2020/02/18 特集

注目シェフ クローズアップ(前編)~料理界の若き旗手にいま聞きたい、10 のこと。

いま注目を集める若手料理人への10の質問でそれぞれの素顔を解き明かす。前編では「虎白」の小泉瑚佑慈氏、「Restaurant Sola」の吉武広樹氏、「l’algorithme」の深谷博輝氏、「茶禅華」川田智也氏が登場。

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更新日:2022.6.8

目次
「虎白」店主 小泉 瑚佑慈
「Restaurant Sola」オーナーシェフ 吉武広樹
「l’algorithme」オーナーシェフ 深谷 博輝
「茶禅華」料理長 川田 智也

 いま注目を集める8名の料理人。さまざまな分野で活躍する彼らは、これまでどんな道を歩み、日々どんなことを考え、どんな未来を描いているのか。10の質問でそれぞれの素顔を解き明かす。前編では「虎白」の小泉瑚佑慈氏、「Restaurant Sola」の吉武広樹氏、「l’algorithme」の深谷博輝氏、「茶禅華」川田智也氏が登場する。

【後編はこちら】
注目シェフ クローズアップ(後編)~料理界の若き旗手にいま聞きたい、10のこと。

「虎白」店主 小泉 瑚佑慈

食材の新たな魅力を引き出し、“振り切った感動”を創造したい

小泉 瑚佑慈(こいずみこうじ) 1979年、神奈川県生まれ。調理師専門学校を卒業後、日本料理「岡ざき」で石川秀樹氏に師事。2003年、石川氏が独立・開店した「神楽坂 石かわ」に、創業から従事。2008年、「虎白」の店主となり、キャビアやトリュフなども巧みに取り入れた日本料理を探求。「ミシュランガイド東京2016」で国内最年少三つ星シェフとなり、以降、最新の2020年まで5年連続三つ星を獲得中。
虎白(こはく)
東京都新宿区神楽坂3-4
https://kagurazaka-kohaku.jp/
東京・神楽坂の路地に佇む24席の日本料理店。日本料理の軸をぶらさずに、その新たな魅力や価値を追求する。ディナーのおまかせコースのみで、調理の様子を間近で見られるカウンター席も人気。

料理人を目指したきっかけ

 高校生のとき、調理師専門学校へ見学に行く友人に付き合い、体験入学にも参加して、料理人もいいかなと思ったことが始まりでした。実は当時、料理に対して特別な思い入れはなく、卵もうまく割れなかったほど。ただ特段器用だったわけでもないのですが、身に付けた技術で人に喜んでもらえる仕事ができたらいいなあと、漠然と考えていたのは確かです。父は銀行員でしたが、祖父は煎餅店の経営を経て設計の仕事を始め、母方の祖父は大工の棟梁。2人の祖父にどこか共感していたのかもしれません。調理師専門学校に入学した際には、この道でしっかり生きようと決意し、早く技術を身に付け、上手に料理を作れるようになって、役に立ちたいと思っていました。日本料理を選んだのは、単純に日本人だからです。でも、季節に合わせて器を選び、しつらえに工夫を凝らす日本料理のありようを教わり、奥深い素敵な世界だと感じるようになっていきました。卒業後の1年間は、東京・新宿の割烹料理店で働き、その後、縁あって石川秀樹さんが料理長を務める日本料理店「岡ざき」(東京・八重洲)に入店。休憩時間も包丁を研いだり、野菜の切れ端で刻みの練習をしたりと料理浸けの日々でしたが、嫌だと思ったことも、苦に感じたこともありませんでした。

独立の経緯と独立で重要だと思うこと

 2003年、石川さんが「岡ざき」から独立するときに誘っていただき、「神楽坂 石かわ」(東京・神楽坂)に創業から携わりました。5年後、そろそろ自分の店を持ちたいと考えていたとき、「神楽坂 石かわ」の移転が神楽坂内で決まり、もとあった場所に姉妹店を出すことになりました。それが「虎白」です。オーナーは石川さんですが、店主は私。サポートを受けつつ、28歳のときに社内起業のような形態で、独立を果たしました。オープン当初の料理は、今よりイノベーティブ(革新的)でしたね。椀物であれば、あえてガラスの器に盛り付けることで視覚的な驚きを誘ったりもしました。当時を振り返ると、気恥ずかしくなりますが、このときの冒険的な試みがあったからこそ、今の「虎白」につながったのかもしれません。

