2016/01/26 挑戦者たち

有限会社レストランバンク 代表取締役 林 秀光 氏

パティシエから始まり、今ではイタリアンや居酒屋を経営する有限会社レストランバンク・代表の林秀光氏。1号店の経験から物件を見極める目を養い、売上を伸ばす。林氏に今後の展望などをうかがった。</

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店舗展開を進め、ドルチェを強化。スタッフの独立も支援したい

パティシエとしてスタートを切り、今ではイタリアンや居酒屋を経営する、有限会社レストランバンク・代表の林秀光氏。1号店の苦い経験から物件を見極める目を養い、今では坪単価2万円以下の店舗で確実に売上を伸ばしている。海外出店も果たした林氏に今後の展望などをうかがった。

――初めはパティシエとして独立を考えたと聞きました。

とにかく手に職をつけたいと思い、漠然とパティシエを目指して高校卒業後、大阪・守口にあるホテルの製菓部に就職しました。4年間パティシエとして働いた後、先輩の誘いでカフェやダイニングの立ち上げを手伝いながら、そこでフレンチやイタリアン、和食などの料理も教えてもらいました。そして2004年、27歳でいよいよ独立することになるのですが、実は当初はパティシエとして、シュークリームの店を出す予定でした。しかし、1個100円程度の商品を売っても、採算がとれない。それならばといろいろ考えて、兵庫の芦屋で2000万円の資金をかけ、お客様自身がロースターで鶏を焼くスタイルの炉端焼店をオープンしました。

ところが、オープン初日はお客様がたったの2組。駅から遠い立地だったこともあり、その後も客足はなかなか伸びずに苦戦しました。

運転資金もわずか半年で不足してしまいましたが、辞めるわけにもいかず、苦しいなかで何とか継続していました。2006年、兵庫・尼崎に2店舗目の「アレグロ 塚口」を出した時も、状況はあまり変わっていませんでした。ただ前に進むしかないと思い、資金を借り入れ、出店を決めました。

――炉端焼とは違う、イタリアン業態を始めたのはなぜですか?

当時、イタリアンが流行っていたからという単純な理由です。それと、2店舗目以降はすべてそうなのですが、店舗の業態は物件に合わせて決めています。ですから、計画的にイタリアンを出店する準備をしていた訳ではなく、決まった物件を前に、とにかくやるしかないという状況でした。

その1年後、同じ尼崎の塚口に「炉端のじんべえ」を出店したのは、ドミナント戦略を考えてのこと。その時もまだ会社の経営状態は苦しいままでしたが、塚口には土地勘もあり、昔ながらの住人を中心に外食する人が多い地域でしたから、商売もしやすく、思い切ってオープンしました。

1975年大阪府堺市生まれ。高校卒業後、大阪の守口プリンスホテルに入社。製菓部門に配属される。4年後に退職し、以降の5年間はカフェやダイニングレストランの立ち上げに関わり、2004年に独立。2011年に行われた第10回ナポリピッツア世界大会で第6位の栄誉に輝く。

――転機となったのはいつですか。また何がきっかけだったのでしょうか?

2008年、大阪・天満に出した「アレグロ 天満」は、石窯付きの居抜き物件だったので、料理人と一緒に本格的にピッツァの技術を磨きました。もともとパティシエだったので、技術や味を追求することは苦になりませんでした。3年ほどたった2011年に、イタリア・ナポリで第10回ナポリピッツァ世界大会があったので出場し、6位に入賞。そこから、劇的に状況が変わりました。多くのメディアに取り上げられ、店も私自身もピッツァの技術を含め、何ひとつ変わっていないのですが、1つの結果が宣伝につながり、味に説得力が増したのか、お客様はもちろん、人材も集まるようになりました。世間に評価されるとは、こういうことかと実感しましたね。

――出店はすべて坪単価2万円以下とか。物件に対する考えを教えてください。

2万円以下というのは、あくまで結果論。それを軸に出店計画をしている訳ではありません。1店舗目の苦い経験から、集客力のあるエリアということは重視していますが、基本は肌感覚が頼りです。例えば大阪なら、梅田は人の往来の絶えない繁華街ですが、表通りの物件には食指が動きません。「トラットリア ピッツェリア アレグロ 梅田店」があるような、裏路地に引かれますね。表通りから一歩入っただけで、まったく違う印象になる。つまり、ギャップですね。そういった物件に出合えた時に出店を決めています。

2店舗目以降の全店舗が居抜き物件なのは、最初に物件を見た時に、がらんどうではイメージが湧かないから。でも、ピッツアの店ならば石窯や床はそのまま利用しますが、結局、大半は新調するケースが多いんです。

――出店ペースが加速するなか、スタッフ教育はどうされているのですか?

