有限会社 坊's 代表取締役社長 加藤 大輔 氏

「完璧な営業」を追求する。そこに飲食業の醍醐味がある

愛知県名古屋市を中心に、大箱の居酒屋をグループ全体で42店舗展開する有限会社坊's。代表の加藤大輔氏は27歳で起業以来、時には預金残高が数千円という苦境もくぐり抜けてきた。名古屋で指折りの飲食企業へと成長を遂げた今も、駆け出しだった20代の頃とまったく変わらない「飲食に携わる喜び」を日々、噛みしめている。
加藤 大輔 氏
加藤 大輔 氏

――10代の頃から起業することに関心を持っていたそうですね。

 高校で仲がよかった友人2人と「20歳までに各自100万円ずつ貯めて、3人で一緒に会社を作ろう」と約束したのが、起業を意識した始まりです。卒業後はフリーターになり、仕事をかけ持ちして休みなく働きましたが、稼いだ分だけ全部使ってしまい、結局その計画は立ち消えになりました。

 その後、別の高校時代の友人と「一緒に居酒屋をやろう」と、新たな約束を交わしました。きっかけは、その友人と大手の居酒屋を利用した際、対応してくれた店長が金髪だったこと。外見ではなく実力で評価される世界だと感じ、「これなら俺たちにもできるんじゃないか」と考えたのです。計画の実現に向けて経験を積もうと、以前アルバイトをしていた居酒屋を経営する有限会社創三舎(そうざんしゃ)に、社員として入社しました。当初は1年で独立するつもりでしたが、会社のナンバー2だった先輩社員の下でもっと学びたいと思い、結果的に5年勤めました。その人から飲食業の楽しさや厳しさ、人として大切なことを教わり、私にとっては親父のような、兄貴のような存在です。

――尊敬する先輩からの教えで、特に心に残っていることは?

 「自分で考える」ことの大切さですね。店の営業中、その先輩は3フロア全150席のオーダー状況をすべて頭に叩き込み、各グループの退店のタイミングを予測して、入店待ちのお客様をあと何分で店内にご案内できるかまで正確に把握していました。私も必死で追いつこうと努力するなかで、「いかに店を円滑に回すか」を追求することに醍醐味を感じていました。

 当時、私はいちばん下っ端の社員で、日報やシフト作成などは任せてもらえません。ならばと、休憩時間を使って自分で勝手にシフトを組んでいました。誰かに見せるためではなく、自主練習です。そんなふうにして、「考えろ」という教えを自分なりに実践していました。その後、5年間でエリアマネジャーまで昇格し、新店の立ち上げも含めて様々な業務を経験。必要なことはほぼ学んだと実感して、退職しました。

――念願の独立に向けた準備がいよいよ整ったわけですね。

 ところが、ここで計画が大きく崩れました。一緒に居酒屋を始める約束をしていた友人が、修業先だった別の居酒屋チェーンに残る選択をしたのです。結果、2人で持ち寄るはずだった独立資金がまったく足りず、それからはトラック運転手などをして資金を貯めることに専念しました。そんな生活が2年続いた頃、創三舎のOBが集まる機会があり、その席で、私が店長時代にアルバイトだった1人から「加藤さんは『独立する、独立する』と言ってるけど、口ばかりじゃないですか」と突っ込まれました。その言葉で火がつき、創三舎の店舗を賃借する形で1カ月後に独立。あの時、私をけしかけた人間が、現在、当社で専務を務めています。

 1店舗目は名古屋の納屋橋にあり、もともとは私が創三舎で立ち上げに関わった店です。店名と業態を変え、100万円ほどかけて内装にも手を加え、オープン直後から売上は堅調でした。ただ、店舗の賃借期間が2年と決まっていたので、なるべく早く完全な独立店を出したくて、わずか3カ月後に2店舗目をオープンしました。蓄えをすべて投入したので、預金残高はわずか数千円に。一か八かの勝負に出たわけですが、幸いにも2店舗目が繁盛し、続けて3店舗目となる「地鶏坊主名駅寺店」をオープンしました。以降も、「九州小町」「東北商店」「豚金」など、業態を増やしながら立て続けに新店を展開。限られたエリアに飲食店が密集する名古屋では、同業態で客を取り合う状況なので、それを防ぐことが多業態での展開を選んだ大きな理由です。