 自分の店を持つときに大切なのは、支えてくれるすべての人への感謝の気持ちを忘れないこと。最終的に一皿を作るのは料理人ですが、命をかけて食材を生み出す漁師や生産者、それをいい状態で運んでくれる業者、お客様にサーブする店のスタッフらがいて、初めて成り立つのが飲食店です。みんなに、「虎白」と仕事ができて幸せだと思ってもらえてこそ、お客様にも喜んでもらえる店になるのですから。

自身の料理スタイル

 「虎白」をオープンするとき、「ここでしか食べられない日本料理」でお客様に喜んでほしいと考えました。出汁を引き、旬の食材を活かすという日本料理の軸は崩さずに、食材の新たな魅力を引き出すため、トリュフやキャビア、フカヒレなど日本料理では使われてこなかった食材も取り入れ、バターやチーズを使ったり、味噌やしょうゆの使い方を工夫するなど試行錯誤を重ねました。予想ができるおいしさではなく、初めて出合う味わいを創り出してこそ、お客様に「振り切った感動」を持ってもらえるはず。例として、「虎白」の看板料理の1つである「鮎の塩焼き」は、トリュフソースで提供し、斬新なおいしさを引き出しています。このとき「おいしいけれど、やっぱり鮎は塩焼きのままがいいね」と思われてしまっては、トリュフと合わせた意味がありません。塩焼きは定番ですが、それ以上の鮎にするためには何が必要なのか、どんな食材とどのように組み合わせ、どう調理するかを追求することが私のスタイルなのです。

成長につながった成功や失敗

 修業時代の失敗はいろいろあります。そばつゆと煮魚の汁を間違えてお客様に出してしまったり、大晦日の掃除に寝坊してしまったり……。でも、石川さんから直接指導を受けた記憶はほとんどありません。むしろ、信頼して任せてくれたことで、自ら考え行動する力が養われました。店のために、自分がいま何をするべきなのかを常に考えていたことが、私を成長させてくれたのだと思います。

日々、習慣にしていること

 感謝の気持ちを忘れないため、毎日30回ほど、生産者、スタッフ、家族、お客様、すべての神仏に対して、心の中でお礼を言います。また、営業前と営業後の2回、店の神棚に手を合わせ、月1回は店の近くにある東京大神宮に参拝します。

スペシャリテ、自慢の一品

「虎白」のお造りは、旬魚の刺身を、カツオと昆布の出汁をベースに橙としょうゆを合わせたジュレと季節の薬味で。この日の魚はコシビ(クロマグロ)

 お造りはたいてい、しょうゆとわさびで食しますが、「虎白」では、カツオと昆布で引いた出汁に橙(だいだい)を絞ってしょうゆで香りを付け、ゼラチンでジュレにして旬の魚と合わせます。魚種によってジュレの酸味を調整し、ミョウガや花穂紫蘇(はなほじそ)など季節の薬味をあしらいます。当店ならではのお造りだと思います。「しんじょう」も、カニやエビなどの定番の食材以外で作ることが「虎白」流。「今日のしんじょうは何が出てくるか楽しみ」と常連さんにも好評です。

座右の銘、好きな言葉

 「楽しむ」こと。仕事は楽しめることが、とても大切です。楽しんでこそ、多くの発見や気づきにつながります。

趣味や休日の過ごし方

 朝、熱めのシャワーを浴び、休みの日には10㎞ほど走ることもあります。健康な体を保って、いい仕事をするためです。お客様は数カ月も前から来店を楽しみにしているのですから、それを裏切らないように体調管理に努めています。また、とにかく食べることが好きなので、店や食材の評判を聞けば、日本中に食べに行きます。勉強を兼ねて行くのですが、おいしいものを食べることが仕事に役立つわけですから、料理人は本当にいい職業です。

