2015/04/21 挑戦者たち

カラビナフードワークス株式会社 代表取締役 西川 智之 氏

2005年の創業から今年で10周年を迎え、手堅い経営戦略のもと、大阪で6店舗を展開。全店で好調な業績を達成している。目指すのは「社員とその家族の幸せ」と語る西川氏に、静かな闘志の背景を聞いた。

URLコピー

目の前のお客様を大切にする店をつくり、社員とその家族が幸せになる企業に!

2005年の創業から、今年で10周年を迎えたカラビナフードワークス株式会社の西川智之氏。手堅い経営戦略のもと、大阪で6店舗を展開し、全店で好調な業績を達成している。目指すのは「社員とその家族の幸せ」と語る慎重派の経営者に、静かな闘志の背景を聞いた。

――大学時代のアルバイトが、飲食業界に入るきっかけと聞きました。

学生寮の目の前にあった喫茶店が、朝7時から満席になる繁盛店で、そこで4年間働きました。接客のイロハはここで学びましたね。客の9割が常連さんで、マスターはそれぞれの好みを把握し、相手が何も言わなくてもいつものメニューが出てくるようなサービスを徹底。お客様だけでなく、出入りの業者や荷物の配達員にもていねいに接するので、みんなが店に協力しようというムードがありました。卒業後に3年ほど京都の機械メーカーに就職したのですが、どこか物足りなさを感じ、やっぱり飲食業に就こうと転職を決意。ちょうどそのとき、アルバイト先だった喫茶店が系列店を出店するという話を聞いて、社員としてそこで働くことにしました。

――その後、喫茶店ではなく、イタリアンで独立したのはなぜですか?

社員として3年働いた後、地元・大阪の北堀江で「野菜×イタリアン mothers 北堀江」を出店しました。業態をイタリアンにしたのは、大阪の有名なリストランテで経験を積んだシェフと出会い、彼の作るイタリア料理で勝負しようと決めたから。ずっと働いていた喫茶店という業態も考えましたが、シェフとの出会いは、それ以上に大切なものに思えました。

地元でなら何とかなるだろうと、北堀江に出店したのですが、現実はそう甘くなかった。1号店はオープンから半年で売上に陰りが見え始めました。

1976年、大阪生まれ。大学卒業後に勤めた機械メーカーを3年で退職し、アルバイトをしていた喫茶店に転職、飲食業界へ飛び込む。2005年、地元でリストランテ「野菜×イタリアン mothers 北堀江」をオープン。10年で6店舗を出店し、ブライダル業も展開する。

――その状況を変えるために、どんな対策を講じたのでしょうか。

アルバイト先のマスターがやっていたことを思い出したんです。マスターはお客様一人ひとりを大事にし、目先の利益を追わず、人と誠実に向き合っていれば、後で必ず返ってくるという信念を持っていました。当時の私は、それがまったくできていなかった。それからはお客様一人ひとりと向き合い、とにかく目の前の人たちに楽しんでもらう接客を心がけました。食後のドリンクに何を頼んだかをノートに記して覚えたり、乗っている車種を調べて車の話をしたり。とても小さなことでしたが、売上は徐々に回復し、お客様に信頼されているという手応えも感じられるようになりました。

――その後、お店でのウエディングのニーズも増えてきたそうですね。

これは意外でしたね。確かに「mothers」は、最大で100名を収容できる大箱でしたが、私もシェフもウエディングはまったく未経験で、想像すらしていませんでした。でも、お客様から要望をもらっていたので、せっかくだからと、まずは二次会から受けてみることにしたのです。実際にやってみると思った以上に好評で、売上にも大きく貢献するように。そこで、ウエディングを事業のもう1つの柱にしようと決めました。

――1号店から5年後に2号店を出し、その後は1年ごとに出店しています。

私は自他ともに認める慎重派。勢いで出店はしないタイプです。実際、独立してあらためて飲食業の厳しさも痛感したので、一か八かで出店することはありませんね。2号店の「イタリア食堂 タベルナ エントラータ 堂島店」を出したのも、いろいろ計算して、十分やっていけると判断したから。1号店とは対照的な15坪の小さな店ですが、ここも売上が安定するまでに時間がかかりました。接客や使う食材、料理の質に問題はありませんでしたが、「海鮮ブルスケッタ」など、ひと工夫を加えた売りの料理を開発したところ、ファンがつくようになりました。

2011年オープンの3号店「イタリア酒場 ENTRATA 茶屋町店」以降、1年ごとに出店したのは、意欲的な社員の受け皿が必要になったこと、また、人足が遠のいていたビルの起爆剤として、お誘いがあったからです。出店にあたっては、その地域にある飲食店の売上などを徹底的に調べます。もちろん、開店しないとわからないこともあるのですが、十中八九いけると判断しない限り、出店はしません。

――すべてイタリアンですが、少しずつ業態が違う理由は?

