2019/01/17 挑戦者たち

株式会社 COMATSU 代表 松村 宗孝氏

一度は他業に就いたが、性に合うのは飲食業だったという株式会社COMATSU 代表の松村宗孝氏。独立後はその街で喜ばれる店を目指して出店し、今では出店依頼が舞い込む。東京進出も控えた松村氏に聞いた。

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街が輝く店づくりを目指して、ボトムアップで挑戦を続けたい

――アパレルや酒販業も経験したとか。飲食での起業を目指した経緯は?

 福岡県の西鉄久留米駅近くで、実家がスナックのような小さなバーを営んでいました。20席くらいの空間に近所の人が集まる、溜まり場みたいな店で、バーテンダーの父がすごく楽しそうに仕事をしていたことが、今も記憶に残っています。子どもの頃は店の掃除を手伝ったり、シェーカーで植木に水をやったりしていましたね。

 店の2階に住まいがあり、周囲は商店街。同級生にも飲食店や商店の子が多く、自営業は身近なものでした。ただその反動か、憧れたのはサラリーマンで、高校卒業後、地元のアパレル会社に就職。最初は洋服を売っていましたが、その会社には飲食部門があり、しばらくして系列のカフェに異動しました。そこで気がついたのは、「やっぱり飲食業が性に合っている」ということ。その後、お酒を飲める年齢になると、自分もバーテンダーになりたいと思い、会社を辞めてバーで働きました。地元には友人も、父の知人もたくさんいて、居心地はよかった。でも、「このままここにいていいのか?」と考えるようになり、知り合いのいない場所で働こうと決意し、上京。お酒についてもっと勉強するため、酒販店に就職しました。そして、個人的にもいろいろな店を飲み歩くなかで、アイリッシュパブのような、地域の人々が集まる酒場を作りたいと思い、本場のパブを見ようとイギリスへ飛びました。ロンドンは都会すぎて2日で逃げ出しましたが、スコットランドやアイルランドの田舎町はとても楽しくて、現地の酒場も体験。いつかこういう店を創りたいと、明確な目標ができました。

 3カ月のイギリス滞在から帰国した後は、料理をはじめ本格的に飲食業を学ぼうと、当時まだ1店舗だった福岡市の小野グループ(有限会社ディー・ディー・カンパニー)に就職。店長を経て、寿司、居酒屋、洋食、ラーメン店など様々な業態の立ち上げに携わりました。小野グループで働いた11年間がなければ、今の自分はありません。

――11年働いた会社を辞め、独立したきっかけは何だったのでしょうか?

 「いつかは独立しよう」「現状に甘えてはいけない」と、常に思ってはいましたが、具体的に計画していたわけではありません。そんななか、2011年に父が亡くなり、同じ年に東日本大震災があって、「人はいつ死ぬかわからない」と思い知ったんです。最後まで好きな仕事を楽しそうにしていた父。その笑顔を思い出し、後悔しないように、やり残したことがないように生きたいと思いました。そこで、小野(孝)社長に、独立の意思を伝えました。

 実はそのとき、独立は早くても1年後くらいにと、考えていたんです。資金もありませんでしたし、プランもなかった。でも、小野社長は「思ったときが、実行するときだ」と言って、背中を押してくれました。そこで、2011年の11月11日に独立・開業。小野社長はグループの2店舗目で、私が初めて店長を務めたダイニング・バーを譲ってくれました。それが1号店「COMATSU 大名店」です。

Munetaka Matsumura 1975年、福岡県久留米市出身。高校卒業後、アパレルや酒販業に従事した後、渡英を経て福岡市の外食企業に就職。店長のほか、様々な業態の立ち上げを経験し、36歳で独立。欧風料理店・酒場を中心に、博多・天神エリアで8店舗を展開。2019年秋には東京・日本橋での出店が決まっている。

――独立後は順調に出店を重ねています。新店の出店・業態の決め方などは?