目指す料理人像

 一生、新しいものをつくり続ける料理人でいることです。70~80歳になった頃には、週3日くらいの営業で、常連のお客様と語り合える小さな店を持ち、若いシェフの店を食べ歩きたいですね。また、自分の知識と技術は、病院食などにも活かせるのではないかと思っていて、そうした社会貢献の道も探りたいです。

2020年の目標や予定

 「虎白」で働く料理人がまもなく、当店のある神楽坂エリアで寿司割烹「波濤(はとう)」を出します。さらに、「神楽坂石かわグループ」として、新たに2店舗を年内にオープン予定です。一人立ちする彼らをしっかりサポートし、若い料理人が独立しやすい仕組みづくりを強化したいですね。個人的には41歳となり、本厄を迎えます。これまでの生き方を見つめ直し、今後の料理人人生をじっくり考えようと思っています。

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「Restaurant Sola」オーナーシェフ 吉武広樹

「自分が輝ける場所」で、社会課題に取り組むレストランを

吉武広樹(よしたけひろき) 1980年、佐賀県生まれ。調理師専門学校卒業後、東京・南青山のフレンチ「ラ・ロシェル」に入社。世界約40カ国を放浪し、パリの「アストランス」を経て、シンガポールやパリで出店。2012年、パリでミシュランガイドの一つ星を獲得し、2014年「RED U-35」でグランプリを受賞。2018年12月、福岡・博多に「Restaurant Sola」を出店。「ミシュランガイド福岡・佐賀・長崎2019特別版」で一つ星を獲得。
Restaurant Sola(ソラ)
福岡県福岡市博多区築港本町13-6 ベイサイドプレイス博多C館2F
https://r.gnavi.co.jp/pud531550000/
福岡・博多港にある複合商業施設内に立地し、フレンチをベースにしたコース料理を提供。天井の高い120坪の広い空間と海が見えるロケーションが魅力的で、オープンキッチンの奥には“ラボ”として機能する厨房もある。

料理人を目指したきっかけ

 小学生の頃に見たテレビ番組「料理の鉄人」の影響が大きいですね。あと、今パティシエになっている姉が、料理をテーマにした漫画をたくさん持っていたのもあると思います。高校卒業時、美容師か料理人になるために専門学校への進学を考え、料理への興味のほうが強かったのでこの道に進むことにしました。また、フランス料理を選んだのは、「料理の鉄人」で“フレンチの鉄人”として活躍していた坂井宏行さんに憧れたから。坂井さんの店「ラ・ロシェル」(東京・南青山)などで修業した後、世界を自分の目で見たくて、包丁を持って約40カ国を1年かけて旅し、シンガポールとフランス・パリで自分の店を持ちました。

独立の経緯と独立で重要だと思うこと

 2010年、パリに出した「Restaurant Sola」は共同経営でしたが、博多の「Sola」はオーナーシェフ。パリから帰国して日本で店を出そうと考えたとき、頭の中には東京の一等地しかありませんでした。実際に商業施設からお誘いもあったし、やれる自信もありました。しかし、稲本健一さん(株式会社ゼットン創業者)に「おまえらしくない」と言われて考えが変わりました。私の料理には都心のビルという箱の中ではなく、もっとふさわしい場所があるのではないか、という指摘だったと思います。

 そこで、土地勘のある福岡で探し始め、「ベイサイドプレイス博多」に出合いました。もともと、海に臨む広いスペースに魅力を感じていましたし、福岡は現在も人口が増加している可能性のある都市。ただ、周囲からは猛反対されました。市内中心部からやや距離があって、以前開発に失敗したエリアということもあり、地元ではあまりよいイメージがなかったからです。でも、私はここには明るい可能性しかないと思っています。海辺の開放的な空間はお客様もスタッフもポジティブな気持ちにしてくれますし、家賃が安いので設備投資に資金を回せるうえ、スタッフにも還元できる。厨房だけで40坪もあるので、その一角は“ラボ”として機能させ、様々なチャレンジができています。今はまだ、周囲の人の流れは十分ではありませんが、私たちの活動次第で未来が開けるはずです。独立するときはどうしても立地やメニューなど前例を踏襲しがちになりますが、そうではなく、自分を見つめ直し、もっとも輝ける場所や方法を選ぶことが大切だと思います。

