2016/02/15 挑戦者たち

株式会社 WONDER CREW 代表取締役 渡邊 智紀 氏

学生時代の飲食店でのアルバイトをきっかけに、起業を決意した株式会社WONDER CREW 代表取締役の渡邊智紀氏。熱いチャレン精神で、現在は15店舗を展開。目指すは飲食業界のリーディングカンパニーだ。

URLコピー

周囲への感謝の気持ちを忘れず、仲間とともに挑戦を続けたい

学生時代の飲食店でのアルバイトをきっかけに、起業を決意したという株式会社WONDER CREW 代表取締役の渡邊智紀氏。24歳の時に夢の実現に期限を設け、有言実行。実家の店を手伝うなかで培ったおもてなしの心、熱いチャレン精神で、札幌を中心に15店舗を展開するまで成長。目指すは、飲食業界のリーディングカンパニーだ。

――飲食業での起業を志すようになった理由を教えてください。

最初は飲食業というより、サービス業全般に興味がありました。実は、両親がお好み焼店を営んでいて、小さい頃からよく店を手伝っていたのです。毎日、店の売上を親に聞いて、「お客様がいるから生活ができるんだなあ」なんてことを、子どもながらに理解していたのだと思います。

ある日、1人で店番をさせられたことがあったのですが、お客様が来た時、本当にうれしくて、自然に「いらっしゃいませ!」という言葉が出ました。それが、接客が楽しいと感じた瞬間でしたね。高校、大学時代にはラーメン店や居酒屋でアルバイトをしましたが、ふと、自分が言っている「いらっしゃいませ」に、子供の頃、実家の店を手伝っていた時のような純粋な感謝の気持ちがこもっていないことに気が付きました。その理由はおそらく、生活がかかった自分の店ではないから。そこで、あの時の「いらっしゃいませ」が言えるよう、サービス業で起業しようと決心しました。

大学卒業後は、東京に出たい一心で紳士服販売チェーンに就職。神奈川・横須賀の店舗に配属されました。近くに友人もいなかったので、遊ぶこともほとんどなく、ひたすら自己啓発本を読んでいました。そして、24歳の時に読んだ本に触発され、「資金を貯めて28歳までに独立、30歳で3店舗体制にする」と、計画を立てたのです。

――実際には27歳で1店舗目を出店されました。その経緯は?

就職して2年目、仕事の帰りに自転車に乗っていて、車にはねられたことがきっかけでした。目が覚めたら救急車の中で…。その時、「こんなところで死んでたまるか。早く札幌に帰って起業しよう」と強く思いました。そして、1年後に紳士服チェーンを退職し、貯めた資金を手に札幌に帰りました。この時には「飲食店をやろう」と、明確に方向が決まっていましたね。

まず、求人情報誌で見つけたイタリアンダイニングにキッチンスタッフとして入り、調理を学びました。同時に出店する物件も探していましたが、何の実績もないため、なかなかいい物件は紹介してもらえません。Webなどで気になったところを片っ端から内覧するなかで、ひと目で気に入った物件がありました。繁華街から離れた立地でしたが、一軒家のビストロの居抜きで、内装がとてもおしゃれだったんです。業態は物件を見て決めるつもりで、最初はハンバーガー店を考えたのですが、先輩にバルが流行っていると言われ、「それならいけるかも」と直感しました。ただ、バルをやるにしても、何か自分の色を出せないかと考えていた折、ある居酒屋でトマト嫌いの女の子が「ここのトマトなら食べられる」と言ったことがヒントになりました。野菜料理を売りにしたバルなら、女性を呼べるのでは、と考えたのです。

次の課題はスタッフでした。資金がギリギリで求人にお金はかけられない。そこで、調理師学校の前でスカウトしたり、前職や仲間のツテを使ったりして人材を集めました。そして、会社を辞めてから1年後の27歳の時に「北海道農園野菜バル Veggyの家」をオープン。お客様にとって第2、第3の家であってほしいという想いを込めて、“家”とつけました。最初の3カ月は苦戦しました。でも、地道にメニューやサービスをブラッシュアップし、お客様一人ひとりを心からおもてなしするうち、リピーターが増え、今は月に500万円を売り上げるまでに。客層は95%が女性です。

僕は、「情熱は人の心を動かす」という言葉が好きで、スタッフにもお客様にも一生懸命接すれば、熱意は伝わると信じています。店舗のロゴなどをデザインしてくれた幼なじみのデザイナーも、僕が熱意をもって楽しそうに仕事をしているのを見て、一緒にやりたいと入社した人物です。

1982年9月札幌生まれ。幼少期から実家のお好み焼店を手伝い、学生時代は飲食店でアルバイト。大学卒業後は紳士服チェーンに就職するが、起業を志して退職し、27歳で1号店を出店した。明るい人柄と情熱を武器に着実に店舗を拡大。好きな言葉は「情熱は人の心を動かす」。

――その後、多彩な業態を開発し、FCも展開。物件や業態に関する考えは?

