地域に根付き、長く愛される店作りのために人を育てる
「しっかり遊ぶ人ほどいい仕事ができる」というモットーのもと、個性溢れる店作りを続けてきた株式会社ア・グッド・ダイナー。若者向けの元気系居酒屋、絶品の博多水炊き、ヘルシーな沖縄料理──。CEOの萩原明東氏は、親族から引き継いだ焼鳥店を出発点にユニークかつ、地域から愛される店を着実に増やしてきた。利益や規模より「従業員の学び」を重視した、独自の経営哲学に迫る。
――現在9店舗を経営していますが、飲食業に携わった経緯を教えてください。
実を言うと、大学時代は教師になりたいと思っていて、教育実習では中学1年生を受け持ったんです。生徒ともすごく仲良くなれましたし、教えるという仕事自体はとても楽しかった。でも、だからこそ逆に、彼らの人生を背負うことにプレッシャーを感じてしまって。たった2週間でしたが、自分には向かないと思いました。
同じ頃、高田馬場と渋谷で「丸八」という焼鳥店を営んでいた親族から、「手伝ってみないか」と誘われたのが、飲食業に入ったきっかけです。当時、お店の業績はかなり低迷していて、僕が継がないなら、いずれ店は閉めると聞きました。そこで、大変なのは目に見えていましたが、土壌を与えてもらえるのは大きなチャンスですし、必死で頑張って軌道に乗れば、勤め人より時間を自由に使えるようになるかもしれないと決心しました。子供の頃からスキーが大好きで、「しっかり働き、ちゃんと遊ぶ」人生が目標だったので、とにかくこの仕事に賭けてみようと思ったんです。
――入社は1994年。当時、高田馬場と渋谷のお店はどういう状態だったのでしょう。
品質、サービス、雰囲気、どれをとってもお世辞にも褒められない状態でした。カウンターの上にはボロボロの古新聞や雑誌が積んであって、いつも「こんな状態でいいのか?」と葛藤していたのを憶えています。それでも、飲食業界の経験がゼロだったので、最初は言われる通りに働いて仕事を覚えました。お昼の開店から閉店まで14時間以上。月平均320時間は働いていたはずです。
1年半ほどたった頃から、調理師学校の夜間部に通い始めました。飲食のプロとしての基本を最短距離で身に付けるには、それがベストだと考えました。卒業まで約1年半。トータルの労働時間は減らせないので、休日はすべて返上。体力的には一番きつい時期でしたが、衛生面の知識などを含め、基本を学べたことはよかったと思っています。事実、学校を卒業してからは、自信を持って自分のカラーを打ち出せるようになりました。接客やサービスに関しては、他の繁盛店をいろいろ見て回り、独学で身に付けていった感じですね。
そうやって焼鳥専門店から少しずつメニューを増やし、サービスも改善していくうちに、徐々にお客様が入るようになりました。基本コンセプトは、「とにかく自分が行きたいお店を作ること」。これは当時も今も変わっていません。自分でもシンプルすぎると思いますが、本当にこれ以外は何も考えていません。「丸八」の2店舗が軌道に乗った後、ご縁もあって少しずつお店を増やしてきましたが、根っこの部分はずっと同じです。
――CEOに就任される直前、現在の社名に変更されましたが、その理由を教えてください。
自分のスタンスとして、やみくもな多店舗展開ではなく、むしろその土地で末永く愛される店を1軒ずつ育てていきたいという思いがあります。アメリカ映画を観ていると、よく片田舎のダイナー(食堂)が出てくるでしょう。ロードサイドにあって、その町の人々が毎朝コーヒーを飲みにくるイメージ。僕にとってあれが究極の理想像なんです。そんなかけがえのない場を1つずつ作るという思いを込めて、あえて単数形の「ア・グッド・ダイナー」という社名にしました。
理想を具現化するためにはまず、1つの場所で長く続けなければいけない。ある意味、「撤退しない店作り」こそがわが社の最重要テーマだと言えます。
2004年、三田に「獅子丸」という博多水炊きのお店をオープンした際も、当初お客様が全然入らずに苦しい時期が続きました。でも地鶏のガラだけでとったスープには絶対の自信があったし、何より現場のスタッフを信じていました。2度目の冬を越えた頃から常連客がつき始めて、その後はコンスタントに黒字を出しています。正直に言うと、現在ある店舗の中には収益面でまだ厳しい店もあります。ただ、会社全体で利益が出ている限りは続けるというのが当社の基本方針。もともと無理な拡大方針は採っていませんし、永続してこそ出せる経営メリットも確実に存在します。引き継いだ資産があってのことだとは思いますが、細かい営業努力は現場に任せて、全体の資金配分を見るのがCEOの役割だと心得ています。
