2012/04/17 Top Interview

サトレストランシステムズ株式会社 重里欣孝氏

強みを生かして、転機に挑む‐「和食さと」など和食レストランで業界トップクラスの規模を誇るサトレストランシステムズ。今年は、ファストカジュアルへ本格的な進出。果敢に挑む重里氏に話を伺った。

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強みを生かして、転機に挑む

「和食さと」をはじめ、和食レストランで業界トップクラスの規模を誇るサトレストランシステムズ株式会社。リーマンショック以降の厳しい経営環境を、自社の強みを掘り下げた戦略で、見事に乗り切ってきた。創業54年を迎えた今年は、ファストカジュアルへ本格的に進出。大きな転機に果敢に挑む重里欣孝氏に、チャレンジへの思いと、戦略的な経営方針の源について語っていただいた。
サトレストランシステムズ株式会社 代表取締役 兼 執行役員社長重里 欣孝 氏Yoshitaka Shigesato1958年大阪府生れ。1982年日本大学法学部卒業。1987年株式会社サト(現サトレストランシステムズ株式会社)入社。取締役企画室長、購買部長、商品本部長などを経て、1990年常務。店舗開発本部長、関西和食本部長を経て、1993年 代表取締役社長、2002年 代表取締役 兼 執行役員社長に就任。大阪外食産業協会理事(元会長)、食博覧会協会代表理事、日本フードサービス協会副会長、食の安全・安心財団理事。

ファストカジュアルへ参入。新しいマーケットの開拓へ

創業以来、一貫してテーブルサービス(お客様が着席したままオーダーや料理が提供されるスタイルの総称)のレストランを展開してきたサトレストランシステムズ株式会社。中心業態の「和食さと」は現在、客層の拡大と売上アップに成功し、和食レストランチェーンのトップを走る。そんな同社が次に狙う業態が、ファストカジュアル(ファストフードとファミリーレストランの中間業態)の天丼チェーンだ。

「『和食さと』の客層や価格帯は今後も維持し、バリュー感に磨きをかけていきますが、一方で世の中はショートタイムショッピングや低価格かつ高品質への流れが一層強まっています。今後の勝ち残りを展望したとき、当社はチェーン展開が経営のベースにありますから、3桁の店舗数が見込めて、さらに1番か2番になれる業態を新しく開拓したいとずっと思ってきました」と、重里欣孝代表取締役兼執行役員社長は語る。

しかし、牛丼チェーンの熾烈な競争に見られるように、ファストカジュアルへの参入は決して容易ではない。しかも同社には、ファストカジュアルにもフランチャイズにも、ノウハウがない。そこで重里氏は、カツ丼チェーン「かつや」の近畿2府4県におけるフランチャイズ権を取得。ファストカジュアルとフランチャイズに関するノウハウを徹底的に吸収し、2010年のかつや1号店オープンを皮切りに、一気に3桁まで展開する方針を立てた。そして、その過程で培ったスキルを基に、自社ブランドの天丼チェーン「さん天」を練り上げた。第1号店のオープンは今年6月の予定だ。

「大切なのは、天丼がそもそも『和食さと』の看板メニューだということです。年間200万食を売り上げる人気で、我々が最も得意とする商品の一つです。ここにファストカジュアルの新たなノウハウが加われば、新しい市場を必ず開拓できると見極めたのです」。

すでに2008年には重里氏の頭の中に、今回の事業構想が浮かんでいたという。実現へ向けて、4年をかけ、着々と歩みを進めるところに、経営者としての意気込みが伝わってくる。

真似を排して強みを掘り下げ、地力を培いバリューを構築

自社の強みを掘り下げ、そこに依拠して戦略を組み立て、数々の布石を打ち、結果を積み上げる。何よりもこの手法こそが重里氏の真骨頂。1993年、35歳で会社を継ぎ、洋食、居酒屋などの業態を廃し、1998年には和食1本に絞った。社内外からの批判を押しきったその根底には、「他社の真似事はだめ」という並々ならぬ信念があった。