1号店から1年半後に、「スペインバル Little VEGGY」を、次いでその2年後に、牡蠣が売りの海鮮創作イタリアン「FISHMANS MARUYAMA」を出店。30歳で3店舗の目標を達成し、今年の3月には、全15店舗8業態になります。

物件は坪1万円以内が鉄則で、居抜きも活用しています。また、路面に店舗の顔を作りたいので、2階以上の物件には基本的に出店しません。これまで、物件の周囲の状況を綿密に調べ、そのエリアにニーズがある業態を開発してきました。できる業態が広がれば、どんな物件、立地にも対応できます。スタッフにとっても働く店の選択肢が増える。ただ今後は新業態を開発するよりも、好調な「EZOBARUBANG! BANG!」「大衆肉酒場がつり」を中心に展開する予定です。

フランチャイズについては、業者さんの紹介で最初の「EZOBARUBANG! BANG!」FC店ができ、今は2店舗になりました。全国どこでもOKですが、当社の考えを理解してくださる方にお任せするつもりです。

――多店舗になるとより人材が重要です。人材育成についてのお考えは?

やらせて、任せて、失敗させて、学ばせる。それが僕のやり方。そして、とことん裏切らないことがモットーです。逆に裏切られても、何度でもチャンスを与えて、立ち直らせます。

現在は2カ月に1回、全店を休業して「飲みに研修」を実施しています。昼前に集まって昼食をとり、気になる店などを視察した後、約5時間研修をします。数字のこと、サービス、ビジネスマナーなどテーマは様々で、外部から講師を呼ぶこともあります。その後は、料理人は作りたい料理、ホール担当は飲みたいドリンクを作り、業者さんも含めて、皆でワイワイ飲み食いします。交流の場であり、新メニュー提案の場にもなっています。

昨年は人事部、総務部、広報部を作るなど、社内の体制を整備しました。今後を見据えつつ、いま現在、現場で働くスタッフに、本部で活躍する道を作ることも目的の1つです。さらに今、行動指針となるクレドも作っているところです。

創業店舗「Veggyの家」5周年パーティでの一コマ。熱意のあるスタッフとともに、今後の会社の発展を目指す

――今後の目標を教えてください。また、飲食業界の後輩へのアドバイスを。

近々の目標は、決算期の9月までにFCを含めて20店舗、売上はFCを除き8億円を達成すること。昨年始めた自社ファームも軌道に乗せたいと思っています。その後は2020年までに上場、そして、60店舗を目指します。会社全体としては飲食だけでなく、食とIТ、食とデザインなど、事業の領域を広げていきたいですね。

飲食業で成功を目指す人へ言えることは、業者さんを大事にしてほしいということ。僕は以前、業者さんを見下していたような時期がありました。しかしある時、業者さんはともに売上を作るパートナーだと気付き、感謝を持って接するようにすると、売上もアップしたんです。こうした皆さんの協力を得て、仲間と挑戦を続け、日本一の飲食企業を目指します。

EZOBARU BANG!BANG!札幌大通店(北海道・札幌 すすきの)
http://r.gnavi.co.jp/jxngbmww0000/
釜焼きピッツァと北海道産の食材を使ったイタリアン料理、ワインなどをおしゃれな店内で手頃な価格で楽しめる、すすきのの人気店。
大衆肉酒場 がつり(北海道・札幌 北24条)
http://r.gnavi.co.jp/hdcejznu0000/
A4ランクの十勝和牛、A5ランクの白老和牛など北海道産和牛をリーズナブルな価格で堪能できる、肉好きにはたまらない大衆酒場。

Company Data

会社名
株式会社 WONDER CREW

所在地
北海道札幌市中央区南2条西1-7-1 弐番館ビル 3F

Company History

2010年 「北海道農園野菜バル Veggyの家」オープン
2011年 株式会社WONDER CREW設立。「スペインバルLittle VEGGY」オープン
2013年 「FISHMANS MARUYAMA」オープン。ラーメン店「べじそばななつき」オープン
2014年 「AZABARU バンバン!! 麻生店」オープン。「EZOBARU BANG!BANG!札幌大通店」オープン
2015年 大衆肉酒場 がつり」オープン
2016年 「Azabaru BANG! BANG! 北18条店」オープン

※本記事の情報は記事作成時点のものであり、情報の正確性を保証するものではございません。最新の情報はご自身でご確認ください。

ぐるなび通信をフォローする