――社員のレジャーに対して「研究費」として手当てが出るなど、社内制度もユニークですね。
世の中にはいろんな人生観・仕事観がありますが、私の場合は、「いい休みがあって、初めていい仕事もできる」というのがモットーです。少なくとも、うちのスタッフには利益至上主義ではなくて、楽しみながら何かを学んでいってほしい。そのためには日々を受動的に生きているのではダメ。どんどん外に出ていき、新しい世界に出会ったり、興味を持てるものを見つけてくる姿勢が必要だと思います。合理化を第一優先に進める飲食店経営者が多い現在、うちのようなスタイルの会社が生き残っていくためには、従業員の1人ひとりにハツラツとした感覚を持って働いてもらう以外にはない。ですから、CEO就任後にはまず週休2日制を導入しましたし、社員が海外旅行する際には会社から補助金も出しています。ブログに日記や写真をアップするのが申請書代わり。また毎年1回、必ず社員旅行で海外へ行っています。去年はハワイで、今年は上海。その期間中はアルバイトさんだけで店を営業して、1日も休業しません。この体制を整えるのに、約5年かかりました。
沖縄と北海道にそれぞれ1店舗ずつ構えているのも、実はスタッフが気軽に遊びにいける場所を作りたいという気持ちが根底にあります。年2回、好きな時に会社負担で、「研修」として休暇を取得できます。今年からは、この社内制度を利用しない人は昇給できないというシステムも導入しました。実際、休暇をうまく使っている店長の方が、店の売上は伸びています。「よく遊ぶ人ほどいい仕事をする」というセオリーは、少なくとも当社については機能してくれているようです。
――もうすぐ新店舗がオープンしますが、これからの展開についてはどうお考えですか。
この秋オープンする東京・霞ヶ関の新店「琥珀」は、水炊きと鍬(くわ)焼きがメインで、接待にも使っていただけるお店がコンセプト。うちの味を気に入ってくださったビルの運営会社さんから熱心なお誘いがあり、出店を決めました。正直に言いますと、よほどのご縁がない限り、現状これ以上の店舗展開は考えていません。最近の飲食業界では、企業化・収益化が1つの美徳になっていて、規模や利益を追求することにばかりスポットが当たっていると感じています。それはそれで素晴らしいと思いますが、でも僕にとって飲食の美学は、やはり「永続」なんですね。きれいごとに聞こえたとしても、従業員の1人ひとりにうちで働けてよかったと思ってもらえ、何かを学んで巣立っていってもらえることが何よりうれしい。回りまわって教師と同じようなことを考えているのかもしれません。そのためにも今ある場所で、「ア・グッド・ダイナー」を40年、50年と続けていきたいですね。
(東京・高田馬場)http://r.gnavi.co.jp/g209202/萩原氏が飲食業に携わるきっかけとなった店。当時は焼き鳥店だったが、現在は沖縄から直送の鮮魚をはじめとしたメニュー、豊富な地酒や焼酎を取り揃えた居酒屋として、毎日朝5時まで賑わっている。テーブル席のほかに、80名貸切可能な2階の掘りごたつ席、屋根裏半個室など、様々なシーンに対応する。
Profile
はぎはら めいとう
1972年
東京生まれ
1994年
大学卒業後、親族が経営していた焼鳥店「丸八」に社員として入社
1997年
「丸八」で現場経験を積み、同時に調理師学校で学んだ後、CEO(最高経営責任者)に就任。社名を現在の株式会社ア・グッド・ダイナーに改める
2011年
秋に東京・霞ヶ関に10店舗目となる「博多水炊きと鍬焼きの店 琥珀」をオープン
Company Data
会 社 名
株式会社ア・グッド・ダイナー
所 在 地
東京都世田谷区松原2-23-2
店 舗 名
「個室鍋と焼酎 池袋東口 博多水炊き 銀獅子 総本家」「こだわりの地鶏水炊きと焼酎・地酒 個室居酒屋 三田獅子丸」「沖縄料理と久米島鶏水炊き田んぼのお芋」「居酒屋diner 丸八 高田馬場本店」ほか