有限会社 ランズドリームファクトリー 代表 伊藤 崇 氏 - 挑戦者たち -

2016/07/06

お客様の「ありがとう」と笑顔で
どんな困難も乗り越えられる

有限会社 ランズドリームファクトリー 代表 伊藤 崇

いくつもの試練を乗り越えてきた、有限会社ランズドリームファクトリーを率いる伊藤崇氏。スタートは表参道であったが、現在は食材に恵まれた湘南エリアを拠点に、5店舗を展開。困難は多くても、お客様の喜びがすべてを吹き飛ばしてくれると、“Make Happy”を理念に、食の喜びと楽しみを追求し続けている。

――飲食業界に入られたきっかけを教えてください。

 大学入学後、渋谷の喫茶店でアルバイトを始めたところ、まかない作りにハマり、もっと料理を勉強したくなって、当時、渋谷で大人気だったダイニングバー「CORN- BARLEY(コーンバレー)」に移りました。ここでは料理を学びながら、「飲食店はお客様に喜んでいただくことが何より大事」ということを叩きこまれましたね。

 その後もいくつかの飲食店で働き、大学卒業後はワーキングホリデーでカナダへ。映画の勉強をしたかったのですが、生活するための手段としてレストランやホテルの厨房などで働くなかで、結果的に飲食業の修業を積むことになりました。1年ほどで帰国してベンチャー企業に就職したものの、しっくりこないというか、何かつまらない。やはり、自分には飲食業が合っていると感じ、店を探したのですが、働きたい店がない。ならば、自分で店をつくるしかないと決意しました。

――1店舗目は繁盛店になりましたが、2店舗目で失敗も経験したそうですね。

 最初の出店は資金がなかったので、大分に帰省した際、父親に借金を申し込みました。なかなかOKしてはくれませんでしたが、最終的には「そこまで本気ならやってみろ」と、退職金を貸してくれることになりました。

 当初は小さな店を考えていたのですが、たまたま不動産屋で、東京・表参道の裏通りにある2階建て一軒家の物件を見つけ、実際に物件を見たら、どうしてもそこでやりたくなってしまいました。家賃は月100万円。公的機関からも融資を受け、どうにか資金を調達しましたが、それでも内装費が足りない。そんな時、知人が内装などを手がける人たちを紹介してくれ、廃材なども使ってみんなで手作りしながら、なんとか予算内で仕上げることができました。こうして1999年に出店したのが、レストランバー「L'osteria Rans(ロステリア ランズ)」です。オープンからしばらくは友人・知人がたくさん来てくれて、わりと賑わったんですが、一段落すると客足がパタリと止まってしまいました。これまで厨房での仕事しかやったことがなく、経営的なことは未経験だったため、どうしたらいいか悩みましたが、来店された方と積極的にコミュニケーションを取るなど、とにかく喜んでいただくことを徹底しました。すると、徐々に口コミでお客様が増え始め、加えてテレビや雑誌の取材も入ったことで一気にブレイク。月に1000万円を売り上げるまでになりました。

 店の経営に余裕ができたころ、西麻布に遊びに行き、この街に店を出せたらいいなと思うようになりました。すると、タイミングよく物件の話があり、2003年に2号店をオープン。ところが、これが大失敗。物件ありきで周辺のリサーチもなしに出店を決め、コンセプトも曖昧だったため、まったくお客様が来てくれませんでした。結果、赤字を抱えて撤退。表参道で飲食業の醍醐味とおもしろさを味わい、西麻布では怖さと厳しさを知りましたね。

――次に神奈川・鎌倉に出店したのは、どのような経緯からですか?

 表参道の店がうまく回っているうちに社内で人が育ち、僕自身は湘南で趣味のサーフィンをする時間的な余裕もできました。そこで、本場のイタリアンを勉強しようと、バックパック1つでイタリアへ。1カ月ほどの旅で、本場のパスタのおいしさに感動したのはもちろん、食材にも興味がわき、各地の市場にも足を運びました。

 戻ってきて、今まで以上に食材の大切さを意識し始めた頃、サーフィンでよく訪れていた鎌倉で、「小町通り」にいい物件があるという話が来たのです。下見を兼ねて大家さんに会いに行き、話をするうちに、その人柄に引かれ、直感で出店を決めました。後で調べてみると、鎌倉は野菜や新鮮な魚介に恵まれていて、願ってもない環境でした。さらに、自信を持っておすすめできる、藤沢の「みやじ豚」という素晴らしい豚肉にも出合えました。そして2008年、“体にやさしいイタリアン”がコンセプトの「Rans kamakura」を出店。ただ、オープン当社は厳しかったですね。小町通りは、昼は観光客で溢れていますが、夜になると閑散としています。それでも、お客様一人ひとりを大事にする姿勢を貫き、コミュニケーションを図るうち、評判が広まり、地元のお客様がリピーターになってくれました。