 最初から多店舗展開をしようと決めていたわけではありません。むしろ、小さな酒場1店でもよかった。でも、新店の立ち上げなど、培った経験を活かしたい気持ちもありましたし、スタッフが優秀で、彼らが活躍できるステージを作りたい、彼らにいろいろな経験をしてほしいと思うように。そこで、“欧風大衆酒場”を中心に出店していき、現在、博多・天神エリアに8店舗を展開しています。ただ、積極的に物件を探し求めたわけではなく、いつも“出会い”。不動産屋さんや知り合いから、「COMATSUさん、やってみない?」と声をかけていただき、出会った物件に導かれて、ここまできました。

 出店の決め手は、「ここに、こんな店ができたら喜ばれるだろうな、街が輝くだろうな」という感覚。同じような店は作りたくないので、1店1店、かなり精査はします。おもしろいもので、「こんな店が作りたいなあ」と考えているときに、ちょうどいい物件を紹介されたり、反対に考えたこともない物件を紹介されたりして、チャレンジ精神をかき立てられることもあります。

 例えば、3店舗目の「COMATSU Premier」(福岡・大名)は、ヨーロピアンテイストなホテルの1階。朝食からの提供で、高級感も必要でした。出店依頼をいただいたとき、正直、当社でできるかなと迷いました。おしゃれな一画ですが、人通りが少なく、もっと活気がほしいというのが、物件のオーナーの想いでもありました。その気持ちは、私も同じ。チャレンジはもともと好きなので、ヨーロッパの街角にあるカフェをイメージして店づくりをしました。テラスもあって、若い人も立ち寄ってくれるようになり、いい雰囲気が生まれています。

――社内の人材が豊富と聞きました。秘訣はどこにあるのでしょう。

 現在、社員は約50人。飲食業界は人手不足が叫ばれていますが、当社は人材に困ったことがほとんどありません。スタッフや知人からの紹介だったり、お客さんだった人が働きたいと言ってきたり。採用面接で重視するのは、とにかく元気で明るく、素直であること、そして、チームの一員になれるかどうかです。社の風土に合うかは、1~2分話せばわかりますから。入社後、特別な教育は何もしていないのですが、みんな楽しそうに働いてくれています。どうしてなのか、私自身もよくわからないのですが、強いて言えば、信頼して任せているからかもしれません。

 2店舗目の「COMATSU 今泉店」を開店したタイミングで子どもが生まれ、一時、現場を離れざるを得なくなりました。業績は下がるだろうと覚悟したのですが、結果は逆。結局、私はスタッフの才能に気がついていなかったんです。この経験でスイッチが切り替わりました。スタッフを前面に出しつつ、自分は裏で支える役に回ろうと。だから、社員がやりたいことは、どんどんやります。社内に「セントラルコマツ」という部門を立ち上げ、メニューブックなどのデザインやワインの輸入業を始めたのも、やりたいという社員がいたからです。

2018年、ホノルルマラソンにスタッフとともに出場した松村氏(中)。仕事以外でも挑戦することが好きだという

――他業種への進出も視野にあるとか。課題や今後の展望を教えてください。

 社員から幼稚園やキャンプ場をやりたいという声もあるので、現在は可能性を探っているところです。時間があれば、近隣のキャンプ場を見て回っていますが、時期が来れば“出会い”はやってくるものだと思っています。

 課題は、社員の増加に伴う会社の制度設計。より透明性の高い評価制度が必要ですし、理念や風土の浸透にも、これまでとは違う努力が求められます。

 2019年秋には、東京・日本橋の商業施設への出店が決まっています。依頼をいただいての挑戦ですが、東京は刺激をもらえる場所。スタッフの勉強の場としても格好の機会なので、不安以上にワクワクしています。

Company Data

会社名
株式会社 COMATSU

所在地
福岡市中央区大名1-10-6

Company History

2011年 1号店「COMATSU 大名店」の経営を開始
2013年 株式会社COMATSUを設立
2014年 「COMATSU 今泉店」「COMATSU premier」オープン
2016年 「リバーサイドコマツ」オープン
2017年 「ニューコマツ」「地下のニューコマツ」などをオープン
2018年 ワイン輸入業を開始。「パーラーコマツ」をオープン

リバーサイドコマツ(福岡・天神)
https://r.gnavi.co.jp/rb11e3dw0000/
地下鉄天神南駅至近、那珂川沿いにある欧風大衆酒場。カウンターがメインで、ラムチョップグリルやワイン、ハイボールなどが売り。
パーラーコマツ(福岡・天神)
https://r.gnavi.co.jp/rb2excfv0000/
駅ビル地階の飲食店街にある欧風料理店。酒類も豊富で、ランチからちょい飲み、ディナーまで、幅広いニーズに応える人気店。