2013/01/28 Top Interview

株式会社美濃吉 代表取締役社長 佐竹 力総氏

4年後に創業300周年を迎える京料理の老舗・美濃吉。伝統に革新を重ね、3世紀を生き抜き、現在は日本の食文化を次代に伝える重責も担う。21世紀の外食産業をどう生きるのか、佐竹氏にうかがった。

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「おもてなし」に勝機を見いだし、食の本質を追求

4年後に創業300周年を迎える、京料理の老舗・美濃吉。江戸時代に京都・三条河原の腰掛け茶屋から始まった生業は、動乱や政変、勃興と衰退を繰り返す世相を見つめ、自らも伝統に革新を重ねて、3世紀を生き抜いてきた。そののれんは、今、日本の食文化を次代に伝える重責も担う。10代目当主として、21世紀の外食産業をどう生きるのか。株式会社美濃吉 代表取締役社長の佐竹力総氏にうかがった。

「外食産業元年」に美濃吉入社。成長・成熟期を経て円熟の時代に

美濃吉10代目当主・佐竹力総氏が、大学を卒業して株式会社美濃吉に入社したのは、1970年4月のことだった。折しも大阪万博(日本万国博覧会)の開催年。佐竹氏がのちに「外食産業元年」と呼ぶ節目の年が、奇しくも自身の実業家としてのスタートとなった。
「日本の外食産業は1960年代が誕生期、1970年代が黎明期といえます。産業としての確立は大阪万博の1970年ではないでしょうか。このときに、ファストフードやファミリーレストランなどのチェーン展開が始まりました。飲食業が、水商売という概念をようやく乗り越えたのです」。

機をとらえて翌年に渡米。アメリカ式のレストラン経営を学んだ佐竹氏は、1974年に帰国後、外食チェーンの展開に本格的に乗り出す。ときは多店舗化、チェーン化時代の真っただ中。「日本の外食産業は80年代は成長期、90年代は成熟期、そして2000年代に入って、円熟期を迎えました。その円熟期も、現在はひとつの転換期を迎えています」。

キーワードは「新しい価値の創造」だ。「量を追い、スケールメリットを追求することで成長した時代から、質を究める時代への転換が進行していると思います。外食産業として、ほかにはできない新しい価値をいかに創造するかが最大のポイントになるはずです」と語る。

時代を先取りした美濃吉の転換。根幹は「おもてなしの心」

すでに美濃吉は、1990年代初頭にチェーン展開からの転換を図っている。1992年には本店を改築。それまでのリーズナブルに楽しめる京料理の店から料亭へ原点回帰し、客単価は従来の4倍に設定。社運を賭けた「京懐石美濃吉本店 竹茂楼」の開亭は、バブル崩壊の世にあっても強く支持され、予想以上の大成功を収める。外食の低価格競争が始まろうとしていた矢先に、美濃吉が投げかけた「外食の新たな価値」への考え方は、時代を幾重にも先取りした感がある。

美濃吉が示した「外食の新たな価値」。それは「ピープルビジネス」としての外食を掘り下げることといえる。
「外食の原点は『人間対人間』、つまり『ピープルビジネス』です。お客様は食欲を満たすためだけに外食をするわけではありません。食べるだけなら、コンビニエンスストアでもスーパーマーケットでも、安くておいしいものがたくさんあるはずです。しかし、飲食店は料理だけでなく、サービス・雰囲気のすべてにわたり、その店にしかない魅力を提供できます。それが付加価値であり、その要は『おもてなし』だと私は思います。部屋の雰囲気、そこでの時間、スタッフとの会話などもすべてが外食の大切な構成要素です」。

だからこそ、「これからは個店が強い時代がくる」と佐竹氏は予想する。「地域に密着し、お客様の心をつかむ『おもてなし』は、個店のほうが得意なはず。勝機は、そこにあると思っています」。

五感で味わう京料理の真髄。支えているのは「調理師軍団」

では、美濃吉が提供する「おもてなし」と「付加価値」とは?
「当社の調理人は総勢300人。その『調理師軍団』が織り成す京料理のおもてなし。これが美濃吉の最大の特徴です。京料理とは、季節を五感で味わう料理です。和食の源流ともいえる食文化ですね。たいへん奥深いものです。料理人にとって京料理を究めるのは一生の仕事。当社はその職人を40年前から自社で育ててきました」。

