Vol.61
近年、世界の有名シェフたちが熱い視線を送るペルー料理(参考記事/海外トレンドリポート 今、世界が注目するペルー料理とは?)。ペルーは移民が多く、多種多様な人種が存在するため、料理はアンデスや海岸部の伝統料理に、スペインやアフリカ、イタリア、中国など各国の移民が伝えた様々な食文化が混ざり合っている。スパイスを利かせた料理や、伝統的に生魚を食べることも特徴だ。
そんなペルー料理のジャンルのひとつとして、日本人移民やその子孫たちが形成したペルー料理と日本料理を組み合わせた「コミーダ・ニッケイ」(ニッケイ料理。コミーダはスペイン語で「食事」「料理」。ニッケイは「日系」から来ている)が注目を浴びている。浸透するまでに時間はかかったものの、今では日系人以外にも認知されて確固たる地位を築いた。今回は、その存在を一般に広めた象徴的なレストランをご紹介しよう。
ペルーの無形文化遺産「セビーチェ」をニッケイ流に大胆アレンジ
日本の味がペルー料理に影響を与え始めたのは、日系2世が活躍し始めた1960年代後半~1980年代にかけてのことだ。そして2000年以降、ペルーで起こったグルメブームに素早く反応したのが、3世代目となる若き日系人シェフたち。自分たちのルーツである日本の食(文化)の歴史をひもとき、ペルー料理に日本料理のエッセンスを加えながらも、ペルー人の味覚に合うようアレンジ。テレビの料理番組などで、日系移民の歴史からその料理の特徴にいたるまでをわかりやすく説明していった。こうして「コミーダ・ニッケイ」は、一つの料理ジャンルとして確固たる地位を築いていったのである。
なかでも、日本料理のアレンジを加えることで進化したのが「セビーチェ」。ペルーと日本の食文化における最大の共通点が「生魚」を食べる習慣で、「セビーチェ」はヒラメやニベなど新鮮な生の魚介類をレモン汁と塩、唐辛子などで和えたペルーの伝統料理だ。現在では、ペルーの文化遺産にも指定されるほど国民に愛されており、セビーチェを中心とするシーフード料理専門店は、「セビチェリア」と呼ばれている。
首都のリマ市東部のラ・モリーナ区にある「ニッコー」(Nikko)は、そうしたセビチェリアのひとつ。メインシェフはペルー料理界の重鎮ガストン・アクリオ氏の下で長年働いていた日系人、オマル・フランク・マルイ氏。「ニッコー」という店名は、「ニッケイ」とオマル氏の頭文字である「オ」を組み合わせ、「ニッケイ風味」を強調したものだ。
同店ではマグロやタコといった日本料理の素材を、甘酸っぱいペルー産タマリンド(マメ科の常緑高木。さやに覆われた甘酸っぱい果肉を食べる)のソースで優しく包み込んだ「セビーチェ・ニッケイ」が人気で、2012年のウォールストリート・ジャーナル紙で「ペルーでもっともおすすめのセビーチェ」として紹介された一品。伝統的なセビーチェではグラッセしたカモテ(ペルー産のサツマイモ)を添えるのが一般的だが、「セビーチェ・ニッケイ」ではカモテを細く削ってカリカリに揚げて添えることで、マグロのねっとりとした食感を和らげるなど、これまでのセビチェリアにはなかった斬新なアイデアが注目されている。また、セビーチェで使用される魚はブツ切りが一般的だが、料理に合わせて魚の筋目を見ながら切るという和の調理法を取り入れたことも特徴のひとつ。これまでにない舌触りを実現させた。
さらに、コミーダ・ニッケイを切り開いた故ロシータ・ジムラ氏の代表作「プルポ・アル・オリーボ」(タコのオリーブソース)や、同じく先駆者の一人アウグスト・カゲ氏の「カラコレス・デ・マール」(つぶ貝のうま煮)など、1世代前の日系人が生み出したニッケイ料理にスポットを当て、同じレシピで再現しているのも一般のセビチェリアとは大きく違う点。先代が拓いた歴史やルーツに誇りを抱き、日系文化に敬意を表して料理を提供するという証でもある。
