活気あふれる人材教育で"笑顔と元気"のサービスを実現!
「永遠希は、永遠の希望という意味です」と語る株式会社 永遠希の小田利明氏。元々は人と話すことが苦手だったが、美容業界でトップセールスマンとなり、30歳で飲食業へ転身。その後、広島市内で様々な業態の7店舗を経営し、2007年の「居酒屋甲子園」では、「囲酒家 永遠の縁卓」を決勝進出へと導いた。『お客様とのお約束12箇条』を軸とする、小田氏の経営哲学と夢をうかがった。
――美容業界からの転身とうかがいましたが、これまでの経緯をお聞かせください。
美容サロン専売品の営業をしていましたが、その前に様々な業態の飲食店でアルバイトをした経験があり、今思えば、その頃から飲食業に魅力を感じていて、いつかは自分のお店を持ちたいと考えていたのだと思います。
20歳の頃、就職するにあたり、20社ぐらい受けてようやく入社できた会社でした。入ったからには絶対に結果を出してやろうという気持ちで頑張り、半年以内に売上トップになりました。結局、その会社には9年間在籍し、30歳で起業することを目標に、29歳で退職。ビアガーデンやステーキハウス、居酒屋などで修業を重ね、そして、1995年、目標通り30歳で、広島市の中の棚商店街に、17坪38席の「総菜BAR HAZUKI」を出店しました。総菜を主とした居酒屋です。待たせず出せるし、経験がなくても運営できると考えたからです。本格的なカクテルも作れなかったので、「一途な女の初恋物語」など、ネーミングを工夫したオリジナルカクテルを売りにしました。
――オープン当初から、一号店は順調な滑り出しだったのでしょうか?
オープンから数カ月は採算がまったく取れず、危機的状況に陥りました。そこで、近所のブティックなどに「お皿は後で大丈夫ですので」と、試食用の料理を配ることにしました。ねらい通り、お皿を返すついでにお店で飲んでいってくれる人が少しずつ増えていきましたが、接客経験のなさから、当初はクレームばかりでした。喜んでもらうつもりが逆に怒らせてしまい、途方に暮れましたが、ある日、ついにお客様から「ありがとう」という言葉をいただけたときは、お客様の前で泣いてしまうほど嬉しかったですね。これが、私の原点になっていて、このお客様は今でも常連様です。
その後、念願叶って「総菜BAR HAZUKI」は認知度も上がり、100万円単位の数字で、右肩上がりに売上を伸ばし、後の店舗展開につなげることができたのです。(後にスタッフに暖簾分け)
――その後、様々な立地で人気店を生み出しましたが、出店の経緯を教えてください。
2000年に有限会社永遠希を設立し、人材が育ってきた2002年からは、「永遠希 VIEW」(後に譲渡)、「魅食酒房 永遠家825」「囲酒家 永遠の縁卓」「和心家 永遠の別宅」「新鮮 永遠の刻」などを毎年出店してきました。出店に関しては、物件を見た瞬間にひらめく場合と、コンセプトに見合った物件を探す場合の両方がありますね。例えば「囲酒家 永遠の縁卓」では、厨房を囲む特注の円形カウンターを店の中央に配置したかったので、それを設置しやすい正方形の物件を探しまわりました。
「新鮮 永遠の刻」は、駅から離れた住宅街にあるので、ここでは、「子供がいて外食しづらいファミリー層」をターゲットに、上質の料理とサービス、高級感のある個室を売りにした店を考えました。自分自身、当時は娘が小さかったので、自分が行きたい基準で店を作れば、必ず喜ばれるという自信があったのです。惜しみなく設備投資をし、キッズルームも作り、トイレには子供用便座やオムツなどを備え、子供連れ大歓迎の姿勢をアピールしました。お客様に「こんな立地で、ずいぶん勇気があるね」などと感心されましたが、地域の需要をつかみ、人気店となりました。
――サービス力にも定評がありますが、その基になっているものは何でしょうか。
当社のサービスや行動は、すべて2007年に設定した、社のクレド(経営理念)である「お客様とのお約束12箇条」を基準にしています。当初は10ヵ条でしたが、アルバイトからの提案で「気持ちのよい電話対応」「本気の挨拶」の項目がプラスされて、今では12ヵ条となっています。
