2017/12/14 特集

「RED U-35」グランプリ受賞記念インタビュー 赤井顕治シェフ

新時代の若き才能を発掘する料理人コンペティション「RED U-35」。第5回グランプリに輝いたのはフランス料理の赤井顕治氏。独学で切り開いた料理人としての道のり、故郷を舞台に目指す今後について聞いた。

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グランプリ「RED EGG」受賞記念インタビュー

夢への出発点

新時代の若き才能を発掘する料理人コンペティション「RED U-35」。第5回グランプリ「RED EGG」に輝いたのは、34歳で3度目にして最後のチャレンジにかけたフランス料理の赤井顕治氏。自らの料理スタイルを“構築”と称し、一皿を形づくるものと真摯に向き合う赤井氏に、独学で切り開いたフランス料理人としての道のり、故郷を舞台に目指す今後について聞いた。

赤井 顕治 シェフKenji Akai1983年4月17日生まれ。広島県広島市出身。高校卒業後、広島と福岡のイタリア料理店で勤務。その後、広島のワインバーで厨房の責任者を務めた際、フランス料理に目覚める。渡航費用を捻出するため仕事を掛け持ちして働き、2012~2017年まで断続的に3回渡仏。パリの「ル・ルレルイ・トレーズ(Le Relais Louis XIII)」で約1年半、ヴァランスの「メゾンピック(Maison PIC)」で1年、それぞれ修業。2017年秋より、広島「アーククラブ迎賓館(株式会社テイクアンドギヴ・ニーズ)」にて従事。

“そこにあるもの”を深く知り、敬意をもって届けることが料理人としての役割

一晩、寝ずに考えた渾身の一皿で栄冠に輝く

「RED U-35 2017」の最終審査課題が告げられたのは、前日の18時を回っていた。熊本・天草で、“海そのままの塩”と称される自然海塩「小さな海」を生産する松本明生氏と面談し、その塩をテーマにしたスペシャリテを作ること。一晩でレシピを作り、翌日早朝から仕入れ、仕込み、調理まで、たった1人で行うハードな審査だった。

グランプリ(RED EGG)を獲得した赤井顕治氏も、前日はほとんど寝ずに考えたと振り返る。限られた時間で彼が深く掘り下げたのは、食材や調理方法よりも、料理のコンセプト。松本氏との面談で、もっとも心に残った「人の血液の組成は海の成分と似ている。私たちは『小さな海』を抱えて生きている」という言葉と、塩職人としての生き方に、少しでも近づく一皿を考え続けた。その確かな調理技術とともに、生産者や周囲の人々とていねいに向き合う姿勢を、審査員は高く評価した。

赤井氏にとって「RED U-35」は3度目のチャレンジ。2013年の第1回から注目してきた憧れの舞台だったが、授賞セレモニーに立った彼は「勝ち負けより、審査員の方々に自分の料理を食べていただき、厳しい講評を受けて成長の糧にすることが目的だった」と控えめに喜びを表した。

故郷で描く夢は、想いをつなぐレストラン

高校卒業後、19歳で本格的に料理の道へ進んだ赤井氏。途中、別の仕事に携わっていたこともあり、料理人歴は10年。同年代の料理人と比べるとキャリアは短めだ。また、最初に携わったのは、現在のフランス料理ではなく、イタリア料理。実は、これまでに国内のフランス料理店で働いた経験はなく、基本的な技術は独学で身に付けた。

フランス料理に興味を持ったのは、広島市内のワインバーで働いていたころのこと。フランス産ワインを多く取りそろえていたその店で、厨房の責任者を務めていた彼は、ワインに合う料理の研究に没頭。フランス料理店を食べ歩いたり、本やインターネットで歴史や技術を調べ、試行錯誤していくうち、その魅力にはまったのだという。

