2020/01/23 特集

RED U-35 2019準グランプリシェフ対談企画 成田陽平氏×野田達也氏

日本最大級の料理人コンペティション「RED U-35」。2019年は「グランプリ該当者なし」となったが、成田陽平氏と野田達也氏が準グランプリを受賞。以前から知り合いだった2人は、互いの背中を見て成長を続けている。

URLコピー
野田達也氏
1985年、福岡県生まれ。福岡調理師専門学校卒業後、東京とパリのレストランでフレンチをベースに経験を積む。ケータリングやパーティなどで、世界各国のシェフや芸術家とのコラボレーションに参加。現在は、ホテルやレストランを運営する「コレクティブメゾン nôl」(東京)に所属し、「Défricher cuisine(開拓の料理)」を掲げて活動。RED U-35 2015、2019準グランプリ、同2016シルバーエッグを受賞。
成田陽平氏
1985年、青森県生まれ。東京調理師専門学校で西洋料理を学び、東京とフランスのレストランでフランス料理の腕を磨く。渡仏中に日本料理にも関心を持ち、27歳のときに京都の日本料理店「菊乃井」での研修を経て、その後、同店に入店。日本料理人として皿洗いから修業を始める。現在、同店の料理人として活躍。RED U-35 2016、2019で準グランプリを受賞。

互いに、次の高みへ――

最初の出会いから10年。交差した2人の料理人人生

――同じ年に生まれたお二人が、「RED U-35 2019」で準グランプリに輝きました。それぞれのこれまでの歩みを教えてください。

野田
 実は私たちは、10年ほど前に初めて出会いました。当時、私は福岡で調理師専門学校に通い、夏休みに東京のフランス料理店で研修することになりました。その店で料理人をしていたのが成田さん。彼は、私に最初に料理を教えてくれた1人なんです。

成田 そのときの野田さんを、よく覚えています。私は料理人を目指して青森から上京し、東京の調理師専門学校を卒業して、フランス料理店に就職していました。そこに福岡から来たのが野田さん。その後、連絡を取り合うことはありませんでしたが、同い歳の彼をどこかで意識していました。

野田 そのころの成田さんは、すでに料理人で自分はまだ調理師専門学校に通う学生。それ以前、10代の頃の自分は、周りに迷惑ばかりをかけるダメな人間でした。結局、20歳で高校を卒業し、コンピューター関連の仕事に就きますが、人と直接関わる仕事で人に喜ばれ、恩返しができる人間になりたいと考え、選んだのが料理の道でした。

成田 私は青森のりんご農家に生まれ、食材が豊かな土地でおいしい料理に囲まれて育ちました。ですが、青森を出て広い世界を見たいと強く思い、その手段として料理人を目指すことにしたのです。専門学校で学び、海外研修で現地を訪れるうちにフランス料理に引かれ、卒業後は日本のフランス料理店で4年半働いた後に渡仏。2年間のフランス生活では、美食大国の奥深い伝統に感銘を受ける一方で、日本料理について聞かれることも多く、関心を持っていました。そしてパリのアラン・デュカス氏の店で働いていたときに、京都の日本料理店「菊乃井」の村田吉弘氏がデュカス氏と1日だけのコラボイベントを行いました。そこで村田さんに出会って、自国の文化をもっと勉強しなければと思うようになったのです。

野田 成田さんの先輩シェフに成田さんの消息を何度か尋ねていたのですが、最初は「成田くん、フランスに行ったよ」と。頑張っているんだなと思っていたのですが、しばらくすると「彼、日本料理をやっているみたい」と聞いて驚きました。でも、それからも成田さんの動向を意識していました。

――成田さんは日本料理へ進み、野田さんは様々な店で働くようになりますが、それぞれの転機は?

成田
 村田さんに出会った頃、ちょうど帰国のタイミングだったので、「菊乃井」で2週間、研修をさせてもらいました。そのときは日本料理に進もうと思ったわけではなく、経験として2~3年間日本料理に携わってもいいかもしれないと思い、そのまま「菊乃井」で雇ってもらいました。20代半ばを過ぎていましたが、それまでのキャリアは一切関係なく、皿洗いからの再出発。それでも、日本料理や日本の食文化の奥深さに触れ、どんどん追求したい気持ちが沸いてきました。

野田 私もフランス料理の本場を見たくて1年間パリで働き、帰国後は稼ぐために料理人専門の派遣会社に登録し、様々な業態の店で働きました。2017年には再度、渡仏。そんななか、ケータリングやパーティなどにも携わり、世界の一流シェフや他ジャンルのアーティストと仕事をする機会にも恵まれ、多くのことを学びました。レストランの哲学や料理人の情熱などに触れて感銘を受けるとともに、共通言語のように人や場所、文化によっていかようにでも形を変えていく料理に、大きな可能性を感じました。また、店舗に属することだけが料理人のあり方ではなく、ケータリングなど店舗以外の働き方も魅力に感じ、食べる人が幸せになる空間を共有できれば、レストランという形態に捉われる必要はないのではと考えるようになりました。新しいタイプなどと言われるのですが、狙ったわけではなく、目の前の課題に必死に取り組んで見えてきたという感覚です。

全2ページ