トレンドは自ら創るもの。それができたとき、その場に人が集まるのです。
「店づくりは、街づくり」を基本理念に掲げる株式会社ゼットン。名古屋で創業してから20年。日本とハワイを中心に90店舗を構える。出店する地域や立地特性に合わせてクリエイトしてきた店舗はどの店も街や施設の核となり、人を呼び寄せ、賑わいをつくってきた。経営者であり、クリエイターの稲本健一氏に飲食にかける想いを伺った。気が付いたら20年。そして助けられた20年
記念すべき1号店、社名を冠したレストランバー「ZETTON」が名古屋にオープンしたのは1995年。それから20年、創業者で代表取締役社長の稲本健一氏は「一言でいえば、“気が付けば20年”です。この間、失敗も大変な時期もありましたが、様々な方に助けられ、今がある。ご縁に助けられた20年でもあります」と思い返す。
その足跡は、飲食業界に多大なインパクトを残し、出店した街の風景はもちろん、時には人の流れまでをも変えてきた。1号店は雰囲気のある屋根裏付きの日本家屋を改装。オープンテラスやバーカウンターがあり、個室も備えた斬新な店舗であったが、駅から遠い倉庫街。当初は集客に大苦戦したため、ファッションビルの社員通用口に車を停め、退社する女性社員たちをナンパ同然に店に誘ったというエピソードは有名だ。やがて口コミで人気を呼び、マスコミにも取り上げられるようになり、寂しかった街は、人気エリアへと大きく変貌した。その後は、名古屋を中心に出店を続け、2001年には東京に進出。東京での1号店となる「ZETTON ebisu」では、ひつまぶし、味噌串カツ、手羽先などの“名古屋めし”を広めて注目を浴びた。さらに、地元・名古屋の「ランの館」(現「久屋大通庭園フラリエ」)に出店したのを皮切りに、公共施設内に集客施策のメインコンテンツとなるレストランを作り、施設の活性化や再生に貢献。2009年には、念願のハワイ進出も果たした。まさに、飲食業界のトップランナーとして走り続けてきた20年でもある。
それができたのは、稲本氏がクリエイターとしての感性と視点を持っていたからであろう。業態開発に当たっては、トレンドや時代のニーズにとらわれず、エリア特性や立地を踏まえて、その街に店ができたときの風景を想い描き、そこに人が集まる様がイメージできた時に出店する。多店舗展開をしていても、店舗の作りや雰囲気はもちろん、提供するメニューなどが異なるのはそのためだ。それを20年間貫いてきたが、仕事のやり方は徐々に変わってきたともいう。「組織が大きくなり、店舗も増えると、僕の考えをすべての現場に落とし込むのは難しい。店舗の数字に関しても、世の中の変化が早い今は、ウィークリー、あるいはデイリーで見たうえで、スピーディーな対応が必要。1人で見るのは不可能です。ですので、今は役割分担を明確にし、僕はクリエイティブのトップとして新しい物を考え、未来を創造することと、最終的な経営責任を取ることを担当。営業など、ほかの部分は各責任者に任せています」と稲本氏。
また、この20年で大きく変わったこととして、情報の取り方の変化を上げる。「携帯電話、パソコン、タブレット端末、スマホなどの普及はめざましく、情報収集の手法は大きく変化しました。採用、人材育成、運営、PRなどに各デバイスは欠かせませんし、お客様の店選び、評判や批判もそれを介しています。そこには膨大な情報があり、誰でも簡単に得られ、拡散も早い。20年前には考えられなかったことですよね」と語る。
ライフワークの1つが「旅」。街を走って情報を吸収
陸上競技で国体などへの出場経験があり、アスリートとしてスポーツに親しんできた稲本氏は、10年前からスイム、バイク(自転車)、ランをひとりでこなすトライアスロンを始めた。マラソンなど単体レースも含めると、年20回は国内外のレースに出場する。そんな稲本氏が出かける際、バッグに真っ先に入れるのがランニングシューズだ。「ライフワークの1つが『旅』。オンオフ問わず、旅先ではアスリートとしてではなく、旅の一環として街を走ります。街の空気、匂い、景色、店、人々の生活などがリアルに感じ取れ、得られる情報は実に多い。そこから新業態や店舗の発想が生まれることもあります。実は社内に自然とトライアスロンチームができ、何十人もの社員が大会に出場しています。たぶん、僕が走りながらどんな景色を見て、何を考えているのか知りたいと思ってくれているのでしょう」と推察する。社員が、自分たちも感覚を磨いて稲本氏の感性を共有し、ともに「街をつくる店」、「街を変える力のある店」を創りたいと考えている何よりの証であり、ゼットンの勢いの源でもある。