独立してフランス料理店を開きたいと思うようになったが、同時に力不足も痛感し、技術を学び直すことを決意。いくつかのレストランへ修業を申し込んだのだが、20代後半でフランス料理未経験という点がネックになり、受け入れてくれる店はなかなか見つからなかったという。そこで赤井氏は、「日本がだめならフランスへ行く!」と一念発起。すでに結婚し、1児の父でもあったため、日本に残す妻子の生活費と、自身の渡航費を貯めようと、仕事を掛け持ちして寝る間も惜しんで働いた。やっと渡仏がかなったのは、1年半後の2012年秋だった。

その後、2度渡仏し、2017年秋までの5年間に、あわせて2年半ほどをフランスで過ごす。ビザが切れると帰国し、資金を捻出するためにひたすら働く生活。焦りや不安にもさいなまれたが、「このときの経験があるからこそ、人への感謝をより深く感じるようになったし、人のつらさもよくわかるようになった。自分にとってはかけがえのない時間でした」と語る。

最初の渡仏では、国家最優秀職人賞(MOF)の受賞者で、フランスを代表するシェフの一人、マニュエル・マルティネス氏の「ル・ルレルイ・トレーズ(Le Relais Louis XIII)」(パリ)で働いた。小さな厨房で、一流シェフの仕事を間近に見られる環境。「よい食材を仕入れることはもちろん、その食材のもっともよいタイミングを見極め、もっとも活きる調理法を考えることが大切ということも学びました」。その後、3度目の渡仏では、ヴァランスにある三ツ星レストラン「メゾンピック(Maison PIC)」で、肉の火入れを任されるまでに。今回の「RED U-35」に応募したのは、メゾンピックで働いていたころのことだ。

仕込みと調理で朝から晩まで休む暇がなく、孤独な戦いで何度もあきらめそうになったというが、「34歳でこれが最後のチャンス。できることはすべてやりつくそう」と自らを奮い立たせた。そんな彼を待っていたのが、最終審査での塩職人・松本氏との出会い。テーマを聞いた時の心境については、「率直にうれしかった」と話す。それまで1人だったが、最後に「生産者とともに戦える」と思えたからだ。

自らの料理スタイルを、赤井氏は「構築」と語る。彼が重視しているのは、食材や生産者など、まず目の前にあるもの。それらのよさをていねいに読み解くことから始まり、魅力を最大限に引き出すよう心血を注ぐ。構築というスタイルは、“そこにあるものをいただく”という敬意にもつながっている。最終審査で、それは大きな輝きを放った。

大会後は広島に戻り、市内の結婚式場で調理に従事する赤井氏。「この大会を通じて、調理技術など様々な力が足りていないことを痛感しました。まだスタートラインにも立てていないというのが正直なところです」と言う。それでも、目指す方向はすでに定まっている。「料理人として、自分自身や、料理の背景にあるものをもっと表現していきたい。故郷である広島で実現することにも意味があると思っています」。レストランには、その土地を愛し、食と文化を守りたいと願う人をつなぐ力、発信する役割があると考えるからだ。近い将来、広島にそんな店がきっと生まれる。今大会で、彼はその第一歩を踏み出した。

グランプリ(RED EGG)受賞の瞬間、小さくガッツポーズをして、喜びを噛みしめる赤井氏
最終審査の調理後、塩職人の松本氏に、天草の塩「小さな海」のスペシャリテをサーブ。人間の血液を表現する食材として鴨肉を用い、「小さな海」のみで味付け。海を連想させる牡蠣を付け合せとし、ネギのソースには松本氏の故郷・徳島の柚子を加えた
5人のファイナリストの中で最後に料理を提供した赤井氏。サービス担当者と打ち合わせ、ポーション調整が必要な審査員がいないかを確認する心配りも高評価を得た
アーククラブ迎賓館
広島県広島市西区井口台2-1-45
ウェディング、イベントプロデュース等を手掛ける株式会社テイクアンドギヴ・ニーズが運営する、広島市の結婚式場。産地や旬の食材にこだわり、パーティを盛り上げる本格的なフランス料理を提供。