RED U-35 グランプリ「RED EGG」受賞記念インタビュー
自由人、戴冠
新時代の日本の料理会をリードする、若き才能を発掘する「RED U-35」。2014年に2回目を迎えた、日本最大級の料理人コンペティションで、グランプリ「レッドエッグ」に輝いたのは、フランス・パリに店を構える吉武広樹氏。自由な発想で料理の国境を飛び越える吉武氏に、受賞の喜びと今後の目標を聞いた。
Shop Data
Restaurant SOLA
12, rue de l’hotel colbert 75005 Paris
http://www.restaurant-sola.com/
ジャンルにとらわれず、日仏の食材を駆使した創作料理を提供。掘りごたつ式の独特の空間も話題で、連日賑わいを見せる。2012年にはミシュランの一ツ星を獲得している。
世界の舞台に挑む料理を、故郷・佐賀の食材で表現
「世界を舞台に戦う料理人として、勝たなければならない大会」――。吉武広樹氏は、「RED U-35」への意気込みをこう語り、タイトルへの並々ならぬ想いを表した。2013年の第1回では第1次審査を通過して「ブロンズエッグ」を獲得。2度目の挑戦となる今回はもちろん、最初からグランプリ「レッドエッグ」を狙っていた。
2010年、パリに自身のレストラン「SOLA」をオープンして4年。ミシュランの一ツ星に輝く人気店となったが、ここで終わるつもりはなかった。「もっと上にいって、世界の頂点に立ちたい。そのためには、世界の舞台を知る(REDの)審査員の評価も得ながら、吉武広樹という名前とその料理を、もっと広く知ってもらう必要があると考えていました」と語る。
11月3日の授賞セレモニーで、グランプリが決まった瞬間、壇上の吉武氏は喜びを噛み締めるように小さくガッツポーズをした。直後のコメントは、「やっと始まったばかり」。目標へ向かって突き進む熱い気持ちと、その道程を見つめる冷静な目。それが1つになったところに、吉武氏の魅力がある。では、世界に挑む“吉武の料理”とは一体、どんなものなのか。
最終審査で、吉武氏が披露したのは「『故郷』―伝統と革新」と題された創作料理だ。食材は、肉も野菜もすべて故郷の佐賀県産。決め手となるコンソメスープの水も、佐賀県の水源にわざわざパリから汲みに帰ったというから、その徹底ぶりが伺える。
「佐賀県は自分が生まれ育ったふるさとで、今も家族が住む大切な場所。ここが今の自分を作ってくれたので、少しでも役に立ちたい」と吉武氏。その気持ちから、今回のメイン食材に佐賀県武雄市産の猪を選んだ。
「武雄市で2013年に駆除・捕獲された猪は3000頭。そのうち、食用になったのはわずか350頭で、残りのほとんどは処分されました。僕がここで猪を使うことで、食材として興味を持ってくれる料理人が増えるかもしれません。そうすれば佐賀県にも猪にも、お客様にも喜んでもらえる」と語る。猪の解体から始め、「テクニックはフレンチ、感性は日本人」と自己分析するやり方で、「吉武の料理」を堂々と披露し、高い評価を得た。
ターニングポイントは国境を越えた放浪の旅
「自分という料理人をひと言で表すなら?」と聞かれ、吉武氏は迷わず、「自由」と答えた。「例えば、『ここで醤油を使えばもっとおいしくなる』と感じたとき、ベースであるフランス料理という枠を外したら、ぐっとやりやすくなった」という。このジャンルにとらわれない“自由”な料理へのターニングポイントは、26歳のときの世界を巡る旅にあった。調理器具を携え、アジア、中東、アフリカ、ヨーロッパ、アメリカなどを回り、言葉の通じない地で、現地の人との交流を支えてくれたのが料理だ。「自分は本当に料理が好きなのだと、心の底から思いました。大切なのは“おいしい”こと。そこにはジャンルも国境も関係ない」と吉武氏。同時に異国の地で、日本人であること、故郷を愛していることにも気づかされたのか、もっとも多く振る舞ったのは、和食だったという。これこそが、自分の中に息づく原点を自覚したうえで得られた“自由の翼”だった。
そして、この翼は世界に羽ばたく夢にもつながる。パリを拠点に東京、ニューヨーク、ロンドン、シンガポールなど世界の都市で「吉武の料理」を発信し、「『サンペレグリノ・ザ・ワールド50ベスト・レストラン』でトップに立ちたい」と、目標を語る。それが夢物語に聞こえないのは、「自分1人の力ではなく、周囲の人々の力があって初めて成し遂げられること」と、現実をしっかり見据えているからだ。
「グランプリが決まった瞬間、最初に頭に浮かんだのは、パリの店で留守を守ってくれているスタッフたちの顔でした。『RED U-35』に取り組んだ半年間は楽しかったけれど、苦しいこともあったし、自分の足りないところもたくさん見えてきました」と話す吉武氏。パリで頑張っている同じ若手の日本人シェフや先輩たちには助言をもらいながら、ともに切磋琢磨してきた。そして、支えてくれた店のスタッフ。「賞金(500万円)は、彼らへの感謝のために使いたい」と笑顔を見せる。
パリで日本人シェフのコミュニティを引っ張る存在となり、今後は日本国内での期待も高まるばかりだ。「日本人の料理人がもっと世界の中心に立てるよう、みんなの期待に応えたい」と、あらためて表情を引き締めた。