自身の料理スタイル

 フランスの「Sola」時代の話ですが、人々は時代のトレンドにとても敏感で、私もレストランには何が求められているのかを感じながら料理をするようになりました。例えば近年、世界的に「サステナブル(持続可能性)」や「フードマイレージ(食料輸送距離)」などの動きが広まり、水産資源の枯渇やゴミ問題も深刻です。また、日本では被災地支援の必要性も高い。これからは、どの業界もこうした社会的な課題を視野に入れつつ、発信する必要があります。博多港に作った「Sola」は、そのための拠点。食材はできるだけ地産地消を心がけ、枯渇の心配の低い水産資源を使います。また、調理に使う薪は、九州北部豪雨(2017年)の被害を受けた福岡県朝倉市の倒流木。廃棄に大金が必要な倒流木を再利用とすることで、被災地支援に関わっています。こうした社会的な課題に対して、レストランにできることを考えるのが「Sola」であり、私の料理。今は自分の料理を「フランス料理」とは言いません。それは、表現したいことを狭めてしまうからです。あえて境界線を設けず、感じたことを、感じるままに、自由に形にしたいと思っています。

成長につながった成功や失敗

 失敗というよりは、「修業時代にもっとできたのでは」と感じています。オーナーになると、新たな技術の習得や知見を広げることに対して時間をつくりにくく、教えてくれる人もいないもの。自分で自分を育てるしかありません。若い人には感性を磨くためにも、様々なものに触れてほしいと思います。

日々、習慣にしていること

 1日に1つは新しいことをします。新メニューの試作だったり、読書だったり。そうでないと、日々の仕事に追われるだけになり、前向きな行動が止まってしまいますから。

スペシャリテ、自慢の一品

「燻製 鰤」。燻して酸味をまとったブリに、カブ、ブラックオリーブのソースのほか、菜の花のディップや大根のムースを添えて。野菜のほとんどは福岡・糸島のもの

 特注で製作した、薪・炭の両方を使える焼き台を備えたことも、当店の特徴の1つ。10品前後のコースのうちの2~3品で、薪を使っています。「スペシャリテ」は特にないのですが、今(2月)コースで提供している「燻製 鰤」は、フレンチの経験を活かしてブリを燻した一皿。燻製用の桜のチップも、朝倉市の倒流木から作られたものです。

座右の銘、好きな言葉

 「やるしかない」。これは「ラ・ロシェル」の厨房に、額入りで飾ってある言葉です。やるべきことに気がついたら、前向きに取り組むという姿勢を教えられたように思います。これまで、何度もこの言葉に支えられてきました。倒流木の再利用も、これが被災地復興の1つになっていることを知って、「やるしかない」と。ほかにも、フルーツなどが入っていた箱をただ廃棄するのはもったいないと感じ、レーザーカッターでそれを一部カットして刻字したメニューボードを作りました。今は野菜のくずをただ捨てることが気になっているので、農家をはじめ様々な人たちと協力して、有益な再利用の方法を考えているところです。

趣味や休日の過ごし方

 オフの日はもっぱら家族と過ごします。店が海辺なのでスタッフ皆で楽しむためにSUP(Stand Up Paddleboard)を購入したのですが、昨年はなかなかその時間を取れませんでした。もう少し余裕ができたら、SUPを含めてスポーツをやりたいですね。

目指す料理人像

 「必要とされる料理人」です。以前はミシュランの星も含めタイトルが欲しかったけれども、地位や名誉だけでは幸せにはなれません。今は、料理人としての知識や技術で、人々の日々の幸せに貢献したい。例えば、パリにいるときに機内食をプロデュースしたのですが、機内食用の調理や保存などの技術を活用・応用すれば、外出がままならない人へもレストランで食べる料理と同じクオリティの食を届けることができ、日常を少し豊かにできるのではないでしょうか。何事も自己満足ではなく、必要とされることに自分たちの技術を当てはめるという考えでやっていきます。