2013年には「トラットリア ピッツェリア アレグロ 梅田店」「魚屋のトラットリア アレグロペッシェ」の2店舗を、2014年にはアメリカに寿司居酒屋「JINBEI カリフォルニア店」をオープン。「アレグロ ペッシェ」は出店と同時期に、魚の卸会社の経営権を譲り受けたこともあり、新たに魚に特化したイタリアンにしました。「JINBEI カリフォルニア店」で働いているスタッフは、現地の日本人が中心ですが、国内で育った日本人とは文化や仕事に対する考え方などが違うので、苦労することも多い。ただ、それも含めたすべてが刺激的で楽しいですね。アメリカへの出店は、国内のスタッフが海外でも経験できるという点で、モチベーションアップにもつながっていると思います。

スタッフ教育は、通常のミーティングのほか、社内SNSを活用しています。デジタルツールは、従業員の年代を考えた時に有効だと感じますね。そこに、全店舗の店長がその日のおすすめメニューなどを毎日アップするのですが、問題点があれば、すぐ指摘します。店として本当に売りたいものが明確になっているかということを重視し、飲食店として常に80点以上が取れる営業を意識させています。あと、ブログもこまめに書いています。スタッフもブログを見てくれているので、メッセージが一度で伝わるのがメリットです。また年に一度、約2週間のイタリア研修も行っていて、ワイナリーなどをまわり、イタリアンの源流を感じてもらっています。

社員旅行での一コマ。スタッフとの密なコミュニケーションが、日々の繁盛店づくりにつながっている

――今後の会社としての目標を教えてください。

アメリカの店舗は今後、増やしていきたいですね。この1、2年を目途に業態は焼肉を予定しています。現地スタッフの仕事ぶりを見ていると、寿司業態などはハードルが高いと感じています。その点、焼肉業態は細かいオペレーションが必要ではないので、実現性が高い気がしています。

また国内では、ドルチェ店「アレグロドルチェ」を強化します。これまで、全店舗にデザートを卸すイタリア菓子専門店として営業していましたが、それではパティシエとしての技術が十分育たない。もし会社を辞めた時にも、ほかの店でちゃんと通用するようなパティシエになってほしい。そのために今後は、フランス菓子の技術も本格的に取り入れることにしました。

当社で働く人には、技術を磨きつつ、広い視野で人生を歩んでほしいと思っています。そのために近い将来、独立支援制度も導入する予定です。具体的には、店長を経験し、その後、店を買い取るかたちで安全な独立として進めます。そうすることで、ブランド力を活かした、ある程度安定した経営が実現でき、独立の夢も叶えられる。新規の店をオープンするだけじゃない選択肢を、この支援制度で与えていきたいんです。骨格はすでにできていて、希望者も何人か手をあげています。

日本国内、アメリカでの出店。「アレグロドルチェ」の強化、独立支援制度の整備、当面はこの3点を中心に力を注いでいきたいと思っています。

トラットリア ピッツェリア アレグロ 梅田店(大阪・梅田)
http://r.gnavi.co.jp/c741701/
梅田・お初天神エリアの裏路地に立地。ナポリ伝統の製法に忠実に、無添加で焼き上げたピッツァが人気で、宴会での利用も多い。
JINBEI カリフォルニア店(米・カリフォルニア)
2014年にオープンした海外進出1号店。寿司のほか、様々な居酒屋メニューをそろえ、現地に住むアメリカ人にも人気。

Company Data

会社名
有限会社レストランバンク

所在地
兵庫県尼崎市塚口本町4-8-1
グンゼタウンセンターつかしんにしまち 2F

Company History

2006年 「アレグロ 塚口」オープン
2007年 「炉端のじんべえ」オープン
2009年 「アレグロ 塚口」オープン
2011年 「アレグロドルチェ」オープン
2013年 「トラットリア ピッツェリア アレグロ 梅田店」オープン
2013年 「魚屋のトラットリア アレグロペッシェ」オープン
2014年 「JINBEI カリフォルニア店」オープン
2015年 「立ち飲み じんべえ 梅田店」オープン

※本記事の情報は記事作成時点のものであり、情報の正確性を保証するものではございません。最新の情報はご自身でご確認ください。

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