出店と社内体制の強化にスピードを上げて取り組みます
25歳という若さで1号店をオープンした曽我健二氏。独立から12年が経った現在、6つの直営店と1つののれん分け店を手がけるまでに成長した。今もなお、独立当時の情熱を持ちながら、様々な経験から培った落ち着きを見せる曽我氏に、これまでの歩みと、目指すべき今後についてビジョンを語ってもらった。
――まず、どのようなきっかけで、飲食業界に入ったのでしょうか?
学生時代に地元・大阪府八尾市の焼鳥店で、アルバイトをしたことがきっかけです。カウンター中心のこじんまりした店舗で、雰囲気のいい店でした。
その後、大学2回生の時には、休みを利用して福岡にある親戚の焼鳥店「八兵衛」で2週間ほど働きました。そこで、大阪の居酒屋「美食酒屋 ちゃんと」という店の噂を聞き、大阪に戻ってからアルバイトとして入店。すごい繁盛店で売上も良く、アルバイトスタッフも働くことをステータスに感じるような店でした。ここでの体験で一気に飲食業に魅了され、自分もこの道に進みたいと思うようになりましたね。そして大学卒業後、佐賀県唐津市で伯父が経営する焼鳥店「又兵衛」で約1年修業をしました。その店には、最初にアルバイトをした店の先輩も修業をしていて、先に独立を果たしました。そんな姿を見て、「自分も早く独立したい!」という想いが募りました。
――独立して1号店を出店するまでは、どのような経緯だったのですか?
修業を終えて大阪に戻り、すぐ出店しようとしましたが、いい物件に巡り会えず、同級生の親が経営する鶏肉専門の精肉店でアルバイトをしながら物件を探していました。今思えば、この経験がよかった。それまでは、カフェやダイニングバーでの出店も考えていましたが、毎日のように鶏肉をさばき、部位や品質について学ぶなかで、鶏肉の奥深さを感じ、「焼鳥で勝負しよう」という決意が固まりました。
そして2003年、25歳の時に1号店「炭火焼とり えんや 赤獅子店」を地元・八尾にオープン。本格的な焼鳥店が近隣にあまりなかったこともあり、スタートから好調でした。その1年後には、2号店「炭火焼とり えんや 青獅子店」を、同じく八尾にオープンしました。実は2号店の場所は、当初1号店を出す予定の物件でした。賃貸契約の関係で、とりあえず10坪の手狭な物件を借りて1号店をスタートしたのですが、逆にこれもよかったと思います。お客様との距離が近い1号店で店の売りをしっかり伝え、常連客も付いていたので、2号店にも最初から多くの人に来てもらえました。
初出店の際、参考にしたのは大阪・我孫子の繁盛店「炭火焼とり 安あ喜き」さんです。ネタの大きさやバランス、ドリンクの種類など、店づくりについていろいろと勉強させてもらいました。オーナーもとてもいい方で、今でも行きつけの店です。仕事で悩んだときなどにこの店に行くと、「ここに負けないような店をつくろう」という想いを新たにしつつ、自分のやっていることを再確認できますね。
――2010年には満を持して、大阪市内へ進出されましたね。
2008年、八尾に3店舗目を出した2年後に、難波の新歌舞伎座裏、通称“座裏(ざうら)”に、「炭火焼とり えんや 難波店」を出店。そこには、「八尾でしっかり結果を出してきたのだから、大阪市内でも絶対に勝負ができるはず」という強い想いがありました。“座裏”にはすでに焼鳥の繁盛店がいくつかありましたが、その客を奪ってやるくらいの気持ちがありましたね。ですが、オープン当初はあまり売上が伸びず、少し焦りました。一方で、一度来てくれたお客様の評判は悪くなかったので、手応えは感じていました。だから、焦って何か特別なことをするのではなく、八尾の時と同じ気持ちで、当たり前のことを徹底しました。その結果、半年後には軌道に乗りました。
――その後は梅田や、話題の“ウラなんば”にも店をオープンしていますね。
梅田店を出店した際、八尾からスタートしてよかったと、あらためて思いました。八尾という下町で「えんや」の認知を広げていたおかげで、梅田で働く八尾の人たちなどが知り合いを連れて来てくれたりするんですね。1号店から、心斎橋など大阪市内でオープンする考えもありましたが、地元からスタートして正解でした。
“ウラなんば”については、ラッキーのひと言です。「炭火焼とり えんや 千日前店」を出店した当時、ちょうど“ウラなんば”という言葉が使われ始めた頃で、後にどんどん店舗ができて、賑わうようになりました。今では、外国人観光客も増えています。「えんや」も、一度来店した外国人のお客様が、SNSなどで発信し、口コミで情報が広がっているのを感じます。
――店づくりで大切にしているのはどんなことですか?
