2015/02/19 挑戦者たち

株式会社 寶田堂 代表取締役 関 喬史 氏

香川県の山村で生まれ育った関氏が率いる寶田堂は、瀬戸内の食材をブランディング。その最前線の店舗は、瀬戸内の食と観光の情報発信基地。埋もれている食材に価値を付け、日本全国、世界に発信する。

URLコピー

埋もれている瀬戸内の食材に光を当て、ブランディングし、日本全国に発信したい

香川県の山村で生まれ育ち、瀬戸内海に面した街の高校に通った関喬史氏が率いる株式会社寶田堂(さいたどう)は、現在、海の幸や柑橘類など瀬戸内の食材をブランディングしている。その最前線の店舗は、瀬戸内の食と観光の情報発信基地でもある。埋もれている食材に価値を付け、日本全国、世界に発信する関氏に話を聞いた。

――大学卒業後、就職先に飲食企業を選んだ理由を教えてください。

卒業後は実家に戻る約束で東京の大学に進んだので、地元に帰って公務員になるつもりでした。ところが、友人に付き合って香川県内の企業の就職説明会に出向いた際、たまたま座ったある企業のブースでパワフルな社長と出会い、自分も経営者になりたいという思いが沸いてきたのです。

そんな折、テレビのニュースで、新卒を採用し始めたばかりの株式会社レインズインターナショナルが、内定者に実験的に店を作らせるプロジェクトを紹介していました。会社に若さと勢いがあり、内定者が生き生きとしている。ここなら早く昇進でき、経営も学べると考えて門を叩き、新卒二期生として採用されました。

実は、香川では親戚が経営するうどん屋を子供の頃から手伝っていて、おいしいと喜んでくれたり、頑張ってるねと、褒めてくれるのがうれしかった思い出があります。その体験も、飲食業界へ進む後押しになりました。

――レインズでは、入社1年目で店長を任されたとうかがっています。

“起業”の2文字がすでに頭にありましたから、できるだけ早く出世して経営のノウハウを身につけたいという思いが強く、同期のほとんどが当時100店舗を超えていた「牛角」を希望するなか、敢えて新ブランドの居酒屋業態「土間土間」を希望しました。

入社した直後の2002年5月には、「土間土間」の新店立ち上げに関わることができ、その年の11月には、「土間土間 五反田店」の店長に就任しました。しかし、現実は厳しかった。とにかく結果を出したいと必死でしたが、私より年上で、経験のあるスタッフが多かったこともあり、まったく付いてきてくれず、売上目標にも届かない。1人で空回りしてボロボロになり、本気で辞めたいと思いましたね。でも同期に相談したときに、「お前は逃げているだけだ」と言われ、持ち前の負けん気が頭をもたげました。

そこで、店舗ミーティングを開き、無記名で不満を書いてもらったところ、出るわ、出るわ。なかには「店長バカ」というものまであって、心が折れそうになりましたが、自分がいかに未熟だったか思い知らされました。悪かった点は素直に謝り、1つ1つ不満を解消していきました。すると、店の雰囲気が徐々に変わり、私を信頼して付いてきてくれるスタッフも出てきました。実は、現在の当社の社員には、その時のスタッフが2人いるんです。

店が1つにまとまったと感じた翌年の7月、勝負に出ました。午前3時だった閉店時間を午前5時に延長したのです。五反田では、深夜から早朝にかけてのニーズがあると感じていたからですが、これが功を奏して、売上目標を達成。そこから毎月、目標をクリアしたことが評価され、入社2年目の2003年11月には、SV(スーパーバイザー)に昇格しました。

1979年、香川県三豊市財田町生まれ。中央大学を卒業後、成長期の株式会社レインズインターナショナルに入社。20代でブランドマネージャまで昇進するも、27歳で独立し、株式会社寶田堂を設立。2007年、東京・高田馬場に1号店「居酒屋 さいたどう」を出店。

――順調に出世していた最中の入社6年目、27歳で独立されましたね。

新業態の開発責任者を経て、ブランドマネージャーになってから、上司やFC店舗のオーナーなどからの様々なプレッシャーにさらされ、ストレスで体にじんましんが出るようになりました。もともと30歳までには起業したいと考えていたので、今がそのタイミングだと判断したのです。

2007年5月に独立を決意。年内に出店すると目標を明確にして、7月から物件探しを始めました。エリアや客層を熟知している五反田でやりたかったのですが、なかなかいい物件が見つからない。そんなとき、かつての部下が高田馬場の物件を紹介してくれました。まったく知らない土地でしたが、年内にオープンするには、ここに決めるしかないと決断しました。