かつて、料亭の職人は周旋屋(しゅうせんや ※就職の斡旋を職業とする人)からの派遣が一般的だった。「その仕組みでは調理人がお客様のために心を込めて料理をする姿勢にはなりにくい。『ピープルビジネス』であるからには、まず人材が必要です。そこで8年で調理長になれるようにカリキュラムを作り、毎年新人を採用して、京料理の担い手を育ててきたのです」。

料亭制度の変革としては革命的ともいえる決断だったという。「美濃吉の料理人として誇りを持つ職人によって、一品一品、心を込めて作る料理が生まれました。これを、部屋のしつらえ、窓からの景色、料理長や仲居との会話などとともに、ゆっくりと楽しんでもらいたいのです。料理とは、素材や調理の工夫を知ることで、ぐっと味わいが増すものでもあります。それらすべてが美濃吉の『おもてなし』であり、付加価値なのです」。

京料理は日本の食文化の一環。文化を受け継ぐ者の矜持を

美濃吉が究めてきた京料理を初めとした日本の食文化は昨年、「和食 日本人の伝統的な食文化」として、日本政府からユネスコの無形文化遺産への登録が申請された。早ければ、2013年の秋にも登録される見通しだ。
「ようやく日本でも、食が文化の一環であることが、国によって認められたということですから、大いに意を強くしています。日本の食文化は世界に誇れる素晴しいものです。京料理もそのひとつですが、日本の各地には様々な郷土料理があり、季節や風土と結びついて、人々の命と心を育ててきました。和食は日本の文化の土台ともいえるのです。京料理を提供している私たちには、これを守り、次代に受け継ぐ使命があると思っています。『食文化の伝承者』たらんこと。これこそが美濃吉の矜持であり、美濃吉で働く意義でもあるのです」。

あくまでも誇り高く、その志にゆるぎはない。伝道者としての自覚を持ち、常に時代への適応も視野に入れ、前へ前へと歩みを続ける。
「対応ではなく、適応すること。適応とは決して崩さないコア(核)をしっかり磨きながら、時代の変化を捉えて前へ進むことだと思います。美濃吉のコアは京料理ですが、素晴らしい食材を京料理へ昇華させる各店の料理人がそれぞれの味を持つことも、適応のひとつです。また、京都の料亭のよさを、もっと若い人たちにも知ってもらうため、地元の料亭経営者で組合を作り、“料亭で行う結婚披露宴”事業にも取り組んでいるところです。京都には神社仏閣が非常に多いですからね」。

京料理の老舗としての矜持と、しなやかな適応力が、柔和な語り口から存分に伝わってきた。

株式会社美濃吉 代表取締役社長 10代目当主 佐竹 力総 氏
1946年京都市生まれ。1970年、立命館大学法学部卒業。同年4月、株式会社美濃吉に入社。1971~1974年、米国サンフランシスコ市立大学ホテル・レストラン学部に留学。1976年、常務取締役に就任。専務取締役、副社長を経て、1995年から現職。2010~2012年、社団法人日本フードサービス協会会長。
現在、全国料理業生活衛生同業組合連合会副会長、京都府料理生活衛生同業組合理事長など要職多数。趣味は茶道、ゴルフ、マリンスポーツ。

Company History

1716年

秋田佐竹の流れをくむ佐竹十郎兵衛が、美濃の国(現在の岐阜県大垣市)から京にのぼり、三条河原で腰掛け茶屋を始める
(江戸時代後期)京都所司代から「川魚生洲八軒」のひとつとして認可される(現存する最後の一軒)
(明治時代~昭和初期)「川魚料理 縄手美濃吉」として宮家や要人が多数来店

1950年

南禅寺畔粟田口(京都)に移転

1958年

阪神百貨店(大阪)に出店

1969年

南禅寺畔粟田口の本店を増改築
合掌造りの建物を富山から移築して和風お食事処へ転換を始める

1973年

大丸百貨店(京都)に出店

1974年

京王百貨店(東京・新宿)に出店。以後、神奈川、千葉、埼玉に出店
(1970年代)レストラン「ジョイみのきち」を京都の主要幹線道路沿いに12店オープン

1983年

第5回食品産業優良企業 外食部門 農林水産大臣賞を受賞

1992年

本店を「京懐石美濃吉本店 竹茂楼」として開亭(京都市景観賞を受賞)

2005年

第13回優良サービス事業表彰「優しい食事空間提供部門」農林水産大臣賞を受賞