また来たいと思うのは、「楽しい店」。1秒も疎かにしない飲食のプロを育てたい
故郷・福井での生活をすべて捨て、大阪へ単身乗り込んだ株式会社 寿幸の田中寿幸氏。飲食業の経験がゼロだった青年は、10年で驚異の坪月商を誇る人気店を展開する。数秒も無駄にしない徹底したプロ意識と、懸命な努力がもたらした奇跡のストーリーを伺った。
――20代半ばで、まったく経験のない飲食業界に飛び込まれたんですね。
それまでは地元の福井で、クレーンを運転していました。そのまま安定した生活を送ることもできたんですが、どうしても社長になりたくて、大阪に。周囲は反対ばかりだったので、死ぬ気で働いて絶対に夢を叶えようと腹をくくりました。出てきた当初は、たこ焼屋でも一軒持って、とりあえず一国一城の主になれればと考えていたので、まずはそのために包丁仕事を覚えようと、鉄板焼店で働くことにしました。
――未経験から約1年で独立。その間、どんな経験をされたのでしょうか。
最初に勤めた店は高級店でしたが、ここで働いたことで、たこ焼屋ではなく、鉄板焼の店をやろうと思うようになりました。ところが店が暇になり、1カ月でクビに。初めての仕事、初めての大阪で仕事を失って途方に暮れましたが、田舎に帰るわけにもいかず、すぐに次の鉄板焼と串焼の店で働くことにしました。何もできず、仕事らしい仕事はさせてもらえなかったので、見たことをすべて覚えようと、必死でノートにメモをとりました。この店の料理が、現在の「鉄板神社」のベースになっています。その後に勤めた鉄板焼とスナックを合わせたような店が、開業のきっかけを与えてくれました。
――“鉄板焼スナック”の居抜き。4坪9席の店からスタートですね。
“鉄板焼スナック”が閉店して物件が空いたため、その物件を借りて「鉄板焼 神(しん)」を開業しました。場所は大阪・ミナミのど真ん中なので、家賃は坪9万円。たった9席で36万円という家賃に迷いがなかったのは、僕が飲食業のド素人だったから。とにかく社長になりたい気持ちが強く、逆にチャンスだと思いました。開業にあたってかかった費用は看板代の50~60万円だけ。貯金は300万円ほどありましたが、どうなるかわからない状況でのスタートでした。
開業してすぐは、まったくお客さんが入らなかったですね。17時から朝5時まで営業していたんですが、時間内に誰も来ず、悔しいので朝11時までねばったこともあります。場所柄、人の行き来はあったので、どの店もやってないから来たという人もいました。その1組を満足させるしかないと思い、「おいしい」はもちろん、「楽しい店」を一番に心がけました。人はおいしいご飯には飽きるけど、おもしろい人間には絶対、飽きません。「楽しい」を徹底したら、自然と売上が上がってきたんです。
――ほかにも、店の売上を伸ばした要因はあったのでしょうか?
ルールを設けたことだと思います。僕のことを「おもしろい兄ちゃん」と思って、通ってくれる常連さんが増えたのはありがたかったのですが、ただ楽しく話してばかりで、単価が上がらない。これではマズいと考えたのが、1人最低5本の串を注文するルールでした。これなら味も知ってもらえるし、売上も上がる。つい長居してしまう人への対応としても、席を2時間制にしました。流行り始めてきた頃に、こんなルールを導入するのは賭けでしたが、結果、売上はどんどん伸びて、3年後には宗右衛門町に2店舗目を出店。店名も新たに「鉄板神社」を名乗り、役目を終えた「鉄板焼 神」は閉めることにしました。
――現在、「鉄板神社」5店舗165席で、月商6000万円とは驚異ですね。
例えば、宗右衛門町の本店なら、1日70万円売り上げることがあります。これが50万円という話なら、店のまわし方、予約の取り方、焼きのスピードなどでなんとかなります。じゃあ、残りの20万円を左右するのは何かと言うと、スタッフの意識なんです。営業時間内は絶対に空席を出さない、目標を達成するまでは集中力を切らさない。そういう気持ちで全スタッフが臨むことが、一番大事になってきます。
僕がいつもスタッフに言っているのは、「飲食業のプロであれ」という精神論。だから、料理の提供スピードも秒単位で指導します。数秒と聞くと大した時間じゃないと思われがちですが、積もり積もれば、1日でかなりのロスになる。それが、席が空いていないという理由などで、せっかく来てくれたお客さんを逃すことにつながるんです。同時に厳しく言っているのは、「顔」ですね。笑顔ができていないスタッフは、容赦なく奥へ引っ込めます。
スタッフとは月1回ミーティングを持ちますが、常日頃は、LINEで頻繁にやりとりをするようにしています。同じ目標に向かっていくためには、常にコミュニケーションをとって、労働環境も統一した方がいい。ですから、スタッフの半分は社員です。本当は100人の従業員全員を社員として採用したいのですが、楽な仕事ではないのでなかなか難しい。味やサービスの質を落とすことなく、この問題をどう解決するかが、目下の課題ですね。
――ここ2年で、鉄板焼とは違う業態もオープンされましたね。
焼きそば専門店「寿座」を出したのは、道頓堀を歩いているときにラーメン店ばかり目についたから。「鉄板神社」の焼きそばは人気がありましたし、専門店もなかったので、「じゃあ、やってやろう」と。根底にあるのは、反骨精神。人がダメだと言っても、「やらなければわからない。やると決めたら死ぬ気でやる」。これが僕のやり方です。
シフォンケーキ専門店「シンフォニー・シフォン」の出店も、もともとスイーツの店をやりたかったことと、シフォンケーキの専門店がなかったからです。今年5月にオープンしたばかりですが、「鉄板神社」本店の売上を超えられるのは、ここだと思っています。なぜなら、テイクアウトという〝空中戦.で戦えるから。9月には早くもテイクアウト専門の2号店を堂島に出します。物件は、実は1号店をオープンする前にすでに押さえていました。味にはそれぐらい自信があります。
――新たな業態への挑戦を始められた今、これからの目標を教えてください。
現在、大阪だけで展開している「鉄板神社」は、他府県や海外への進出を考えています。特に外国人にはウケがいいので、海外出店は早めに実現したいですね。また、会社として4業態目となる鉄板焼と焼鳥を合わせた店も近々、オープンします。ここは、店内で鉄板と炭火焼のどちらが鶏をおいしく食べられるか競わせる趣向です。
独立・開業してからのこの10年は、記憶がほとんどないくらい、ガムシャラに突っ走ってきました。その結果、どの店も繁盛し、売上も立つようになりました。社長になることが夢だったかつての僕なら、それだけで十分満足ですが、今の僕は、社員のためにも、会社を大きくする挑戦権を手にしたという気持ちが強い。これからは、個人の商いから、ビジネスとしてどう社会に貢献していくかも考えていきたいですね。
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Company Data
会社名
株式会社 寿幸
所在地
大阪市中央区宗右衛門町6-2 ジュノン笠屋町プラザビル1F
Company History
2003年 「鉄板焼 神」オープン
2006年 大阪・宗右衛門町に「鉄板神社」オープン
2008年 「鉄板神社 北新地店」、「鉄板神社 福島店」オープン
2011年 「鉄板神社 道頓堀店」オープン
2012年 「鉄板神社 難波店」オープン
2013年 「寿座」オープン
2014年 「シンフォニー・シフォン」オープン
堂島に「シンフォニー・シフォン」2号店をオープン予定