2012/08/21 Top Interview

株式会社 本家さぬきや代表取締役 平野 譲氏

大阪・藤井寺市のうどん屋から出発した「本家さぬきや」は、全国で約100店舗を展開する企業に成長。近年は観光分野や中食へも進出した。他業種へも熱い視線を送る平野氏が外食市場の未来像を語る。

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食と観光を結び付け、新たな展望を開く

大阪・藤井寺市のうどん屋から出発した「本家さぬきや」は、和食を中心にしたチェーン展開で業績を伸ばし、全国で約100店舗を展開する企業に成長した。また、近年はシティホテルや京料理の旅館運営など観光分野にも進出し、さらには中食へのチャレンジも開始。外食産業をベースに、他業種へも熱い視線を送る平野譲氏に、外食市場の未来像を語っていただいた。
株式会社 本家さぬきや 代表取締役
大阪外食産業協会(ORA)会長平野 譲 氏Yuzuru Hirano1950年和歌山県生まれ。ジャスコ株式会社に入社後、1973年に退社して「茶舗宇治門田店藤井寺店」を開業。茶の販売を始める。1977年、手作りうどん「本家さぬきや」創業。現在は旅館・ホテル・ショッピングセンターも運営するほか、6月には惣菜店をオープンし、中食へ進出。2011年5月より、社団法人 大阪外食産業協会(ORA)の会長を務める。また、2013年4月26日~5月4日にインテックス大阪で開催される、4年に1度の食の祭典「’13 食博覧会・大阪」の実行委員会 副会長・理事長も務める。

「心を入れて作り込む」ことが、客を呼べる店を生み出す

大阪南部の岸和田市にある岸和田城。その二の丸広場に5月にオープンした「Club Contrada」が、株式会社本家さぬきや自慢の新店舗だ。情緒豊かなお堀と、堂々とした天守閣を臨む絶好のロケーション。代表取締役の平野譲氏は、同社初となるイタリアンレストランに、徹底したこだわりを持って取り組んだ。「周囲の空間と建物の外観は和風そのもの。だからこそ、内装は洋風にして、ほかでは見られない個性的な店にしたかった」と微笑む。

設計のコンペは3回行ない、照明器具も3回交換した。エアコンの排気口カバーの形状ひとつにも気を抜かず、調度品の多くは平野氏自らがヨーロッパで買い求めたものだ。そして価格帯をカジュアルに設定しながら、料理と接客には一流レストラン以上の高いレベルを求めた。料理長、ピッツァイオーロ(ピザ職人)のスカウト、ホテルマンによるおもてなしなど、こだわりは多岐にわたる。
「経営者が心を入れて作り込む努力をしなければ、お客様が来てくれる店にはなりません。もちろん、店作りは私一人ではできませんから、実際にここで働いてくれるスタッフに、私の“本気”を伝えることが肝心なんです。そうすれば、彼らはプロですから、それぞれの分野で私が考える以上のものを作ってくれます。そうした努力の末に、長く支持される店が生まれるのです」。

6月にオープンしたばかりの惣菜店「新しい食卓Mammy」(大阪・都島「ベルファ都島」内)でも、平野氏の“本気”がスタッフに伝わり、早くも人気商品の開発につながっている。「ウナギの蒲焼き丼」ならぬ、肉の厚さを通常の倍にした「豚バラの蒲焼き丼」という平野氏の提案を受け、老舗で鍛えられてきた調理スタッフらが、予想以上のクオリティに仕上げてきたのがその一例だ。
「個々が持つプロの技と心を力として引き出して、集団と融合させること。それこそが私の役割なのだと、このごろようやくわかってきました」と平野氏。若き日を振り返り、「人一倍負けん気が強く、人の2倍働き、人に1歩でも2歩でも先んじようとしてきた」という平野氏が今、若いスタッフにかける声には、期待と励ましはもちろん、敬意さえもが感じられる。

