シンガポール発 郷土料理を高級料理に 後編

シンガポールで近年トレンドになっている、地元の郷土料理を高級料理に生まれ変わらせたもの。後編では1皿数百円の屋台料理が、1万円以上のコースに変身して人気を博している例を紹介する。

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Vol.106

世帯当たりの平均月収が5年前の約3割増(約89万円)と好景気にわくシンガポール。狭い国土でレジャーが少ないことも相まって、「食事」は国民にとって最大の娯楽だ。東京都の約3分の1の大きさの国に世界のトップシェフが集まり、1日に平均2軒のレストランがオープンするなど、シンガポールの外食シーンはまさに活況を呈している。

国際都市らしく、人気店の多くはフレンチやイタリアン、和食などの外国料理のレストラン。ところが近年トレンドになっているのが、地元シンガポールの素朴な郷土料理をモダンな高級料理に生まれ変わらせたもの。後編では1皿数百円のB級グルメである屋台料理が、1万円以上のコースに変身して人気を博している例を紹介する。

屋台で人気の手づかみで食べるシンガポール名物「カニのチリソース煮」を、身がぎっしり詰まった上品なコロッケ仕立てにして提供するレストランも登場
同じ「カニのチリソース煮」を、殻ごと食べられるソフトシェルクラブの天ぷらにアレンジ。中央のアイスクリームがチリソース味。砂浜をイメージした盛り付けにもこだわる
卵を割ると、出てくるのは黄身と白身ではなく、あるデザート! 意外性を通り越し、エンターテインメントとしても楽しめる提供方法が注目を集めている

味わいやインテリアを付加価値にして、屋台料理が高級料理に

シンガポール料理をモダンに生まれ変わらせた店舗の先がけとも呼べるのが「ワイルドロケット(Wild Rocket)」。弁護士のキャリアを捨ててシェフに転身したウィリン・ロー氏が、大統領官邸からほど近い高級住宅街に2005年10月オープンした店だ。

日本のたくあんを少し甘くしたような味の、素朴な大根の漬物「チャイポー」。これを刻んで、上質な北海道産のホタテの刺身と合わせてワンランク上の味に

以前より国の経済が豊かになった今も、「近所の屋台のチキンライスが20セント(約16円)値上げしただけで文句を言う」と評されるように、郷土食の価格に対して非常にシビアな金銭感覚を持つシンガポール人。ところがこの店では、屋台料理をアレンジした「おまかせコース」8皿を、120~160ドル(約9,600円~1万2,960円)で提供しているにもかかわらず、連日予約でいっぱいだ。

もちろん屋台料理をそのまま出したのでは、この額を払う人はいない。この店の特徴は、まず屋台で使われている食材に高級食材を組み合わせ、今までにない逸品に仕上げている点。例えばシンガポールが貧しかった時代、ご飯とこれだけで食事を済ませていたという大根の漬物「チャイポー」を、甘みのあるホタテの刺身と合わせる。組み合わせを変えることで、舌の肥えた現代人も満足する、洗練された味に仕上げた。

また、調理法にもこだわっている。シンガポールを代表する屋台料理の1つともいえる「ホッケンミー」は、小エビをまるごと麺とともに大鍋で炒める大味な料理だが、ここでは高級エビのキング・プロウンを使う。さらに、フレンチの手法を使って、エビの頭や味噌の部分からていねいに旨みを引き出した出汁を加えており、ひと手間かかった上質な味になっている。

ドレスアップして訪れるレストランなので、食べやすさも重視している。通常、「カニのチリソース煮」は屋台では1杯丸ごと出され、手づかみで食べるため手や服が汚れがちだが、同店ではナイフとフォークで食べられるコロッケ仕立てにした(紹介した料理はすべて「おまかせコース」より)。

料理同様、空間や雰囲気づくりにもこだわり、大切な客人を招くための日本の「茶室」をイメージして、インテリアには木を多用。また、「おまかせコース」を頼んだ人だけがカウンター席に通され、有名シェフであるウィリン氏と会話をしながら料理を楽しむことができるといった、特別感あふれる演出も好評。若者から年配の人までが訪れ、シンガポールの食通に広く愛されている。