――業態や店名、売りのメニューなどは、どのようにして決めたのですか。

業態は、これまで手がけてきた和風居酒屋。メインターゲットは、安さよりも料理のおいしさを求める20代後半から30代前半と決めました。そして、数ある居酒屋の中でオリジナリティを出すにはどうしたらいいかを考え、出身地である香川県を前面に打ち出そうと思いついたのです。

香川県には、当時まだ全国的には知られていなかった骨付き鶏という名物があり、これを売りにすることにしました。また骨付き鶏は、残ったタレにおにぎりをつけて食べるのですが、このおにぎりには、故郷・三豊市財田町の米を使うことにしました。知名度はありませんが、夏と冬の寒暖の差が大きいため、いい米がとれるのです。社名の「寶田堂」は、祖父が経営していた本屋「さいたどう」からつけました。こうしてオープンした1号店は、学生相手の安い店が多い高田馬場にあって、おいしいものを食べたいビジネス層のニーズをつかみ、驚くほど繁盛しました。

――その後、「瀬戸内」を打ち出した店舗展開を開始されましたね。

三豊市には、米以外にも「三豊なす」など、おいしい食材がたくさんあります。売り込みに来る生産者の方もいて、地元の期待感をひしひしと感じていました。4店舗までは鶏料理を中心に、三豊市の食材をプラスした業態を展開してきましたが、5店舗目を出店するに当たり、魚介、柑橘類など食材が豊富で、日本の地中海ともいえる瀬戸内全体に範囲を広げ、「瀬戸内」をブランディングすると同時に、生産者の方々を応援したいと思ったのです。

そして2012年、地中海料理の「瀬戸内バル collabo」をオープン。さらに翌年には、瀬戸内食材の発掘とそのブランディングを目的にした、「Setouchi Branding」という会社を立ち上げました。埋もれている食材に光を当て、価値を付けて日本全国、世界に発信していく。六次産業化をサポートして、生産者の方々も経済的に潤ってほしい。地元の期待も大きいですね。

創業当時の関氏(右端)とスタッフ。「寝る間もなく、体は疲れていましたが、心はとても充実し、夢に向かってワクワクした毎日でした」

――今後は、どのような活動を考えていらっしゃるのでしょうか?

まず、東京都内で瀬戸内食材の認知を高め、いずれは「瀬戸内」を世界に通じるブランドにするのが夢です。

昨年11月には、「瀬戸内×地中海」をコンセプトにした「Setouchi Kitchen 五反田店」もオープン。自社でより多くの瀬戸内食材を消費するとともに、卸事業も行い、他の飲食店に供給して、販路を広げたいと思っています。こういった成功事例を着実に作るために、瀬戸内を取り巻く自治体にも連携を働きかけています。

また、都会から瀬戸内に観光客を呼びたいという思いもあり、地元の観光会社と協力して、瀬戸内海のクルージングに店舗のお客様を招待する企画も実施中です。当社の店を、瀬戸内の食と観光の情報発信基地にし、どんどん観光客を送り込みたいですね。2015年は、会社として発信力を高める年。そして、もっと資金力を付けて、来年は進撃の年にしたいですね。

居酒家 さいたどう(東京・高田馬場)
http://r.gnavi.co.jp/p732100/
同社の1号店。香川名物をアレンジした「骨付きがぶり焼き」のほか、銘柄鶏を使った炭火串焼き、水炊きなどが、近隣で働くビジネス層に好評。
Setouchi Kitchen 五反田店(東京・五反田)
http://r.gnavi.co.jp/g7kfc8kh0000/
「瀬戸内×地中海」をコンセプトに、現地から空輸する魚介や野菜を使ったイタリアンを提供する。瀬戸内を味わい尽くすカルパッチョなどが人気。

Company Data

会社名
株式会社 寶田堂

所在地
東京都新宿区高田馬場3-3-23

Company History

2007年 株式会社寶田堂設立。
     高田馬場に「居酒屋 さいたどう」オープン
2008年 「鶏・酒・人情 さいた堂 五反田店」オープン
2010年 「炭火居酒屋 ちょいちょい 亀戸店」オープン
2012年 「炭火居酒屋 ちょいちょい 池袋店」、「瀬戸内バル collabo」オープン
2014年 「Setouchi Kitchen 五反田店」オープン
     現在、6店舗を展開

※本記事の情報は記事作成時点のものであり、情報の正確性を保証するものではございません。最新の情報はご自身でご確認ください。

ぐるなび通信をフォローする