Vol.169
今、世界から注目を集めるペルー料理。そのジャンルのひとつに「ニッケイ料理」(参考記事/海外トレンドリポート 日本×ペルー料理「コミーダ・ニッケイ」最前線)がある。日系移民によって生み出された、ペルー料理と日本料理を組み合わせた料理のことで、ペルー社会に広く定着し、世界的に評価されるレストランも生まれている。
このニッケイ料理を語るうえで欠かせない人物の追悼イベントが、2018年8月2日、ペルーの首都リマで行われた。その人物とは、ペルー料理界に多大な影響を与えた日本人シェフ、小西紀郎(としろう)氏だ。「Toshiro El legado/紀郎 その遺産」と題されたこのイベントでは、日本とペルーのトップシェフが集結し、両国の食材を活かした創作料理を来場者に提供した。日本から参加したシェフは、24歳でペルーに渡り、世界5大陸で活躍する松久信幸氏や、京都の老舗料亭「菊乃井」の主人・村田吉弘氏など総勢11名。ペルーからは、ペルーを代表する料理人、ガストン・アクリオ氏をはじめ、世界の料理専門家たちが選ぶ「世界ベストレストラン50」で上位にランクインする「セントラル」のビルヒリオ・マルティネス氏、日系人シェフのミツハル・ツムラ氏など16名が参加した。
これほど多くのシェフを魅了し、敬愛される小西氏とは、いったいどんな人物だったのか。またトップシェフたちは、このイベントでどんな料理を披露したのか。小西氏の功績を紹介するとともに、2回に分けてイベントで両国のシェフが披露した料理をリポートする。
ペルーを美食の国に押し上げる一翼を担った小西紀郎シェフとは
冒頭でも触れたように、ペルー料理は、近年、世界的な注目を集めている。旅行業界のアカデミー賞ともいえる「ワールド・トラベル・アワーズ」では、6年連続で「世界最優秀グルメ観光地賞」を受賞。また世界26カ国、1,000人以上もの食のスペシャリストたちによって選ばれる「世界ベストレストラン50」(2018年度)において、ペルーのレストランは3軒選出され、6位、7位、39位に入賞している。こうした実績の背景には、世界に類を見ない豊富な食材と、移民たちが持ち込んだ様々な食文化がある。20世紀後半まで、ペルー料理は素朴な田舎料理の域を出なかったが、異国の食文化と融合することによって洗練され、世界レベルにまで引き上げられたのだ。こうした、ペルーにおける食文化の発展において重要な役割を果たした人物が、日本人料理人の小西紀郎氏だ。
小西氏がペルーへ渡ったのは1974年、21歳のとき。のちに“世界のノブ”と呼ばれる寿司職人、松久信幸氏に誘われたことがきっかけだった。2人は、リマの日本料理店でともに腕を振るったが、やがて松久氏はアルゼンチンへ。一方、ペルーにとどまる道を選んだ小西氏は、1989年、リマ旧市街のシェラトンホテル内にレストラン「トシローズ」を出店(2002年に新市街のサン・イシドロ区へ移転)。和食の技術と食材への確かな知識を駆使し、日本とペルーの食文化を融合させたスタイル「ペルビアン・フュージョン」を提唱。ペルー料理の常識を大きく変えていく。
小西氏によるペルーの“食の変革”のなかでも代表的なものが、魚のレモンマリネ「セビーチェ」の調理法だ。もともと「セビーチェ」を作る場合、雑菌の繁殖を抑えるため、魚の切り身をレモン汁で数時間かけて締めるのが一般的だったが、1970年代に、日系2世のシェフにより、短時間で調理することで魚の鮮度を落とさない方法が広がった。そして、その調理法をさらに発展させたのが小西氏だった。魚をレモンと和えるのは食べる直前にして、魚だけでなく器も冷やす。小西氏が示した、この新しい調理法は、魚本来の味や食感を楽しむことができると評判になり、ペルーの飲食業界に広く受け入れられていった。今ではリマ市内の多くのレストランが、同じ調理法を採用している。