例えば、「旬をお届けします」という約束に対しては、私自身が生産地を回って地の食材を確かめて、新鮮・安心・安全にこだわり、優れた広島の食材を求めるうちに、より地産地消を意識した店作りにつながりました。また、「お手洗いを常に癒しの空間にします」という約束は、アメニティが充実したお客様に喜ばれるトイレを生み出しました。そんな「お客様とのお約束12箇条」は朝礼で必ず唱和し、壁に貼って、お客様にも紹介しています。
――「居酒屋甲子園」にも出場していますね。スタッフ教育への取り組みについてお聞かせください。
「居酒屋甲子園」には、第1回目から全店舗で出場しました。その結果が芳しくなかったため、徹底的にサービスの見直しを図り、奮起した2007年の第2回大会では、「囲酒家 永遠の縁卓」が決勝に進出。優勝は逃しましたが、スタッフの団結力とモチベーションが著しく上昇し、「永遠希」のサービスがさらに確立されました。
また、社内行事として年に3度、「スピーチ甲子園」を実施し、人前で自分を表現する訓練をしています。私自身が、かつて人と話すことが苦手だったので、スタッフには積極的に機会を与え、自信をつかんでもらいたいと思っています。
さらに、当社ではアルバイトを「キャスター」と呼んでいます。これは、キャストとスター(星)を合わせた呼び名で、アルバイトを主役として尊重する社の方針の表れです。私はよく、若いアルバイトには「お客様を遠距離恋愛の相手だと思え」と話します。そうすれば、「お会計を」と言われた時、寂しげに「帰ってしまうのですか?」という心からの一言が出るでしょう? これも私の原点で、彼らにはその気持ちが、リピーターを育てる秘訣だと教えています。進化するうえで、この原点も忘れずに彼らに伝えていきたいと思っています。
――販促では何が重要だと考え、どんなことに力を入れていらっしゃいますか。
様々な間口を作り、まずは新規客の誘導が大切だと考えています。特にぐるなびをはじめとするWeb販促には、各店長が積極的に取り組んでいます。「新鮮 永遠の刻」では、宮島のしゃもじで提供する「刻のコリコリつくね宮島焼」、冬場の看板になる「七大名物鍋」などは、はっきりと売りを打ち出し、仕かける販促を意識しています。もちろん、来店後の口コミ力も重要なので、上質な素材を使った手の込んだメニューや、料理提供時の演出やサービス、それだけでなく、アットホームな雰囲気でも付加価値を付けています。
――御社が大事にしていること、また、今後の展望、夢についてお聞かせください。
飲食店として、一番重視しているのは「人間力」です。アルバイトは学生中心ですが、当社で積んだ経験や人の縁を育み、どんな業界にも通用する、優れた人材になってもらいたいですね。
社としての夢は、まず「居酒屋甲子園」での日本一を実現したい。そして、地域で本当に必要とされる店を目指したいですね。広島には全国に誇れる食材がたくさんあります。地産地消をより意識し、当社ならではの提案で、食の魅力を伝えていきたい。そして、広島から全国、海外でも必要とされる店になりたいと思っています。続くステージの目標は海外出店です。まずはアメリカ・シアトルで、和食の素晴らしさを披露したい。
Profile
おだ としあき
1965年
広島県広島市南区東雲生まれ
1985年
美容サロン専売品の営業職に就く
1995年
30歳で「総菜BAR HAZUKI」を出店
2000年
有限会社永遠希設立
2005年
社名を株式会社永遠希に変更
2007年
第2回「居酒屋甲子園」決勝進出
2008年
著書「ワシはそんなお前らが日本一好きじゃ!」(ザ メディアジョン)を出版
2011年
広島市内に7店舗を展開中
Company Data
会 社 名
株式会社永遠希
所 在 地
広島県広島市中央区大手町3-9-13
店 舗 名
「新鮮 永遠の刻魅食酒房 」「魅食酒房 永遠家825」「囲酒家 永遠の縁卓」「和心家 永遠の別宅」「蒸し庵 永遠希」「野菜と豚の旨い店 八百豚 八丁堀本店」「新鮮 永遠の漁場」