B級グルメをそのままご当地グルメとして紹介するのも1つの手。だが、同店ではそれらを洗練した味わいに仕上げ、上質なサービスとともに新たな価値を付けて提供することで、トレンドを生み出しているのだ。

典型的な屋台料理「ホッケンミー」をアレンジしたパスタ。大きなエビを使うなど、食材のレベルは上げながらも、味そのものの印象は変えないのがポリシー
訪れた人がシンガポールらしさを体感できるよう、インテリア、スタッフの服、食器に至るまで、シンガポール人デザイナーが手がけたものにこだわっている
ワイルドロケット(Wild Rocket)
10A Upper Wilkie Road, Singapore 228119 (Hangout @ Mount Emily Hotel 1階)
http://www.wildrocket.com.sg/index.html

アレンジした屋台料理を、エンターテインメント性豊かに表現

屋台料理を高級にするだけでなく、遊び心と物語性あふれる演出を加えて提供することで注目を浴びているのが「ラビリンス(Labyrinth)」。シンガポール随一の劇場「エスプラネードシアター」に直結したモール内に、2015年8月移転オープンした。

アミューズの「チークエ」(手前右)。一口サイズに意外な味がぎゅっと詰まっている

「マカン・オーレディ(ご飯食べた)?」を挨拶代わりに使う食いしん坊のシンガポール人。彼らの24時間の食生活を屋台料理で表現したのが、ディナーの「エクスペリエンスコース(新感覚体験コース)」。4種類のアミューズと9皿のおまかせ料理で168ドル(約1万3,608円)。朝食、昼食、午後のおやつ、夕食、夜食、最後はまた朝食に戻ってくるという構成だ。

提供されるのはいずれも、「迷宮」という謎めいた店名にピッタリなものばかり。例えば「朝食」として最初に出てくるアミューズの1つは、伝統的な朝食メニューである「チークエ」と呼ばれている大根もち。……と思って食べると、同じく朝食として親しまれている「ナシ・レマ」(ココナッツで炊いたご飯)の味!

また、コースの中の「夕飯」として出てくるのは「カニのチリソース煮」。前半で紹介した店「ワイルドロケット」ではコロッケ仕立てだったが、ここではソフトシェルクラブの天ぷらにアレンジ。さらにユニークなのが、浜辺の景色を再現したジオラマ風の盛り付けだ。チリソースをアイスクリームにし、カニのスープで作った泡を添えるなど、屋台料理として食べられていたときにはまったく無縁だった最新の調理技術も用いられている。

そしてコースの最後を締めくくるのは「朝食(シンガポールブレックファースト)」の愉快な演出だ。お皿の上にはゆで卵らしきものが1つ。おなじみの半熟卵かと思いきや……。「割りますね」とスタッフが殻を割ると、中からは白身の部分はパンナコッタ、黄身はマンゴーというデザートが登場するサプライズ。塩などの調味料入れの中にはアーモンドパウダー、醤油さしの中はバルサミコ酢となっており、お好みでかけて食べるようになっている。

見た目と異なる味、ユニークな盛り付け、スタッフが目の前で割るアクションなど、意外性あふれる演出を加えることで斬新さを表現し、屋台料理といえば古くさいものというイメージも払拭した。SNSに珍しい料理の写真を投稿するのが大好きなシンガポール人の富裕層や食通たちの人気を呼び、情報が拡散されていくことで、トレンドはますます加速している。

卵の殻を割って中から出てくるのはなんとマンゴーパンナコッタ。スタッフが目の前で殻を割る演出も好評
店内にはお店のコンセプトを象徴する絵が。伝統的なホーカー(屋台)の店主が手に持っているのは、分子料理学と呼ばれる現代的な料理で使われている道具・エスプーマ
レストラン・ラビリンス(Restaurant Labyrinth)
Esplanade Mall, 8 Raffles Avenue #02-23, Singapore 039802
http://labyrinth.com.sg/

取材・文/仲山今日子(海外書き人クラブ)
※通貨レート 1シンガポールドル=約81円
※価格、営業時間は取材時のものです。予告なく変更される場合がありますのでご注意ください。