目指すのは、「サバの総合商社」!サバの価値を高め、文化を創りたい
経営していた居酒屋の人気メニュー・鯖寿司をきっかけに、サバ一筋のビジネスを展開する右田孝宣氏。鯖寿司の販売から、サバ料理専門店までビジネスを広げ、食材はもちろん、11:38(いいさば)からの営業開始、38個のメニューなど、38(サバ)にこだわったユニークなアイデアで、注目を集めている。今後、海外展開も視野に入れる右田氏に話を聞いた。
――飲食業界に入る前に、オーストラリアで働いていたと聞きました。
高校卒業後、19歳のときに友人の紹介で、スーパーの鮮魚店で働き始めました。実は、それまで魚が一切食べられなかったのですが、取引先の寿司店や日本料理店へ魚を配達する際、お店の方にまかないをいただいたりするうち、魚のおいしさに目覚めたんです。それから23歳まで、その鮮魚店で魚に関する知識を深めました。ただ、将来への漠然とした疑問があり、なんとなく貿易関係の仕事がしたいと思い、とりあえずワーキングホリデーでオーストラリアに渡りました。
各地を回りながら英語を学んだ後、シドニーで回転寿司チェーンを運営する日系企業の面接を飛び込みで受け、働くことに。その会社は私が入社した当時、2店舗だった回転寿司店を、2年間で13店舗展開するまで急成長し、社長はサーモンの養殖場も作って、海外へ輸出していました。私自身も店舗スタッフから始めて、工場長、スーパーバイザー、エリアマネージャーなどを歴任。その社長から店舗開発やマーケティングなど、経営に関するすべてを学びました。順調にステップアップし、遂には「支社長を任せる」とまで言われたのですが、日本でやるべきことがあるのではという想いが芽生え、退職。27歳で帰国したのです。
――オーストラリアでの成功をもとに、日本で飲食業を始めたのですね。
そう順調にはいきませんでした。27歳で帰国後、オーストラリアでハードに仕事をしていた反動か、しばらく飲食関係の仕事をする気にはなりませんでした。いわゆる燃え尽き症候群ですね。しばらく職を転々としましたが、失敗の連続。30歳のとき、あらためて自分が身に付けた魚を捌く技術や経験を見直して、地元・大阪市淀川区の商店街で小さな海鮮居酒屋を始めました。
その店で出していた「鯖の棒寿司」が予想以上に人気で、妻からも「あなたが作る料理で唯一おいしいから、これで頑張ってみたら」と言われたのをきっかけに、店頭販売用の鯖寿司の商品化に取り組みました。そして2007年には株式会社 鯖やを立ち上げてデリバリーを始め、近隣の会社に「鯖寿司1本お買い上げの方にはもう1本プレゼント」と書いてファックスを送ったところ、注文が殺到。ただちゃんと計算していなかったので、売れば売るほど赤字。それでも、「サバイク」と名付けたバイクでデリバリーしている姿がおもしろいとメディアにもたびたび取り上げられ、徐々に知られるようになっていきました。
――そういったユニークなアイデアは、どうやって発想するのですか?