当時、食材の目利きや扱い方、衛生管理などにおける知識や技術において、日本はペルーよりもレベルが高く、それを惜しみなく教える小西氏のもとには、いつも大勢のペルー人シェフが集まるようになった。そうしたシェフのなかから、日系移民の食文化を全面に押し出した「ニッケイ料理」を世界に広めた日系3世の若手シェフなどが誕生。一方で、小西氏は、前述のアクリオ氏やビルヒリオ氏といったトップクラスのシェフからも意見を求められる存在でもあった。伝統的な調理法に日本料理の技術を融合させるなどしたほか、後進の育成にも力を注いだ小西氏は、ペルーを美食の国に押し上げる一翼を担った存在といっても過言ではないだろう。
“ニッケイ”を意識したペルーのシェフによる創作料理
そんな小西氏を追悼するイベント「Toshiro El legado/紀郎 その遺産」では、日本とペルーのトップシェフたちが、両国の食材を活かした創作料理を約200名の来場者にふるまった。まずは、ペルー人シェフ2人1組による、一口サイズの前菜7品がサーブされた。参加シェフの専門分野は伝統的なペルー料理から日本料理まで様々だが、今回は小西氏を偲んでということもあり、“ニッケイ料理”を意識した料理が並んだ。
なかでも、もっとも注目を集めたのが、「コンチャ・マカ・クシュロ」だ。これは2005年の「マドリード・フュージョン」(スペインで行われる料理界最高峰のサミット)で高い評価を得た小西氏の代表作「コンチャ・マカ・トビコ」をアレンジしたもの。コンチャ(ホタテ貝)を使った一種のセビーチェで、上にかけるトビコを「クシュロ」というアンデス高地の淡水湖でしか採れない藍藻(らんそう)に置き換えている。実は、このクシュロを発見し、リマのレストランに持ち込んだのも小西氏だ。ホタテには特製タルタルソースとアボカド、ペースト状にしたマカ(ペルーに植生するアブラナ科の植物)、クシュロが添えられ、魚の出汁とレモン、トウガラシを合わせた「レチェ・デ・ティグレ」と呼ばれるソースで全体をまとめている。イクラをさらに柔らかくしたようなクシュロは、口の中でつぶしても存在を主張しすぎることがなく、上品な仕上がり。コンチャの甘みとソースの爽やかな酸味が絶妙だ。
ツムラ氏が自店「マイド」の人気メニューをアレンジした「ティラディート・ポダ」は、薄切りにした生のサバにサランダハという豆で作ったクリームソースをかけたユニークな一品。ティラディートとは、“魚を薄く切る”という刺身の技法を活かし、刺身にソースをかけた、カルパッチョを思わせるニッケイ料理だ。ソースは、一般的によく使われるレモンではなく、オレンジ果汁とオイスターソースを加えたレチェ・デ・ティグレをサランダハのクリームと合わせることで、オリエンタルな仕上がりになっている。
カツオの上に出汁醤油のゼリーをのせた寿司「カツオのニギリ」は、バランスのよさが際立つ一品。口のなかでゼリーが解け、カツオの旨みが増幅される。ワサビとショウガの両方を添えているが、おろしショウガはペルー人には刺激が強すぎるため、卵白と合わせてメレンゲ状に仕上げ、辛味を抑えている。
ハタの一種を使った「メロ・ムリケのセビーチェ」は、まさに“和風セビーチェ”。レチェ・デ・ティグレに出汁を加えてまろやかさを、ショウガでさっぱり感を演出する一方、トウガラシは加えずトッピングとして添えることで辛味を調節できるようにしている。焼いた後、さらに揚げることでパリパリ感を出したメロの皮を上に添えており、香ばしく、おろし大根との相性も抜群だ。
このほか、豚肉とエビのすり身をナスで挟んで揚げた「ナスギョウザ」や、白身魚とアボカド、クリームチーズを巻いた定番のニッケイ料理「インカマキ」、巻貝の醤油煮「カラコル・アル・シジャオ」といった小西氏が得意だった料理も交え、各シェフが協力し合い、この日のためだけの一品を参加者に提供した。後編では、日本の料理人たちによる創作料理を紹介する。
取材・文/原田慶子(海外書き人クラブ)
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