シンガポール発 郷土料理を高級料理に 前編

シンガポールでは、素朴な郷土料理を鮮やかに洗練させて提供する店が人気。前編では、「プラナカン料理」という伝統的な家庭の味を、高級料理として昇華させた例にスポットを当てる。

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Vol.105

いまや国民1人あたりのGDP(国内総生産)がアジアナンバーワンのシンガポール。好景気を背景に世界中からセレブリティなシェフが集まり、お金さえ出せば世界各国の最高水準の料理が食べられる。一方、地元のシンガポール料理といえば、素朴な「家庭料理」か、早くて安いがモットーの「屋台料理」が中心だった。ところが2010年代に入ってから、素朴な郷土料理を鮮やかに洗練させて提供する店に人気が集まっている。

前編では、シンガポールにやってきた中華系移民の男性と、地元のマレー人女性との間に生まれた人たち(プラナカン)が生み出した「プラナカン料理」という伝統的な家庭の味を、見事に高級料理として昇華させた例にスポットを当てる。

もともと、王室など上流階級の衣装だった「ケバヤ」をスタッフが着て高級感を演出。現代のシンガポールでは見られなくなった伝統食材も店内に展示されている。
プラナカン料理の伝統的な牛肉の煮込みに使うハーブや調味料を使った大胆な発想のお茶、「アイランドアイスティー」(9ドル=約756円)。レモングラスの香りがすがすがしい
本来は全体をざっくりと混ぜ合わせて提供するが、具材ごとに分けて高級感ある盛り付けにした「サンバル・キム・チャム・ウダン」(15ドル=約1,260円)

プラナカンの伝統的な手法を大切に、大胆なアレンジを

中華料理をマレー半島の食材やスパイスを使ってアレンジした、元祖フュージョン料理ともいえる「プラナカン料理」は、シンガポール伝統の味。しかし、作るのに手間がかかることから、女性の社会進出とともに忘れ去られつつあった。それを斬新な手法で生まれ変わらせているのが、オーナーシェフのマルコム・リー氏が、2013年7月にオープンさせた「キャンドルナッツ(Candlenut)」だ。

カニのイエローココナッツカレー。現代人の味覚に合わせ、ココナッツクリームを増やして滑らかな口当たりに

チャイナタウンの近く、裕福なプラナカンの邸宅が今も残るアウトラムパークにある同店の店内には、プラナカン伝統の緻密なビーズ刺繍などの工芸品が美しくディスプレイされ、正統派のイメージとともに高級感を醸し出している。

ランチタイムはアラカルトで提供し、テイクアウトにも対応する。人気メニューの1つがカニのイエローココナッツカレー(24ドル=約2,016円)だ。伝統的なプラナカン料理では海老が殻ごと使われる野趣あふれる一品だが、ていねいにほぐされたワタリガニの身が繊細な食感を生み出し、ワンランク上の味に仕上げられている。

ディナーはお任せコースのみで50ドル(約4,200円)。「おばあちゃんの家を訪れたときのように」というコンセプトで、そのときもっともおいしい旬の食材の数々を使って、プラナカン料理を現代風にアレンジする。

また、デザートでありながら地元メディアから「死ぬまでに食べたい10の料理」として紹介された「ブアクルア・アイスクリーム」を目当てにやってくる客も多い。「ブアクルア」と呼ばれる黒い木の実はプラナカン料理の伝統食材だが、下ごしらえが難しく、かつ赤味噌を濃厚にしたような独特の風味があるため、今では使われなくなってきている食材の1つ。だがまろやかなアイスクリームとコクのある上質のダークチョコレートと合わせることで、そのクセのある味を素晴らしいアクセントとして使うことに成功した。

どの一品も、プラナカン料理を「家庭の味」として記憶している中高年層のみならず、外国のものにばかり目が向きがちな若者からも「おしゃれでおいしい」と好評。外国からのビジネスマンや旅行客なども多く訪れ、「これぞシンガポールでしか食べられない料理」と高く評価されている。

トレンドを生みだすのは何も新しいものばかりではない。温故知新、伝統的なものを「再発見」して現代風にアレンジすることも大切なのかもしれない。

「ブアクルア・アイスクリーム」はランチでも提供(14ドル=約1,176円)。伝統料理を見直す政府主催のイベントでも披露され、人気を博した
同店はMRTアウトラムパーク駅直結の4つ星ホテル「ドーセットホテル」の1階にある。店内は、ガラス張りの明るい雰囲気
キャンドルナッツ(Candlenut)
331 New Bridge Road, #01-03 Dorsett Residences, Singapore 088764
http://www.candlenut.com.sg/

食材、盛り付け、内装。すべてにおいてプラナカンの最高を極める

昔から貿易の要衝だったシンガポールで商才を発揮し、財を成したプラナカンたち。そんなプラナカンの豪奢な生活を再現して注目を集めているのが、2015年6月に郊外の高級住宅街にリニューアルオープンした「ヴァイオレット・オン・シンガポール」(Violet Oon Singapore)。

上質な牛ほほ肉を使った「アンティー・ナニーズ・ダギン・チャベク・ビーフ・チーク」。浅葱を一本凛と置いた盛り付けも鮮やか

こってりとした味わいが特徴的なプラナカン料理。だが、同店ではスパイスや油を控え、代わりに質の高い食材を使うなどして、素材の味を活かした繊細な風味が楽しめる料理に昇華させた。例えばパームシュガーとタマリンドの実で煮込む牛肉料理「アンティー・ナニーズ・ダギン・チャベク・ビーフ・チーク」(35ドル=約2,940円)には、高級な牛ほほ肉を使用。甘辛く煮込まれた牛ほほ肉はとろけるような食感だ。

また、ローカル麺料理「ラクサ」のココナッツスープをソースとして使い、オーブンで焼いたタラと合わせたフレンチ風の料理「コッド・イン・クリーミーラクサソース」(32ドル=約2,688円)も人気の逸品。西洋料理のテクニックで表面はカリッと、中はしっとりと焼き上げられた繊細な味わいのタラに、通常よりスパイスを控えたマイルドなココナッツソースがよく合う。

通常のプラナカン料理は、ドーンと豪快に山盛りにされた大皿から、各自が取り分けて箸で食べるスタイルが主流だった。だがこの店ではフレンチのように1人ひとりに美しく盛り付けられた料理をナイフとフォークでいただく。ワイワイガヤガヤではなく、優雅にゆっくりと味わえるようにしたことで、高級志向の客のニーズをつかんだ。

さらに、内装には高価なアンティークタイルを取り入れ、「タイムスリップして、プラナカン文化最盛期の大富豪の邸宅に招かれたような優雅な気分になる」と、特に女性に人気だ。 料理そのものはもちろんだが、フランス料理のような提供方法や大邸宅風の内装など、雰囲気づくりにも手を抜かないことがプレミアム感のあるトレンドを生むうえで大切だ。

ココナッツが効いたソースが特徴の「コッド・イン・クリーミーラクサソース」。調理の基本となるサンバルチリ(唐辛子のペースト)は6種類を使い分けるなど伝統を継承
植物などを優雅にデザイン。100年以上前のアンティークのプラナカンタイルを惜しみなく使った店内は、格調高い雰囲気
ヴァイオレット・オン・シンガポール(Violet Oon Singapore)
881 Bukit Timah Road, Singapore 279893
http://violetoon.com/

取材・文/仲山今日子(海外書き人クラブ)
※通貨レート 1シンガポールドル=約84円
※価格、営業時間は取材時のものです。予告なく変更される場合がありますのでご注意ください。