セビーチェは、もともとは塩やレモンでしっかり締めて食す料理だったが、刺身の新鮮なおいしさを熟知していた日系2世が、レモンなどでさっと和えて食べることを考案。現在では、こちらの調理法がスタンダードとなっており、魚の扱いに長けていた日系人の技や味覚が、セビーチェを変えたと言っても過言ではない。なかでも「ニッコー」は、さらにセビーチェの新たな魅力を打ち出したと言える。日系人ならではの自由な発想で作られた「ニッコー」の料理は、好奇心旺盛なペルー人たちの舌を魅了している。
ニッコー(Nikko)
Av. La Fontana 1137, La Molina - Lima
http://www.nikko.com.pe/
「マキ」(巻き)を通じて日本料理を大衆化したスシバー
一方、日本料理の代表ともいえる寿司をアレンジして、「コミーダ・ニッケイ」を牽引しているのが、リマを中心に店舗展開している寿司バー「エド・スシ・バー」(Edo Sushi bar)。それまで格式高かった日本料理を「大衆化させた」と言われている店だ。
ペルー料理を世界に広めた“世界のノブ”こと松久信幸氏が、ペルーで腕を振るった「松栄鮨」。その共同経営者、ルイス・マツフジ氏の親族にあたる日系人のマツフジ一家が、「エド・スシ・バー」を共同経営する出資者たちの中心だ。その出資者の一人であるラファエル・マツフジ氏は、ずっと疑問に感じていた。「セビーチェは生魚なのに、ペルー人はなぜ寿司や刺身がダメなのだろう?」。味付けがされていない、完全に生の状態である、寿司や刺身をペルー人は好まないのだ。
そんななかグルメブームを迎え、ラファエル氏とその家族は2004年にリマ市サン・ボルハ区に「エド・スシ・バー」を開く。当初は誰も客が入ってこないありさまだったというが、しばらくして瞬く間にファンを獲得していった。その起爆剤となったのが、日本の巻き寿司をペルー風にアレンジした「マキ」だ。
ペルー人は海苔の黒さを嫌うため、「マキ」は寿司飯を表にして巻く「裏巻き」を基本とし、その味も甘めに仕上げている。サルサ(ソース)を多用するペルー料理に倣い、様々なサルサを考案し、マキの上にかけた。その代表的なメニューがセビーチェの味を再現した「マキ・アセビチャード」だ。エビフライとアボカドを裏巻きで巻いて、上にマグロの薄切りを載せた。その上には魚介のうま味が溶けだしたセビーチェのエキスにマヨネーズを加えた「サルサ・アセビチャード」をかけ、まろやかに仕上げた。このマキが、日本料理に親しみが薄かったペルー人たちのハートをつかみ、店の評判が一気に広まった。これまでに考案した「マキ」は60種類以上。定番の20種に加え、毎年5~6種類の新作マキをメニューに加えている。平均客単価は65ソレス(約2,340円)、1人当たり平均18個程度の注文があるという。
親族と信頼できる仲間が一致団結して行う彼らの堅実な経営は、ペルーにおけるビジネスの成功モデルといわれている。今や同店はリマ市内を中心に10店舗を構え、350人の従業員を抱える一大企業だ。「私たちは和食とペルー料理を融合させた料理を提供しています。しかし、基本は日本料理なのです。魚の鮮度にこだわり、日本料理の技も守っていく。新しい料理に挑戦しつつも、シャリやタレなどの基本は忠実に守り続けなければいけないと思っています」とラファエル氏は語る。「エド・スシ・バー」のこうした和のこだわりが、多くのペルー人を虜にし続けている。
エド・スシ・バー(Edo Sushi bar)
Av. San Borja Sur 663, San Borja – Lima,
Calle Berlin 601, Miraflores – Lima,
C.C. Jockey Plaza CP 4-9, Surco – Lima 他。
http://www.edosushibar.com/
※通貨レート 1ソル=約36円
※価格、営業時間は取材時のものです。予告なく変更される場合がありますのでご注意ください。