株式会社 元気屋 代表取締役 本田 貴志 氏 - 挑戦者たち -

2016/05/19

社長って、めちゃめちゃ楽しい。
みんなを社長にして成長したい

株式会社 元気屋 代表取締役 本田 貴志

埼玉県川越市を中心に、この10年で10店舗を出店している株式会社 元気屋。代表取締役の本田貴志氏は、「東京にはあるけれど、ローカル立地にはない店をつくりたい」と、自らの会社の店舗展開の意義を語る。水商売から始まったこれまでの軌跡、そして、今後の夢と展望を聞いた。

――ちょうど10年前に最初の店舗を出しました。出店までの経緯は?

 高校を中退し、建設業の職人などをしていたのですが、21歳のとき、水商売をやってみたいと、たまたま目についたお店の求人を頼りに、どんな仕事かも知らずに面接に行きました。その会社に勢いがあって、自分がいた4年間で3店舗から18店舗まで急成長。店舗展開の様子を間近で見ていて、おもしろくてワクワクしました。

 とにかく会社の業績アップのために一生懸命に働いて、すぐに店長になりました。スタッフをまとめて現場を盛り上げ、店の売上を上げることが楽しくて仕方がなかったですね。このときに接客術というか、人に喜んでもらう感覚が身についたと思います。

 でも昇進して、現場を離れたらつまらなくなってしまい、25歳で退職。次は何をやろうか考えていたとき、自分の後に店を辞めた後輩2人が訪ねてきて、一緒に何かやりたいと言うんです。「本田さんとなら、おもしろいことができそう」と。そんなとき、たまたま3人で行った店が東京の居酒屋「てっぺん」。店のスタッフがお客さんを盛り上げる様子を見て、「これなら、前職で鍛えられたオレたちも得意だな」と思い、居酒屋をやることに決めました。

 それからは、それぞれ別の居酒屋で3カ月修業し、料理やオペレーションを学び、資金を貯め、物件を探しました。開業資金が足りず、父親に300万円を借り、自分たちで壁を塗ったりして、出店にこぎつけたのが2006年7月、27歳のときでした。

――1号店から繁盛したようですね。どんな戦略だったのでしょう?

 1号店は西武新宿線新狭山駅から5分ほどの、住宅地の中の居抜き物件。マーケティングなどはほとんど行わず、料理は居酒屋メニューに、東京で流行っていたトレンドをちょっと加えました。ただ、味にはまったく自信がなかったので、「元気メシ」とか「びっくりざるうどん」とか、ボリューム勝負のメニューが名物でした。一番の売りは元気なので、店名は「元気屋ふってん」(現在は「炉端ふってん 総本店)。「沸点」から連想して、熱さや元気を伝えたかったのです。

 ところが、オープン直後はさっぱり客が来なくて、物件の大家さんからも「『元気屋ふってん』じゃなく、『陰気屋氷点』だろ」とからかわれました。

 それでも、徐々に接客時のトークなどエンターテインメント性がうけ始め、売上も上昇。近くに企業の独身寮や工場があり、サラリーマンが来てくれるようになったこと、また、近隣の主婦たちが誕生日の演出の楽しさを口コミで広めてくれて、忙しくなりました。それでも人を雇う余裕はなく、妻や姉に手伝ってもらっていました。

 前職では、お客さんに「ありがとう」と言われることは、まずありませんでした。でも、「ふってん」では「ありがとう」や「楽しかった」と、毎日言われる。これはうれしかったですね。働く原動力になりました。

 翌年には、隣の南大塚駅に2号店を出し、これも成功。振り返ってみると、どちらの立地も、駅前にチェーンの居酒屋と昔ながらの小料理屋さんがあるだけで、「ふってん」のような、若者が元気に接客する店がなかったのです。このエリアにそういうニーズがあることがわかり、「地元にない店、あれば自分が行きたくなる店」なら成功できる、という確信が生まれました。

――店が増え、人材育成や組織づくりの必要性は高まりましたか?

 店を増やしても人材には困らなかったですね。そもそも店舗展開したのは、立ち上げメンバーが1つの店にいるのが、もったいないと思ったから。みんな前職で店長を経験していましたし、その後も前職の後輩が入社していたので、彼らに店を任せたくて3号店、4号店を近くの駅に出店しました。

 その後くらいからですね、会社として土台を固めようと思ったのは。株式会社にしたのは2008年7月ですが、給与体系を整えたのは2010年以降です。立ち上げメンバーの1人に「スタッフのモチベーションアップのためにも必要では」と言われ、評価制度と昇給の基準を明文化しました。