 ところが、鎌倉店がようやく軌道に乗った矢先、大事件が起きます。表参道の店が火事を起こしてしまったのです。店は閉めざるを得ませんでした。

――その後、大船、藤沢など湘南エリアへの出店が続いていますね。

 1号店がなくなってから2年間は「Rans kamakura」だけでやり繰りしていましたが、会社全体の売上を考えると、もう一本柱がないと苦しい。出店エリアを考えている時、親しくなった地元の農家の方から、大船はどうかと、アドバイスを受けました。行ってみると、雑多な街ですが人は多い。ここで勝負をかけてみようと、2011年、“大船にワインを”を合言葉に「大船ワイン食堂 NAVE(ナーヴェ)」を出しました。しかし、またしても思わぬ試練に見舞われます。オープン1週間後、予約で満席の金曜日に東日本大震災が起きたんです。周りの店が休業するなか、計画停電の時もロウソクを灯しながら、休まずに営業を続けました。すると、予想以上にたくさんのお客様が来店し、街が沈んでいるなかで笑顔になってくださり、売上は右肩上がりで伸びていきました。

 2012年には藤沢にワイン業態を、2013年には、大船に九州料理を売りにした初の居酒屋業態を出店。この居酒屋は、2015年に肉バルに変更し、熟成肉をメインにグラム単位の量り売りを導入しました。これがヒットし、客単価は居酒屋時代の3倍以上になっています。

――今後の展望と飲食業界を目指す人たちへメッセージを。

 昨年、鎌倉に昼は洋食、夜はライブやパーティに使用できる、秘密基地感覚の「Rans the Sun」を出店し、湘南エリアの店は5店舗になりました。当面は、この5店舗の基盤強化に力を注ぎます。また、商業施設のイベントなどへも、出店の声がかかるようになり、こうした場で地元の食材の魅力を発信していきたいと思っています。その後は、店舗を拡大したいですね。お客様もスタッフもハッピーにするという企業理念の「Make Happy」を浸透させてきた結果、いいスタッフが育ってきています。彼らの場所・ステージをつくってあげたい。それと、もう一度、表参道に店を出したいという想いも持っています。

 飲食業は見た目ほど華やかではなく、辛いことの方が多い世界。でも、お客様から「おいしかった」「ありがとう」と言われた時の喜びが、すべてを吹き飛ばしてくれます。そして、困難があっても、絶対やるという強い意志があれば、必ず周囲も助けてくれる。振り返ってみて、僕はこの道に進んでよかったと心から思っています。

伊藤 崇 氏
伊藤 崇 氏
 
Rans kamakura(神奈川・鎌倉)
Rans kamakura(神奈川・鎌倉)
http://r.gnavi.co.jp/g848702/
鎌倉野菜、相模湾の新鮮な魚介、藤沢のみやじ豚など、地元の旬の食材を使った料理を提供。記念日や結婚式二次会などの利用も多い。
大船肉食堂 バンバンミート(神奈川・ 大船)
大船肉食堂 バンバンミート(神奈川・ 大船)
http://r.gnavi.co.jp/25p19zd80000/
国産黒毛和牛の熟成肉をはじめ、ガッツリ肉メニューが楽しめ、グラム売りも好評。種類豊富な飲み放題が付く宴会コースも人気。
スタッフとキャンプに行った時のひとコマ。伊藤氏は彼らが幸せに働けるステージをつくってあげたいと語る
スタッフとキャンプに行った時のひとコマ。伊藤氏は彼らが幸せに働けるステージをつくってあげたいと語る
伊藤 崇 氏
Profile
Takashi Ito
1972年大分県大分市生まれ。大学時代は飲食店でのアルバイトにいそしみ、卒業後はワーキングホリデーでカナダへ。帰国後、半年間の会社員生活を経て、1999年、27歳で最初の店舗を出店。現在は、鎌倉を拠点とした湘南エリアに、イタリアン、ワイン食堂など5店舗を構える。
Company Data
会 社 名
有限会社 ランズドリームファクトリー
所 在 地
鎌倉市雪ノ下1-5-38 こもれび禄岸2番館1F
Company History
1999年
表参道に「L'osteria Rans」オープン
2000年
有限会社ランズドリームファクトリー設立
2008年
鎌倉に「Rans kamakura」オープン
2011年
大船に「大船ワイン食堂 NÄVE(ナーヴェ)」オープン
2012年
藤沢に「藤沢ワイン食堂ciaovino」オープン
2015年
大船に「大船肉食堂バンバンミート」、鎌倉に「Rans the Sun」オープン

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