食と観光を結び付け、新たな展望を開く
大阪・藤井寺市のうどん屋から出発した「本家さぬきや」は、和食を中心にしたチェーン展開で業績を伸ばし、全国で約100店舗を展開する企業に成長した。また、近年はシティホテルや京料理の旅館運営など観光分野にも進出し、さらには中食へのチャレンジも開始。外食産業をベースに、他業種へも熱い視線を送る平野譲氏に、外食市場の未来像を語っていただいた。「心を入れて作り込む」ことが、客を呼べる店を生み出す
大阪南部の岸和田市にある岸和田城。その二の丸広場に5月にオープンした「Club Contrada」が、株式会社本家さぬきや自慢の新店舗だ。情緒豊かなお堀と、堂々とした天守閣を臨む絶好のロケーション。代表取締役の平野譲氏は、同社初となるイタリアンレストランに、徹底したこだわりを持って取り組んだ。「周囲の空間と建物の外観は和風そのもの。だからこそ、内装は洋風にして、ほかでは見られない個性的な店にしたかった」と微笑む。
設計のコンペは3回行ない、照明器具も3回交換した。エアコンの排気口カバーの形状ひとつにも気を抜かず、調度品の多くは平野氏自らがヨーロッパで買い求めたものだ。そして価格帯をカジュアルに設定しながら、料理と接客には一流レストラン以上の高いレベルを求めた。料理長、ピッツァイオーロ(ピザ職人)のスカウト、ホテルマンによるおもてなしなど、こだわりは多岐にわたる。
「経営者が心を入れて作り込む努力をしなければ、お客様が来てくれる店にはなりません。もちろん、店作りは私一人ではできませんから、実際にここで働いてくれるスタッフに、私の“本気”を伝えることが肝心なんです。そうすれば、彼らはプロですから、それぞれの分野で私が考える以上のものを作ってくれます。そうした努力の末に、長く支持される店が生まれるのです」。
6月にオープンしたばかりの惣菜店「新しい食卓Mammy」(大阪・都島「ベルファ都島」内)でも、平野氏の“本気”がスタッフに伝わり、早くも人気商品の開発につながっている。「ウナギの蒲焼き丼」ならぬ、肉の厚さを通常の倍にした「豚バラの蒲焼き丼」という平野氏の提案を受け、老舗で鍛えられてきた調理スタッフらが、予想以上のクオリティに仕上げてきたのがその一例だ。
「個々が持つプロの技と心を力として引き出して、集団と融合させること。それこそが私の役割なのだと、このごろようやくわかってきました」と平野氏。若き日を振り返り、「人一倍負けん気が強く、人の2倍働き、人に1歩でも2歩でも先んじようとしてきた」という平野氏が今、若いスタッフにかける声には、期待と励ましはもちろん、敬意さえもが感じられる。
外食産業が作る「中食」。そこに新たな市場がある
それにしても近年、本家さぬきやの事業展開は、外食産業の枠組みを軽々と飛び越えているかのように見える。京料理旅館の立ち上げ、シティホテルの運営、惣菜店のオープン――。特に観光産業と中食市場へ向ける平野氏の視線は熱い。
「外食市場の縮小が叫ばれていますが、少子高齢化の進行を考えると、食の形態はさらに変化していきます。『ボリュームよりも、いろんな種類を少しずつ食べたい』というのも、その一つの表れでしょう。レストランでの食事も大切ですが、家庭で外食並みにクオリティの高い食事をしたいというニーズも増えています。そういった声がもっと出てきてもいいはずなのです」。
その多様なニーズに応えるときに大切なのが、「外食の人間が作る中食であること」と平野氏。中食の定番を超えた“新しい惣菜メニュー”の開発・見せ方・売り方が、外食をベースにしてきた自分たちだからこそできるという自負だ。
「メニューのレベルアップはもちろんですが、容器やディスプレイにも力を入れています。『新しい食卓Mammy』では、1グラム2円の量り売りコーナーを設け、多品種少量のニーズに応えています。これがとても人気がありますね」と、その好反響に自信を見せる。中食市場で「本家さぬきや」の新ブランドが羽ばたこうとしている。
インバウンドの客に焦点。LCCで拡大する外食マーケット
もう一つ、視線の先にあるのは観光産業。特に注目しているのがインバウンド(海外から日本へ来る観光客)だ。
「観光と食は切っても切り離せません。観光すれば、必ず現地で食事をするのですから。しかも、日本の食は世界有数の高レベルにあることは間違いなく、多くの外国人が、日本観光の目的のひとつに食をあげているほどです。こうしたインバウンドに、私たちはもっと注目しなければいけません。彼らにきちんとした日本食を味わってもらうことも、日本の外食産業の役割ではないかと思うのです」。
折しも、2012年は日本における「LCC(Low cost carrie/格安航空会社)元年」といわれる。欧米ではすでに旅客機の20~30%がLCCと言われているのに対し、日本のLCCはまだ数%。LCCが本格的になれば、ソウルや香港、シンガポールから、数千円で日本に来ることも可能な時代だ。
「アジアはより近い国々になり、インバウンドは飛躍的に増加する可能性があります。そうすれば、日本における外食のマーケットはむしろ拡大できるはず。私たちの事業のあり方も、こうした時代を捉えて変わらなければいけません。私が会長を務める大阪外食産業協会としても、もっと積極的にアジアの人々に、日本の食をアピールすることが重要になってきます」。なるほど、外食の胃袋は日本人だけではない。外食市場の縮小が叫ばれて久しいが、時代の波を捉えれば、むしろ拡大に転じることも可能になる。平野氏の目には、すでに外食の新しい未来像が見えているのだ。
広く世界を駆け回る一方で、稀少な休日には「百姓になる」という平野氏。郷里・和歌山で野菜作りに精を出す。題して「譲農園」。「農業はおもしろい。肥料の量や時期で、できあがりが違う。来年は1000坪に拡大して、いずれは店で出す野菜を『譲農園』からの直送にしたいですね」と楽しそうに語る。こちらの未来像も拡大途上だ。
Company History
1977年 5月
「本家さぬきや藤井寺店」(大阪)をオープン1984年 10月
株式会社本家さぬきやを設立2007年 3月
京料理旅館「よ志のや」(京都)オープン「そば処京都高台寺 天風」(京都)オープン