 企業理念も決めました。「社長が会社を経営する理由が企業理念だよ」と言われたので、「遊ぶために働く」としました。本当はもっと細かい経営理念なども必要なのかもしれないのですが、しっくりくる文言が湧いてこないので、まだ決めていません。今はそれがなくても、みんなが同じ方向を向いて仕事ができているので、いずれ必要な時が来たら、たぶん、自然に言葉の方から降りてくる気がします。

――その後、イタリアン、大衆割烹、かき小屋と、新業態を手がけていますね。

 2012年、6店舗目で初めてイタリアンに挑戦しました。というのも、都内に視察に行ったら、スペインバルがすごく流行っていたから。カジュアルにワインを飲める店が地元にもあったらいいなと思って作ったのが、川越の「イタリアン酒場 TAKEYA 本店」。ちなみに店名には、出資をしてくれた父(武季 たけすえ)への感謝を込めました。

 この店では料理にも内装にもこだわりました。料理長には人気のイタリアンで修業してもらい、内装も初めてデザイン事務所に依頼。立ち飲みスペースを外から見えるようにし、空間のかっこよさと活気が伝わるようにしました。「TAKEYA」はロケットスタートを切り、翌年には川越にもう1店、昨年は所沢にも出店しました。

 さらに川越で「TAKEYA」ブランドを確立したかったので、和の業態として「大衆割烹 TAKEYA 川越店」も出店。これは立ち飲み割烹の「かねます」(東京・勝どき)のような店が川越にもほしいと思ったから。料理人を探し、巡り会ったのが今の総料理長。彼のおかげで、割烹店だけでなく全店の料理レベルが上がりました。

 「大衆割烹 TAKEYA」は、料理のレベルが高く、予想より年配のアッパーな層に支持されたため、座るスタイルに変えた途端、好調に。続けて、今年4月には「かき小屋 オイスターマン 川越店」をオープンしました。

――今後の店舗展開や会社の将来についてどう考えているのでしょうか。

 川越には、業態を変えれば、まだまだ出店できる可能性があります。ですから、ビアガーデン、寿司、焼肉など、やりたい店はたくさんあります。展開としては、イタリアン、大衆割烹、かき小屋、ビアガーデンの4業態を1つのパッケージにして、ローカル立地に作っていきたいと考えています。

 会社としては、みんなを社長にすることが夢。社長ってめちゃめちゃ楽しいんですよ。特に新店の立ち上げはすごくおもしろいし、自分も成長できる。これをみんなにも味わってほしいので、既存店の譲渡を含めて、それぞれが社長になる仕組みを作ろうと考えています。そうなれば社長同士、対等な関係で相談したり、助け合ったりできる。「元気屋グループ」として、グラスを同じ高さにして乾杯できたら、こんなにうれしいことはありません。

本田 貴志 氏
本田 貴志 氏
 
大衆割烹 TAKEYA 川越店(埼玉・川越)
大衆割烹 TAKEYA 川越店(埼玉・川越)
http://r.gnavi.co.jp/a7mag3pb0000/
都内の「立ち飲み割烹」をヒントに出店した大衆割烹。日本酒に合う逸品を揃え、アッパーな層を引き付けて予想以上の人気店に。
かき小屋 オイスターマン 川越店(埼玉・川越)
かき小屋 オイスターマン 川越店(埼玉・川越)
http://r.gnavi.co.jp/bx6rpb080000/
海の家にいるような豪快な雰囲気で、カキの浜焼きを堪能できる。ホタテ、ししゃもなどの魚介のほか、焼鳥やソーセージも人気。
スタッフとその家族たちが集合する「元気屋BBQ」を毎年開催。「100人、200人と盛大にするのが夢」(本田氏)
スタッフとその家族たちが集合する「元気屋BBQ」を毎年開催。「100人、200人と盛大にするのが夢」(本田氏)
本田 貴志 氏
Profile
Takashi Honda
1978年埼玉県生まれ。高校中退後、建設関係の職人などを経て、水商売へ。様々な経験を積むなかで経営感覚を身につけ、27歳で埼玉・新狭山に、居酒屋「元気屋 ふってん」を出店し、独立開業。現在、川越市を中心に居酒屋、イタリアン、大衆割烹、かき小屋などの店を展開する。
Company Data
会 社 名
株式会社 元気屋
所 在 地
埼玉県狭山市新狭山2-16-12
Company History
2006年
居酒屋「元気屋ふってん」(現「炉端ふってん 総本店」)を埼玉・新狭山にオープン。以後、2010年まで毎年1店舗を、近隣エリアに出店
2008年
株式会社 元気屋を設立
2012年
初のイタリアン業態「イタリアン酒場 TAKETA 本店」を埼玉・川越にオープン。
2013年
和食「大衆割烹 TAKEYA 川越店」出店
2016年
新業態「かき小屋 オイスターマン」出店
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