※スマイラー100号(2024年5月)より転載
マスターシェフ、開業時代を語る
父親が脱サラして炉端焼き店を始めたのがきっかけで、中学校の頃から学校から帰ってくるとお店の手伝いをした。山下氏は小学生の頃からコックに憧れていたのだった。大学を卒業してから一年間、アメリカと香港のレストランで働き、帰国後は実家の「なだ番」を手伝った。しかし、自分でメニューを考え世界で通用するシェフになるために、本格的に海外で修業しようと決めたとき、9・11同時多発テロが起きた。これで山下氏の海外に移住して働くという夢は潰れてしまった。
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30歳までに店を持つ
山下氏は国内で自分の店を持とうと決意した。
「当時、神戸の山手のおしゃれなレストランをイメージしていたのですが、飲酒運転が厳罰化される法律ができ、これはまずいということで、ロケーションを駅近に変えたんです。『最悪業態は変えられるけど、場所は変えられないよ』と僕はよく言うんですが、これすごく大事なことです。物件選びはほんとに真剣に考えるべきです。 僕の場合、2年かかりました。最終的なゴールを海外出店と決めていたので、京都か東京で店を成功させると海外に行けると考えました。といっても京都はとてもじゃないけど太刀打ちできるところじゃない。じゃあ東京に行くには三宮と元町のどっちが良いかと考えました。東京の人は元町と言うと横浜の元町をイメージするから。神戸元町に決めました」。
元町に店を出そう。そうやって物件を絞った結果、やっと見つけた物件は敷金が400万円、 家賃が坪1万2千円。元町の駅前で山側の角に建つ細いペンシルビル。確かに場所はいい。9階建ての1階がファーストフード、2階が美容院、3階が雀荘、それより上はすべて空いていた。山下氏はさっそく大家さんと交渉することになった。
「このビル入ってませんよね。僕をここに入れてくると絶対にこのビルを流行らせてみせますよ。その代わり金がないから礼金を100万円払うから敷金(保証金)はナシにしてほしい。内装にもお金がかかるので家賃は、坪1万円にしてくないか、と言いました。 すると大家さんは『君はなかなか面白いこと言うな。よし、君に賭けてみよう』と。確か、家賃は32万円だったと思います。大家さんが君はどの部屋がいいんだと言うので、線路沿いのビルだったので、電車が視界に入らない8階に入ることになりました」。
話はまとまったものの、山下さんは3日続けてベンチに座ってビルを眺めていた。いったいどんなことを考えていたのだろう?
「やっぱり恐怖ですよ。サラリーマンの給料が家賃なわけで、それから内装費、厨房機器にもお金がかかる。借金しないとお店が持てない。結局3日考えて一念発起して『ええい、やっちゃえ』と始めたんですが、最初は相当ビビりました」。
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「NADABAN DINING」開業!
当時は、新しい店ができると雑誌社が取材に来てくれる。「NADABAN DAINING」にも「関西ウォーカー」「Lマガジン」などから取材依頼の連絡が入りました、しかし、山下さんはすべて取材をお断りした。
「サービスは悪いしオペレーションは慣れてない。でもオープンして最初の一週間は親父の店の常連客や地元の友達が来てくれてにぎわったのです。でも、その後客足はピタリと止まりました」。
「1カ月のうち客ゼロの日が7日ほどあったんです。雑誌に載ってないしビルの8階です。誰も知らない店ですよ。あの頃は社員の定期が買えなかったので、 仕入れ用の軽トラックに社員を乗せて送り迎えしました。市場なんかも全て現金取引です、最初は。お客が来ないから食材も余るわけで、収入がゼロの状態で店にあるものを食べているとね、心が、だんだん弱ってくるわけです」。
開店から3カ月経ち、いよいよ閉店かと窮地に立たされた山下さんが取った策とは?