「流行に乗れば、最初のうちは真似でも売上は伸びます。でも、それでは後々続いていきません。地力が培われていなければ、壁にぶつかった時に次の一手が打てないのです。当社としても、様々な業態での展開を試みましたが、和食の分野だけは真似をすることなく、自分たちのノウハウの蓄積だけで成長してきたという自信がありました」。

同社は従来、「寿司と鍋がおいしい店」として、評価を得てきており、特に和食の分野については、多くの知恵とノウハウの蓄積があった。得意分野を徹底して追求し続けることで、他社には真似のできない強味を生み出したのだ。
「外食産業というのは、言葉では表せない細かいノウハウの積み重ねがあって、初めて利益が出せるようになる。そういう産業なのです」と重里氏。

そんな強みは、リーマンショック後で売上が落ち込んだ「和食さと」の再生のケースでも、いかんなく発揮された。
「そのとき我々が考えたのは、もう一度、原点に立ち帰ることでした。50年前の『さと』のキャッチフレーズは『働く人々のための鍋屋』。そこで新たに開発したのがしゃぶしゃぶ鍋の食べ放題『さとしゃぶ』だったのです。これが人気メニューになり、『さとしゃぶ』を軸に様々なバージョンが生まれました。さらに、四季折々の食材を使った、季節限定の『四季めぐり』も充実させると、それ以前は、40代以上のお客様が多かったのですが、20~30代のファミリーやビジネスマンも店に来ていただけるようになりました。強みを掘り下げることがバリュー感の構築につながる。地力をつけることの大切さを痛感します」。

目指すは「包丁のない和食店」。労務でも画期的な方針

実は、売上増にもかかわらず、「和食さと」はこの3年間、新規出店をしていない。それは外に向けての拡大ではなく、既存店の内部をより強く充実させることに力を注いだからだ。マイクロ波炊飯器、みそ汁ディスペンサーなど和食に特化した調理機械をメーカーと共同で開発し、キッチンシステムを一新。改装を進め、お客様の居住性を高めるなど既存店のブランド力アップに取り組んだ。

「キッチンは、3年前とはまったく変わりました。自動化が進み、生産性が向上し、品質もグッと安定しました。これも和食店としてのノウハウがある当社だからこそできたことだと思います。仕入れも産地と直接交渉し、機器に合う規格で輸入するなどして、コストを抑えるとともに高品質を確保しています。そうしたトータルなシステムでバリューを出せることが、現在の我々の強みだと思っています。目指すは『包丁のない和食店』。まもなく実現できると思いますよ」。

さらに、それらを支える人材への気配りも怠らない。500人以上の社員全員に連続一週間の休暇を保証するという画期的な方針もその一つだ。
「企業は利益を追求するだけでは成り立ちません。働いている人たちが、皆で幸せになれるような会社でなければ、存在する意味がない。ちょっと青臭いかもしれませんが、“いい会社”であり続けることを本気で追求したいですね」と、熱く語り、笑顔を見せる。

そんな重里氏が社員たちとともに、大切に土を耕し、種をまき、育ててきた芽が、これから、どのような花を咲かせてくれるだろうか。「攻めの年」に転じた2012年、ますます目が離せなくなりそうだ。

Company History

1958年 11月

寿司店をオープン

1968年 8月

「株式会社尼崎すし半本店」を兵庫県尼崎市に設立

1974年 7月

商号を「株式会社サト」に変更

1979年 3月

関東地区第1号店を神奈川県相模原市に開店

1979年 7月

中部地区第1号店を愛知県愛知郡長久手町に開店

1979年 9月

100店舗達成

1984年 3月

株式を大阪証券取引所第二部に上場

1985年 1月

「和食さと」の原型となる
郊外型和食第1号店を奈良県橿原市に開店

1989年 9月

株式を大阪証券取引所第一部に上場

1990年 7月

200店舗達成

1998年 10月

商号を「サトレストランシステムズ株式会社」に変更

2008年 7月

海外第1号店を中国・上海に開店

2010年 11月

かつや堺鳳中町店を開店
(サト・アークランドフードサービス株式会社による第1号店)