やはり、一番大切なのは“人”。尊敬する「安喜」のオーナーも「結局、最後は人だよ」とおっしゃっていました。だから、接客などについて、スタッフにはいろいろ細かいことも言いますが、難しいことではありません。「当たり前のことを当たり前にやる」ということ。お客様がいるから私たちの仕事が成り立っているという、感謝の気持ちを持つこと。そして、自分の大切な人をもてなす気持ちで接すること。笑顔で挨拶し、お客様のかゆいところに手が届くサービスを心がけること。スタッフにはマニュアルを覚えるのではなく、実践のなかで身につけてもらっています。現場に立っていた頃は、私が直接伝えていましたが、今は各店の店長がその役割を担っています。
料理は、お客様に「おいしくて安い」と思ってもらえる値頃感を大事にしながら、とがり過ぎないように気をつけています。あくまで基本は焼鳥店。「焼鳥なら『えんや』」と、お客様に思い出してもらうことが大切です。
出店する物件については、外から店内が見え、入ってもらいやすいところがいいですね。梅田店はビルの2階ですが、階段が外にあって、1階からでも店の雰囲気がわかるようになっています。それと、路地を一本入ったような立地もいいですね。古い文化と新しい文化が入り組んでいるエリアが、なんとなく好きなんです。
――出店を含め、今後の目標について教えてください。
「えんや」の由来は、佐賀・唐津神社の例大祭「唐津くんち」の「エンヤー」という掛け声。その「唐津くんち」の14台の曳山(ひきやま)(山車)にちなんで、独立当初から14店舗の出店が目標です。2016年は、梅田に2店舗出店したいと考えています。また、焼鳥のアッパー業態や立ち飲みスタイルの出店のほか、他県への進出も視野に入れています。しかし、そのためにはまだまだ社内体制の整備・強化が必要です。2015年からは月1回、店長会議を開くようにしました。ここには他社の経営者の方にも参加してもらい、話を聞かせてもらうなどの試みもしています。そうすることで、スタッフの意識も変わってきたと実感しています。
今後の課題は、私の右腕となる人材の育成です。同業で勢いのある会社の経営者さんには、必ず優れた右腕的存在がいますからね。求めるのは、私の考えをフットワークよく行動に移し、しっかり形にできる人材。そういう意味では、2016年のキーワードは「スピード」。出店や社内体制強化などのスピードアップを図るためにも、人材育成が重要だと思っています。
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Company Data
会社名
有限会社エンヤフードサービス
所在地
大阪府大阪市中央区東心斎橋2-1-3 日亜ビル4F
Company History
2003年 「炭火焼とり えんや 赤獅子店」オープン2004年「炭火焼とり えんや 青獅子店」オープン
2008年 「炭火焼とり えんや 亀と浦島太郎店」オープン
2010年 「炭火焼とり えんや 難波店」オープン
2011年 「炭火焼とり えんや 梅田店」オープン
2013年 「炭火焼とり えんや 難波千日前店」オープン
2014年 「炭火焼とり えんや 難波3号店」オープン