――現在、店舗数はFC含め42店に拡大。成功の秘訣は何だったと考えますか。

 一貫して心がけてきたのは、お客様に「おいしい」と思っていただける料理を提供するという、ごく当たり前のことです。加えて、私自身のことを挙げるなら、常にお客様目線を忘れずにいたこと。その大切さを日頃からスタッフにも伝えていて、例えば、店のピーク時にテーブルの片付けがおざなりになっているようなときには、「自分がお客様ならここで気持ちよく過ごせる?」と問いかけたりします。

 業態開発で意識しているのは、「今日は○○を食べよう!」と、明確な目的を持つお客様に来ていただける店にすること。何料理の店なのか一目瞭然な店名にしているのもそのためです。また、各業態ともターゲットを絞ることはしていません。老若男女の多様なお客様が同じ空間で居心地よく過ごせる店を目指し、実際に幅広い層のお客様にリピートいただいています。

――独立してからこれまでで最大の試練は何でしたか?

 東日本大震災は、名古屋を拠点とする我々にも大きな打撃でした。その前年の2010年9月に東京初出店となる「地鶏坊主 渋谷本店」を、さらに震災直前の2011年2月に「地鶏坊主六本木店」を出店したのですが、震災を境に売上は急落。当時、6店舗を経営していた名古屋でも宴会自粛の動きが広がり、非常に厳しい状況に陥りました。悩んだ末、出店方針を大きく転換。東京への新規出店を一度ストップし、名古屋に重点を置きました。名古屋は東京に比べて宴会需要が大きく、大型店を展開する我々にとって商売がしやすい土地だと再認識したからです。また、土地勘のある名古屋だからこそ、物件選びや店舗運営も無駄なく戦略的に進められます。震災後の約1年間で名古屋に4店舗を出店し、結果としてその戦略が以降の成長への起爆剤になりました。震災1年後から、東京での出店にも再び力を入れ始め、現在は東京で5店舗を展開しています。

――今後の目標やビジョンを教えてください。

 社内カンパニー制を進め、今後5年以内に、エリアマネジャーをそれぞれ社長に据えた別会社を設立し、ホールディングス化を図ります。「社長になる」という夢を持つ社員たちに、そのチャンスと場を提供し、グループとしての力も高めていくことが狙いです。そして、ホールディングスで売上を100億円に伸ばす目標を掲げています。

 20歳の頃、今の姿は想像もできませんでした。目の前のことにがむしゃらに取り組んでいるうちに、気が付けば会社が大きくなっていた、というのが実感です。実は今も現場に立つことがあり、アルバイトに料理を教えたりもします。理由はシンプルで、現場が何より好きだから。経営上の悩みや迷いも現場に出れば、「やれることを一生懸命にやるしかない」と吹っ切れます。喜びを感じるのは、自分たちの思う「完璧な営業」ができた日。その意味では、飲食業に感じるやりがいや醍醐味は、20代の頃も今も変わっていませんね。

 坊'sグループ全体が言わば1つの家族であり、その身近で大切な家族を幸せにしたい。経営者としての根底には、その想いがいつも強くあります。

東北商店 栄 プリンセス大通り店(愛知・名古屋 栄)
東北商店 栄 プリンセス大通り店
(愛知・名古屋 栄)
https://r.gnavi.co.jp/sn3dx55s0000/

様々な個室を備えた東北料理専門の居酒屋。看板メニューは、厚切り牛タン炙り焼、比内地鶏仙台味噌焼など。東北の地酒もそろう。

豚金 名古屋名駅本店(愛知・名古屋駅)
豚金 名古屋名駅本店
(愛知・名古屋駅)
https://r.gnavi.co.jp/n9ckmm2n0000/

今年10月10日オープン。金華豚を使ったしゃぶしゃぶや鍋、サムギョプサルなどが名物。最大140名までの宴会にも対応する。

今年8月に行われた加藤氏の結婚式。社員はもちろん、FC店や業務委託店舗の関係者もお祝いに駆けつけた

今年8月に行われた加藤氏の結婚式。社員はもちろん、FC店や業務委託店舗の関係者もお祝いに駆けつけた

加藤 大輔 氏

Profile

Daisuke Kato
1977年、愛知県名古屋市生まれ。高校卒業後、飲食業で将来的に独立する目標を掲げ、名古屋の居酒屋チェーン店で5年間にわたり経験を積む。その後、トラック運転手などをやりながら資金を貯め、2004年に27歳で独立・開業。現在、直営18店、FC15店、業務委託9店を展開する。

Company Data

会 社 名
有限会社 坊's
所 在 地
愛知県名古屋市中区栄2-4-12 TOSHIN HONMACHIビル802

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