2020年の目標や予定

 昨年は店の経営基盤を作ることが優先だったので、今年はやりたいこと、必要と思ったことにより積極的に向き合うつもりです。企業とのコラボレーションも決まっていますが、店の立地を活かしたイベントやケータリングにも取り組んでいこうと思います。

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「l’algorithme」オーナーシェフ 深谷 博輝

レストランの枠に捉われず活動の場を広げていきたい

深谷 博輝(ふかや ひろき) 1984年、茨城県生まれ。調理師専門学校卒業後、フランス料理店「銀座レカン」に入社。2009~2010年、パリの「ズ・キッチン・ギャルリー」で経験を積み、帰国後に東京・赤坂の「ビストロボンファム」、三つ星フレンチ「カンテサンス」を経て、2017年に独立し、翌年から3年連続でミシュラン一つ星を獲得。フレンチの伝統をベースに、素材や調理法の最適な組み合わせを追求する。
l’algorithme(アルゴリズム)
東京都港区白金6-5-3 1F
https://r.gnavi.co.jp/9f0bnhbs0000/
東京・地下鉄白金台駅から徒歩12分。通りから奥まったビルの1階に立地。完全予約制で「おまかせコース」(昼8,000円、夜14,500円)のみ。ノンアルコールのペアリング(5,500円)にも力を入れる。

料理人を目指したきっかけ

 子どもの頃、実家でラーメン店を営む父の姿を見て、料理人への憧れのようなものを抱いたのが原点です。高校生のときには実家でアルバイトもしました。ある日、初めて父に「まかないのラーメンを作っていい」と言われ、同じ材料・調味料・工程で作ったのですが、父が作るのとはまったく違うラーメンになってしまったんです。今思えば、とんこつスープの乳化の原理や調理工程の意味も知らず、父の真似をしただけなので味が違って当然です。料理の奥深さを感じると同時に、「自分はセンスがないかも」とショックを受けました。それでも料理が好きでしたし、手に職を付けられるということもあり、料理人になろうと決意。都内の調理師専門学校に進学しました。

 フランス料理を選んだのは、専門学校時代にアルバイトをしていた「銀座レカン」(東京・銀座)で、肉料理のソースのおいしさに衝撃を受けたから。自分も同じものを作りたいと思い、卒業後はそのまま「銀座レカン」に入店。その後、パリの高級フレンチや東京・赤坂のビストロ、三つ星フレンチ「カンテサンス」(東京・品川)で働きました。働く店を選ぶ際に基準にしたのは、「そこで何を学びたいか」。「銀座レカン」では伝統的な技法やロジック、パリでは本場ならではの自由な発想、ビストロではカジュアルな家庭料理、「カンテサンス」では斬新なコンテンポラリースタイルに触れ、これらすべてが料理人としての引き出しになっています。

独立の経緯と独立で重要だと思うこと

 「銀座レカン」で働いていた頃から、30歳くらいで独立したいと考え、そこから逆算して今は何を学ぶべきか、自分に足りないものは何かを常に考えてきました。料理人としての知識や技量を高めるだけでなく、資金を少しずつ貯めたり、経営者としてのマインドを養うために、ビジネス書や自己啓発書もよく読みました。「カンテサンス」を辞めて、独立したのが32歳のとき。何人かの経営者の方から出資の申し出もいただきましたが、やりたいことを妥協なく実現したいという思いが強く、独力で起業することにしました。

 オーナーシェフになると、税務や労務などの事務作業に費やす時間も必要になるので、決して楽ではありません。ただ、資金の準備や経営の勉強以上に重要だと思うのは、自分を信じてやりぬく〝覚悟〟。そして、独立してから10年後、20年後の自分の姿を明確に描いて、そこへ向かうための努力を続けることだと思います。

