朝もいけるのではないかと思っていて、当面はこの業態で大阪への出店を目指しています。同時に、その先には、名古屋や東京への出店も視野に入れています。
また、食材も仕入れるだけでなく、将来的には自社で生産もしたいと考えています。これは農家さんと一緒に仕事をした僕だからできること。これらを一つずつ実現して、滋賀の飲食店といえば「nadeshico」と言われるように頑張っていきたいですね。
http://r.gnavi.co.jp/kbw4500/
http://r.gnavi.co.jp/hcht7tkz0000/
Company Data
会社名
株式会社nadeshico
所在地
滋賀県長浜市八幡東町185-1
Company History
2007年 1号店となる創作和食ダイニング「菜でしこ 長浜店」オープン
2009年 「菜でしこ 彦根店」オープン
2012年 スパニッシュイタリアン&ワインバル「NADESHICO DINER」オープン
2013年 「近江バル nadeshico」オープン