同じ大阪でもそれぞれ街の色があり、飲食店はその街のカラーに合っていることが大事。例えば、1号店はおしゃれな街として認識されている堀江なのでリストランテを。「イタリア酒場 ENTRATA 茶屋町店」は、庶民的な「かっぱ横丁」内なので、本格的なイタリアンではなく、よりカジュアルなバールにしました。

全店をイタリアンにしたのは、あとから考えると正解でした。店を超えて社員みんなで料理や食材の勉強会ができるなど利点も多く、経営者としては人材の集めやすさに最大のメリットを感じています。スタッフ募集の際にも業態をはっきり打ち出せるので、イタリア料理の経験を積みたい人が安心して応募してきてくれます。やりたいことができるので、離職率も低いですね。

――社員の意見を積極的に取り入れながら、経営されているのですね。

会社を10年続けられたのも、人とのいい出会いがあり、その人たちに助けられてきたから。ですから、新規出店の際も構想を早くからスタッフに話し、反応を見ながら進めます。

1年前からは飲食店を視察し、リポートを提出した社員に月5000円を支給することにしました。私自身、これまで話題の店へ足を運び、たくさんヒントをもらいました。同じように社員にも様々な店を体験してほしい。そこで、費用を給料から捻出させるのではなく、軍資金を支給することにしたのです。「mothers」で人気の「野菜ビュッフェランチ」も、著名なホテルのビュッフェを視察したスタッフの意見から、生まれたものです。

社員たちとの意見交換は、各店で開いているミーティングや、月1回の店長会議、四半期ごとの全社会議でも行っています。また、東京の繁盛店へ視察に行ったり、クラフトビールの工場を見学したりと、常にアイデアのブラッシュアップに努めています。

同社では定期的に農家など生産者のもとを訪れ、食材に対する愛情を来店客に伝えている。写真は淡路島の農家を訪ねたときのもの

――今後の展開の中で、会社として実現していきたいことは何ですか?

会社の規模を大きくするために店舗数を増やすとか、フランチャイズ展開を始めるといった考えは、今のところありません。会社の存在意義は、自分の家族を含め、社員とその家族が経済的にも時間的にも、幸せに暮らせるようにすること。外食業界は給料や勤務時間への不満から、結婚を機に転職する人も多い。私自身、過去に社員がそういった理由で辞めていったときは、本当に落ち込みました。社員が安心して働け、家族を養える給料をしっかり払うことが私の使命。また、今後は独立希望者を支援する制度も整えていきたい。独立後も、グループの一員として活躍してほしいですね。

ピッツァ&ワインバール エントラータ ナビオ店(大阪・梅田)
http://r.gnavi.co.jp/3b3wm9dj0000/

本格窯焼きピザや名物「海鮮ブルスケッタ」などが楽しめるバールスタイルの店。なみなみ注ぐワインや箕面(みのお)ビールなど、充実のドリンクも魅力。
野菜×イタリアン mothers 北堀江(大阪・北堀江)
http://r.gnavi.co.jp/k642800/

熟練のシェフが腕を奮う正統派リストランテ。有機野菜20種をビュッフェで味わえるランチなど、リピーターを呼ぶオリジナルメニューが好評。

Company Data

会社名
カラビナフードワークス株式会社

所在地
大阪市西区北堀江3-12-31

Company History

2005年 「野菜×イタリアン mothers 北堀江」オープン
2010年 「イタリア食堂 タベルナ エントラータ 堂島店」オープン
2011年 「イタリア酒場 ENTRATA 茶屋町店」オープン
2012年 「クラフトビアハウス モルト! 梅田店」オープン
2013年 「BEER STAND molto」オープン
2014年 「ピッツァ&ワインバール エントラータ ナビオ店」オープン
     現在、6店舗を展開

※本記事の情報は記事作成時点のものであり、情報の正確性を保証するものではございません。最新の情報はご自身でご確認ください。

ぐるなび通信をフォローする