明るく洗練された雰囲気の店内。調理から提供まで深谷氏が妥協なく行うために、カウンター8席のみにしている

自身の料理スタイル

 すべてのお客様に100%自信を持って料理を提供するために、カウンター8席の完全予約制で、昼も夜もおまかせコースのみにしています。コンセプトは、店名どおり「アルゴリズム」(方程式)。フランス料理の伝統的なロジックは崩さずに、ビストロやモダンフレンチなどの様々な技法のいい部分を取り入れて、食材と調理法の最適な組み合わせ、つまり〝方程式〟に当てはめるという意味です。また、コース構成にも私なりのアルゴリズムがあり、クラシックな料理や和の要素が入ったメニューなどを織り交ぜ、独自性を出しつつ、一つの流れとして成立するよう意識しています。同時に、お客様の年齢や、食べる様子、速さなどを観察しながら、その方に合うように味付けなどを微妙に変えています。

成長につながった成功や失敗

 あまり大きな失敗は思い出せません。ただ、もしうまくいかなかったとしても、失敗をそのままにせず、原因を分析して、どうすればうまくいくかを考え、リテイクすることで、失敗は失敗でなくなると考えています。逆に失敗を恐れて挑戦しないことが、一番成長につながらないと思います。そして、自分が成長できたのは、周囲の人たちに恵まれたから。働かせてもらったお店にはいい先輩や仲間がたくさんいましたし、何より妻の存在が大きかったです。「銀座レカン」での下積み時代はボロボロになって帰る毎日でしたが、妻の支えがあったからこそ、やってこれたと思います。

日々、習慣にしていること

 毎日、料理はもちろん、使用するすべての食材を必ず味見するようにしています。仕入れ先は同じでも、日ごと、個体ごとに味は微妙に異なるので、自分の舌で確かめないと気がすみません。ワインもボトルごとに同じ銘柄でも微妙に味が変わるため、必ずテイスティングします。これは「銀座レカン」時代に先輩に教えられたことで、以来ずっと続けています。

スペシャリテ、自慢の一品

「苺とふきのとうのマカロン」。メレンゲとふきのとうのクリーム、イチゴの食感や味の違いが楽しめる

 「苺とふきのとうのマカロン」は、マカロンのサクサク感が損なわれないように、空気が乾燥する冬の時期にしか出していないデザートです。フレッシュなイチゴの甘酸っぱさと、ふきのとうで作ったクリームの苦みとの相性がよく、クリームを食べ進めると、中にある花豆のアイスクリームから和のテイストも感じられます。3つの異なる“温度”“食感”“味”を重層的に楽しんでいただくのが狙いです。

座右の銘、好きな言葉

 好きな言葉は「百聞は一見に如かず」。食材にしても調理法にしても、実際に自分で食べたり、体験しないと納得できません。日々の習慣で、食材を味見するのも、同じ考えからです。

趣味や休日の過ごし方

 4歳の娘と遊ぶことが、いちばんの楽しみ、癒やしです。休日に外食することも多く、寿司や中国料理店などが中心。他業態に行くことで、素材の使い方などの新しい発見があります。

目指す料理人像

 「カンテサンス」の岸田周三さんなど、すごいと思った料理人はいますが、特定の誰かを目標にすることはなく、日々、昨日の自分を超えていきたいと思っています。また、レストランという枠に捉われずに、活動の場を広げたい。レストランは料理人にとってベースとなる場なので、絶対おろそかにできませんが、店に閉じこもっていても、席数が決まっているため利益の上限は変わりません。例えば、レストランは1週間のうち3日間だけ営業して、ほかの日は外の活動で利益を生めれば、それをレストランで使う食材に落とし込むこともできると考えています。

2020年の目標や予定

 独立するときから、今の店は10年くらいの期間限定と決めていました。今はまだ言えませんが、その次の次の次くらいまでやりたいことがあります。まずは、10年後の計画のために、店がうまく回っている今のうちに、できること、必要なことをやるつもりです。それは、自分に足りない「社会的認知度」の獲得。今年から3年かけて、店や個人の認知度をもっと高めるため、自治体や生産者、企業、他店のシェフなどと組んで、食育イベントや料理教室なども行いたいと考えています。