外食産業が作る「中食」。そこに新たな市場がある

それにしても近年、本家さぬきやの事業展開は、外食産業の枠組みを軽々と飛び越えているかのように見える。京料理旅館の立ち上げ、シティホテルの運営、惣菜店のオープン――。特に観光産業と中食市場へ向ける平野氏の視線は熱い。
「外食市場の縮小が叫ばれていますが、少子高齢化の進行を考えると、食の形態はさらに変化していきます。『ボリュームよりも、いろんな種類を少しずつ食べたい』というのも、その一つの表れでしょう。レストランでの食事も大切ですが、家庭で外食並みにクオリティの高い食事をしたいというニーズも増えています。そういった声がもっと出てきてもいいはずなのです」。

その多様なニーズに応えるときに大切なのが、「外食の人間が作る中食であること」と平野氏。中食の定番を超えた“新しい惣菜メニュー”の開発・見せ方・売り方が、外食をベースにしてきた自分たちだからこそできるという自負だ。
「メニューのレベルアップはもちろんですが、容器やディスプレイにも力を入れています。『新しい食卓Mammy』では、1グラム2円の量り売りコーナーを設け、多品種少量のニーズに応えています。これがとても人気がありますね」と、その好反響に自信を見せる。中食市場で「本家さぬきや」の新ブランドが羽ばたこうとしている。

インバウンドの客に焦点。LCCで拡大する外食マーケット

もう一つ、視線の先にあるのは観光産業。特に注目しているのがインバウンド(海外から日本へ来る観光客)だ。
「観光と食は切っても切り離せません。観光すれば、必ず現地で食事をするのですから。しかも、日本の食は世界有数の高レベルにあることは間違いなく、多くの外国人が、日本観光の目的のひとつに食をあげているほどです。こうしたインバウンドに、私たちはもっと注目しなければいけません。彼らにきちんとした日本食を味わってもらうことも、日本の外食産業の役割ではないかと思うのです」。

折しも、2012年は日本における「LCC(Low cost carrie/格安航空会社)元年」といわれる。欧米ではすでに旅客機の20~30%がLCCと言われているのに対し、日本のLCCはまだ数%。LCCが本格的になれば、ソウルや香港、シンガポールから、数千円で日本に来ることも可能な時代だ。
「アジアはより近い国々になり、インバウンドは飛躍的に増加する可能性があります。そうすれば、日本における外食のマーケットはむしろ拡大できるはず。私たちの事業のあり方も、こうした時代を捉えて変わらなければいけません。私が会長を務める大阪外食産業協会としても、もっと積極的にアジアの人々に、日本の食をアピールすることが重要になってきます」。なるほど、外食の胃袋は日本人だけではない。外食市場の縮小が叫ばれて久しいが、時代の波を捉えれば、むしろ拡大に転じることも可能になる。平野氏の目には、すでに外食の新しい未来像が見えているのだ。

広く世界を駆け回る一方で、稀少な休日には「百姓になる」という平野氏。郷里・和歌山で野菜作りに精を出す。題して「譲農園」。「農業はおもしろい。肥料の量や時期で、できあがりが違う。来年は1000坪に拡大して、いずれは店で出す野菜を『譲農園』からの直送にしたいですね」と楽しそうに語る。こちらの未来像も拡大途上だ。

Company History

1977年 5月

「本家さぬきや藤井寺店」(大阪)をオープン

1984年 10月

株式会社本家さぬきやを設立

2007年 3月

京料理旅館「よ志のや」(京都)オープン
「そば処京都高台寺 天風」(京都)オープン

2008年 3月

「すし処 京都高台寺 天風」(京都)オープン

2010年 7月

「ホテルサンルート関空」の運営開始

2010年 9月

「ホテルレイクアルスター アルザ泉大津」を運営

2012年 5月

イタリアンレストラン「Club Contrada」(大阪)オープン

2012年 6月

惣菜店「新しい食卓 Mammy」(大阪)オープン