稲本氏は、飲食業界は今、大きな転換期にあるという。「2011年の東日本大震災の時に大きく変わった国民の意識や価値観が、形となって現れ始めています。そして、2020年の東京オリンピック開催により、やり方次第で新たなチャンスが生まれる環境にある。一方、人手不足は深刻で、人件費は上がり続けており、現実的に人を極力使わない業態を考えなくてはならない。価格面では、飲食業界はデフレが続くなかで、“安ければいい”ではなく“価値あるものを安く”が求められています。さらに、人々が飲食店に求める雰囲気、商品、サービスなどもますます多様化している。飲食業の経営者は、意識改革が必要な時期に来ていると感じています」と語る。
もちろんゼットンも例外ではない。同社は現在、公共施設開発事業、ハワイの空気を伝えるカルチャー事業、商業店舗開発事業の3つを柱に、大きく分けて「ダイニング」「ハワイアン」「ビアガーデン」「ウエディング」などの業態を展開。立地的には、路面店と商業施設内の店舗がある。「業態は大枠で括っていますが、同じものはありません。また、立地面では、交通インフラに優位性がある商業施設は、多くのお客様に利用していただけることが圧倒的なストロングポイントで、出店にはこちらからのアプローチも必要です。基本的なスタンスは変わりませんが、来期は企業戦略を転換し、会社の組織についても大きく変えないといけないと思っています」と稲本氏。具体的な施策について言及は避けたが、同社がさらに飛躍するために、大きく変わることは確かであろう。
出店戦略については「来期は既存業態や既存店の磨き込みに注力したい」と語る。その前段階として2015年の秋冬シーズンは、ホノルルの「スイートホームカフェ」とコラボして、ハワイアン業態の「アロハテーブル」など16店舗に、セルフスタイルで具材を選べる鍋「アロハホットポット」を導入。その結果を見ながら、今後の秋冬シーズンの定番化を狙っているという。
さらに来期は、出店の主なフィールドを、現在3店舗を構えるハワイに移し、新業態を展開する意向だ。「ハワイには年間3~4カ月滞在し、現地にコネクションを築いているので、物件情報も入る。生活者として暮らすことで、現地で何が求められているのかもわかります。日本のクレンリネスや在庫管理の徹底は、あちらでは称賛されますし、日本人が作る料理はおいしく、繊細だと評価も高い。日本を捨てるのではなく、ハワイで得たものと日本で培ったものを融合して、新しいものを創ることができればいいですね」。すでに、“ニュースタイルジャパニーズ”と、ハワイの食材を使った“フレンチビストロ”の出店が決まっている。
パワフルに仕事をしつつ、トライアスロンやサーフィンなど趣味の時間も大切にしている稲本氏。「これからは、ライフスタイルがますます大事になり、企業のトップのライフスタイルから自然に誕生するような業態が支持される時代に来ていると感じます。トレンドは追うのではなく、創るもの。それができたとき、そこに人が集まってくると思います」。時代を感じ、店を創り、街をつくる。クリエイターの視線は、常にぶれることはない。
Company History
1995年10月
愛知県名古屋市中区に株式会社ゼットン設立1995年11月
名古屋市中区に1号店「ZETTON」オープン2001年3月
東京都渋谷区に東京1号店「ZETTON ebisu」オープン2004年5月
名古屋市が運営する「ランの館」に「THE ORCHID ROOM」オープン。公共施設への出店1号店となる。以降、愛知県名古屋市の「徳川園」、大阪府大阪市北区の「中之島公園」、東京都台東区の「東京都美術館」などの公共施設に店舗を展開
2006年10月
名古屋証券取引所セントレックスに株式を上場2008年10月
アメリカ・ハワイに子会社「ZETTON,INC.」を設立2009年4月
ワイキキに「ALOHA TABLE waikiki」オープン2010年1月
子会社「株式会社アロハテーブル」を設立、ハワイアン業態のFC事業を展開2010年5月
東京都渋谷区に本社移転。名古屋・東京の本部機能を集約2015年11月
業務拡大に伴い、東京都目黒区に本社を移転12月現在、90 店舗を展開