「雑誌社に片っ端から取材に来てください!と電話したんです。でも、取材に来いなんて言っても誰も来てくれませんよ。そんな甘くないです。『MEETS Regional』と言う情報誌に電話した時なんて、副編集長が「電話をくれたからといって取材には行きませんよ。自分で料理を食べた店の情報しか載せないのがMEETSのスタイルなので」と断られました。 でも、その副編集長はその日に店に来てくれたのでした。僕の話し方が面白かったのか、興味を持ったのか。帰り際に『分りました。次の号で載せます。お料理おいしかったです』と言ってくださいました。やっぱりプロはすごいなと、これが一流の仕事かと思いました。MEETSに神戸元町にすごい店ができたと紹介されたものだから、他の雑誌も水を切ったように取材に来るようになったんです。そしたらお客さんがバカみたいに来ちゃって。でも、スタッフはもうオペレーション慣れてるから、お客さんが来てくれたのが嬉しくって、ホスピタリティなんて言わなくても、どれだけ忙しくても満面の微笑みで接客してくれました。厨房スタッフも注文を受けて料理が作れるのがたまらなく嬉しくて」。
念願の東京進出!
「NADABAN DINING」は予約が取れない店としてさらに有名になり、空いてるフロアは全て飲食店で埋まった。山下さんは大家さんとの約束を守った。
「ちょっと穴場で、駅から近いと言うことで大阪、京都、奈良からもお客さん来てましたね。自分で言うのもなんですけれど、もう神戸のダイニングシーンを変えちゃったかな。カッコよく食事ができるおしゃれなダイニングバー。あぁこれは新しい和食だねとみんなが言い始めてそこから『新和食』と言う言葉が生まれたわけです」。
あまりの人気ぶりにわずか1年半で福岡、大阪、京都、名古屋もちろん神戸のデベロッパーから2号店の声が掛かったというから、それくらい「NADABAN DINING」の人気は凄まじかった。しかし、またしても山下氏はそれらのオファーをすべて断った。
「怖いけど、やっぱり東京で勝負しようと、東京からのオファーをずっと待ってたんです。すると関西の商業施設を断った担当者がたまたま東京に転勤になって『山下さん、東京に行きたいって言ってましたよね。このプロジェクトやりませんか』って。とりあえず行ってみたところ工事中の東京ミッドタウンは大きく、すごいなと思ったものの、勢いで『やります!』と決めたのが今の2号店『HAL YAMASHITA東京店』です。その後は順風満帆で、大阪梅田の阪急百貨店に出店し、東京スカイツリーに『TOP TABLE SKYTREE TOWN』を、ホテルアマン東京がある大手町タワー内に『HAL YAMASHITA 大手町 Lounge』もでき、ついに2010年には世界チャンピオンになりました。それがきっかけで、シンガポールに海外1号店を出すことができたのです」。
マスターシェフ
2010年、シンガポールワールドグルメサミットの日本代表になり、世界のマスターシェフの最高峰となる。2012年には、中東のアブダビワールドグルメサミットでも日本代表を務めた。
日本飲食団体連合会(食団連)
2020年、山下氏は一般社団法人「日本飲食未来の会」を立ち上げた。家族経営など小規模な店が多い業界で、その窮状を訴えるためだった。2021年、一般社団法人「日本飲食団体連合会」が設立され、100万人規模の団体の副会長を務める。コロナが五類に移行しても、次世代の育成や人手不足、原材料高騰などの諸問題に対し、業界としてまとまっていかなければ、と訴える。
マスターシェフからのメッセージ
1号店に始まり、最大19店を開いていたときは余裕で年商10億円を超えました。売上がどんどん上がっていくと見える景色も変わってきます。しかしお客さんが来てくれて喜んでいた頃の思い出は何ものにも代えがたい財産です。だから最大の勇気を持って最大の慎重さで開業してください。店を出さないと絶対にチャンスはやって来ません。
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飲食店の開業と経営のノウハウ:7つの成功ポイントを詳しく解説
東京都港区赤坂9-7-4東京ミッドタウンガーデンテラス1F
https://www.hal-yamashita.com/jp/
スマイラー100号(2024年5月)より転載
■飲食業界誌「スマイラー」
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