ほとんど妻のアイデアなんですよ。仕事がうまくいかない時も、いつも明るく支えてくれるので、本当に感謝しています。妻の判断基準はすべて「楽しいかどうか」。私が行き詰まったような顔をしている時には、すぐに気が付いて、「今、仕事楽しめてないでしょう?」と聞いてきます。
ビジネスとして儲かるかではなく、楽しいかどうかで考えなさいと助言してくれるんです。「サバス」と名付けたキャンピングカーで全国を回る食育活動や、38(サバ)という数字へのこだわり、オリジナルキャラクターの「サバ家族」などは全部、妻の「仕事を楽しむ」という発想から生まれたもの。本当にすごい人だと思います。
――その後、とろさば料理専門店をオープンした経緯を教えてください。
「鯖や」設立後間もなく、スーパーで鯖寿司を販売することになりました。設立から3年間は売上よりもPRに徹しようと、「サバババーン」というテーマソングを流して販売するなど、話題づくりとブランディングを徹底。その結果、百貨店からもオファーが来るようになり、その後、大手百貨店への出店が次々に決まりました。
同じ頃、青森県八戸市が「八戸前沖さば」のブランド化を進めていると聞き、現地を訪ねて「このサバを関西で売り出したい」とプレゼンしました。そして、「八戸前沖さば大使」に任命され、鯖寿司に使うようになりました。
「とろさば料理専門店 SABAR」のきっかけは、知り合いの経営者から「さばの専門店をやれば流行るのでは」と言われたこと。その言葉に触発され、クラウドファンディング(※不特定多数の人がインターネット経由で他の人々や組織に財源を提供すること)で資金を募ったら、なんとわずか4カ月で、約1700万円の資金が集まりました。これで、サバにはニーズがあると確信し、2014年に1号店となる福島店を出店。その後、2号店の天満店、4号店の恵比寿店のオープン資金も、すべてクラウドファンドで調達することができました。
――「SABAR」成功の秘密は、どこにあると考えていますか?
第1に、サバという魚そのものの魅力だと思います。サバは大衆魚でありながら高級魚でもあり、鯖寿司などは実に400年の歴史があります。当社はそんなサバの中でも、脂質含有量が21%を超える脂の乗ったものを「とろさば」としてブランド化し、価値を高めているのです。
2つ目はコンセプトですね。現在、「SABAR」は6店舗ですが、すべてコンセプトが違います。南森町店は「サバ族館」、天満店は「サバのテーマパーク」、京都烏丸店は「サバ屋敷」というコンセプトで、メニューも店舗ごとに変えています。サバは回遊魚なので、お客様にも店を回遊してほしいという狙いがあるからです。席数は38席、38メニューで、目標は38店舗38業態を展開すること。私は「SABAR」を飲食店として捉えていません。私たちはあくまでサバ商品の「メーカー」であり、「SABAR」はその魅力を伝えるアンテナショップという位置付けです。
――今後の出店や会社の事業についてビジョンをお聞かせください。
サバを使った惣菜店「とろさばキッチン」など、具体的な目標や計画はありますが、それらはすべて、サバのおいしさをもっと広めたいという想いが基本になっています。
現在、「SABAR」では鳥取県とJR西日本が共同でブランド化を進める養殖の「お嬢サバ」を提供しています。この「お嬢サバ」は、養殖なので寄生虫のアニサキスが付きにくく、生で食べられるのが特長。このサバの価値をもっと広めていきたいと思っています。また、政府が進める「クールジャパン戦略」の一環で、今年11月にはシンガポールに「SABAR」を出店します。その後もアジアを中心に出店の予定があり、「SABAR」を通じて世界へサバ文化を発信したいと考えています。
また国内では、人材育成機関として今年8月に「さばアカデミー」を開講し、サバの伝道師「サバリーマン」を育てながら、様々なビジネスモデルを確立していきます。目指すは、「サバの総合商社」。ホールディングス化、株式上場と、今後もサバとともに夢を追いかけていきたいですね。
http://r.gnavi.co.jp/n870aryg0000/
http://r.gnavi.co.jp/p8fwx68u0000/
Company Data
会社名
株式会社 SABAR
所在地
大阪府豊中市庄内東町1丁目7番33号
Company History
2007年 株式会社 鯖や設立。
2008年 「鯖や」大丸梅田店オープン
2009年 「鯖や」大丸神戸店、心斎橋店オープン
2014年 大阪・福島に「とろさば料理専門店SABAR」オープン。その後、天満店、京都烏丸店を出店
2015年 「SABAR」恵比寿店、南森町店のほか、さばメニューの定食屋「とろさば食堂」、「SABAR×紅蝙蝠店」を出店。年内に神戸・元町、東京・日本橋、シンガポールに出店予定