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「茶禅華」料理長 川田 智也

「和魂漢才」を探求しながら、中国料理の“最高到達点”を目指す(川田氏)

川田 智也(かわだ ともや) 1982年、栃木県生まれ。調理師専門学校在籍時から、中国料理の名店「麻布長江」(東京・南麻布)で修業を始め、卒業後も同店で研鑽を積む。2011年、当時は東京・六本木にあった「日本料理 龍吟」の門をたたく。2013年、台湾「祥雲龍吟」の立ち上げに携わり、副料理長に。2017年2月、「茶禅華」をオープン。「ミシュランガイド東京」にて3年連続(2018~2020)で2つ星を獲得。
茶禅華(さぜんか)
東京都港区南麻布4-7-5
https://r.gnavi.co.jp/5eg2thu80000/
元ドイツ大使公邸の一軒家を改装した中国料理店。季節の食材のおまかせコースは23,000円~。アルコール、ティー、ミックスペアリングのオーダー率も高く、店舗1階のティーカウンターは川田氏もお気に入りの空間。

料理人を目指したきっかけ

 子どもの頃、両親がよく外食に連れて行ってくれ、姉2人とともに家族5人で訪れた様々なレストランの風景が、私の心の奥にあります。なかでも、円卓を回しながら食べた四川料理店の記憶が鮮明で、家庭料理とはまったく違う味や盛り付け、そして香りまでが蘇ってきます。辛い麻婆豆腐や棒々鶏などを好んで食べる幼い私を見て、両親が驚いたり喜んだりすることも自分にとってうれしかったのかもしれません。料理人になることが、幼い頃の将来の夢になりました。

 中学・高校時代はバレーボールに打ち込み、一時はプロを目指したいと思うほど。しかし、思うように身長が伸びず、断念。進路を真剣に考えて選んだのが、子どもの頃に夢見た料理人でした。バレーボールではもっと高みを目指せたかもしれないという悔いがあったので、料理では絶対に後悔したくないと固く決意しました。すぐに近所のラーメン店でアルバイトを始め、バイト代を貯めては、週末に東京で食べ歩きをしました。日本一の料理人を目指すには、日本一の店を知らなければいけないと考えたからです。このときに出合ったのが、四川料理の名店「麻布長江」(東京・南麻布)。本能的に「ここで働きたい」と感じ、高校を卒業後、調理師専門学校に入学するのと同時に「麻布長江」に入れてもらいました。料理長・長坂松夫さんの指導を受けられたのは、料理人として幸運なスタートでした。

独立の経緯と独立で重要だと思うこと

 「麻布長江」での修業後、「日本料理 龍吟(りゅうぎん)」に入りました。日本の食材を活かす技術を得るには、日本料理の最高峰で学ぶことがいちばんだと思ったからです。東京の「龍吟」で3年、オープンに携わった台湾の「祥雲龍吟」で2年働き、自分の店を始めるために退職し、帰国したのが2016年。当時、実家のある島根に戻って中国料理店を経営していた林さんに相談したところ、一緒にやろうと言っていただき、彼がオーナー、私が料理長として「茶禅華」を開店。これも巡り合わせ、ご縁というほかありません。実は、林さんに相談したときには、店のイメージはほぼできあがっており、店名、メニュー、価格、席数、原価率、収支に至るまで事業計画を綿密に立てていました。料理人が自分の店を持つためには、まずおいしく健康的で安全な料理を作れることが何よりも肝心ですが、それだけでは不十分。経営の勉強も不可欠です。「麻布長江」にいた頃、長坂さんは「料理人には、ロマンだけでなくそろばんも必要」と言い、経営についての学びを修業プログラムに組み込み、仕込んでくれたものです。

自身の料理スタイル

 「麻布長江」で10年、中国料理を学び、本場の中国をたびたび訪れて気がついたのは、中国の風土と食材があってこそ、中国料理の技法があるということ。では、日本の風土と食材で作る中国料理とは何か?日本人の自分が中国料理を作る意味はどこにあるのか。そんなことを考え始めました。そんなとき、心に響いたのが「和魂漢才(わこんかんさい)」という言葉。日本固有の精神・大和魂と、中国伝来の学問・漢才(からざい)、2つの異なる概念を合わせた平安時代の言葉です。日本は古来より中国から伝来する文化を取り入れて昇華しながら、日本らしさを生み出し、表現してきました。それならば、日本人である自分が、日本で日本の食材を使い、中国料理の技法を駆使して料理を生み出すことは、「和魂漢才」の思想を受け継ぎ、未来へつなげるという、とてつもなく大きな意味を持つのではないか――。それを表現することが「茶禅華」の料理であり、これ以上足すことも引くこともない、「中庸」の状態が究極にあると考えています。

 また同時に、私の中には「最高到達点」という意識があります。最高到達点とはバレーボールでも使われる言葉で、ジャンプしたときに届くもっとも高い地点のこと。日本の食材による中国料理の「最高到達点」を目指すことが、私の目標です。また、お酒を飲まない方にも十二分に楽しんでいただけるように、中国茶・台湾茶・日本茶と料理のペアリングを提案することも、「茶禅華」の大きな特徴として追求しています。

成長につながった成功や失敗

 道標となった師匠たちとの出会いが、いちばんの成長の礎になったと思います。「麻布長江」の長坂さん、「龍吟」の山本征治さんをはじめ、仲間や後輩にも恵まれました。口にできない失敗もたくさんあります。でも、失敗と成功は紙一重。失敗から学ぶことが多くありました。修業時代に、寝る時間も惜しんで仕事をし過ぎたために体調を崩して入院したことは、思い出深い失敗の1つ。健康の大切さや、体調不良の体を癒やすための料理に関心が高まり、日本料理を意識するきっかけとなりました。

日々、習慣にしていること

 健康のために体を冷やさないようにしています。よく温かいお茶を飲んだり、冷たい飲み物を飲み過ぎないこと。これらは中国の薬膳の考え方です。睡眠も毎日6時間はとるようにしています。

スペシャリテ、自慢の一品

通年で提供している「雉雲呑湯(ジィ ユン トゥン タン/キジのスープ)」。キジのワンタンに四季の野菜(写真は菜の花)が浮かぶ

 「雉雲呑湯(キジのスープ)」は、「茶禅華」のオープンにあたって、日本料理の清らかな出汁を中国料理で表現したいと考え、開発しました。鶏ではよくあるおいしさになってしまい、豚では出汁に“厚み”があり過ぎます。そこで、キジを生のまま水に2日間浸し、血も取り込みつつ、クリアなスープ(清湯)を引き出しました。先人の知恵に学び、試行錯誤を重ねて生まれた一品です。

座右の銘、好きな言葉

 「自信は日々の積み重ね」という言葉が好きです。毎日をおろそかにせず、情熱を持って生きることで、自分を信じることができるようになり、いい料理人のベースになると信じています。

趣味や休日の過ごし方

 今年に入り、「龍髭麺(ロンスーメン)」という極細麺作りに挑戦しています。1kgのタネを6万5000本の麺にする技で、日本でも習得者は数人と言われています。毎日1時間、休みの日でも練習していますが、筋力トレーニングにもなり、とてもいい時間です。料理人は技を磨き続けることも重要。修業時代、休日でも公園で鍋を振る練習をしたものです。食べ歩きもよくしています。

目指す料理人像

 自身を鍛えるとともに、後世につながる人材を育てることのできる料理人でありたいです。当店には現在10人の料理人がいますが、中国料理が5人、ほかの5人は日本料理やフランス料理です。自分が様々な方々に育ててもらったことへの恩返しも含め、ジャンルに捉われず、日本の料理界全体に貢献できたらうれしいですね。

2020年の目標や予定

 日々ご来店いただけるお客様に喜んでいただけるように、精進し続けたいと思います。

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