2011/07/05 Top Interview

ホットランド佐瀬社長に聞く!「銀だこ」が居酒屋業態でも成功した理由

和風ファストフードで新路線を拓く。商品をたこ焼一本に絞る思い切った戦略で、ショッピングセンターの一画から出発した「築地銀だこ」。以来、「築地銀だこ」ブランドは徐々に全国に波及し、現在の店舗数は、国内外合わせて300を超える。

URLコピー

更新日:2024.1.26

和風ファストフードで新路線を拓く

1997年、商品をたこ焼一本に絞る思い切った戦略でショッピングセンターの一画から出発した「築地銀だこ」。以来、「築地銀だこ」ブランドは徐々に全国に波及し、現在の店舗数は、国内外合わせて300を超える(※2011年7月時点)。さらに、「築地銀だこハイボール酒場」や各地のB級グルメを集めた「B級グルメ村 ギン酒場」など、居酒屋業界でも新業態を次々に開発中だ。

この夏には、東日本大震災の被災地・石巻に仮設商店街を開設予定。自らその事業の陣頭指揮をとり、斬新なアイデアは各界から注目を集めている。果敢な展開で、飲食業界に新風を吹き込む、株式会社ホットランドの佐瀬守男代表取締役に、社の理念や外食産業の魅力について語っていただいた。

株式会社ホットランド 代表取締約佐瀬 守男 氏(Morio Sase)1962年、群馬県桐生市生まれ。東京YMCA 国際ホテル専門学校卒業。焼きそばとおむすびの専門店「ホットランド」を創業し、1997年からたこ焼専門店「築地銀だこ」を全国に出店。海外進出も果たす。近年、たこ焼とお酒が楽しめる立ち飲みスタイルの「築地銀だこハイボール酒場」や、若者向けに手頃な価格で斬新なメニューを取り揃えた「THE GINDACO」も展開。2003年、第14回ニュービジネス大賞アントレプレナー大賞部門優秀賞を受賞。

▼ぐるなび公式Xアカウント▼

ぐるなび - 飲食店様のお役立ち情報

(よろしければ、こちらもぜひフォローお願いします!)

「みんながホッとできる場所」それがすべての原点

株式会社ホットランド東京本部のエントランスには、昔ながらの商店街を描いたイラストが大きく飾られている。小さな店の屋根のあちこちに、”ほっ”という吹き出しがあり、人々が思い思いに集うやさしい絵だ。昭和30~40年代の日本で、ごく普通に見られた風景だが、今は急速に失われつつある。「食を通じて、そんな景色を作り出したいのです。創業当初も今も、想いは同じです」と、佐瀬守男氏は語る。

いまや、たこ焼といえば「築地銀だこ」が思い浮かぶほど、強力なブランド力を構築した佐瀬氏。その原点がこの風景なのだ。「私が生まれ育った群馬県桐生市は町工場が多く、実家も工場を経営していました。社員は家族同然で、15時になると、みんなで焼きそばを食べていたのです。そのホッとするひとときが忘れられなくて……」。同時に、日本の地方都市にも進出してきたマクドナルドやケンタッキーフライドチキンに接し、「こうしたファストフード店から”アメリカ”を感じたんですね。食べ物屋ってすごい! 文化も運んでくるんだ、と思いました」。

この2つの要素が、佐瀬氏のなかで合体して生まれたのが、焼きそば、たこ焼、たい焼、かき氷、アイスキャンデーなどの「和風ファストフード」という概念だ。焼きそばとおむすびの専門店を開いたのを皮切りに、成功と失敗を繰り返しながらたどりついたのが、たこ焼一本での勝負だった。

「いろいろな『和風ファストフード』を販売して気がついたのは、作り置きでなく出来立てを提供してこそ喜んでもらえること。そして、たこ焼は一日中まんべんなく売れ、しかも客層が広いということ。勝負をかけるなら、たこ焼の実演販売しかない、と思い至ったのです」。現場で試行錯誤を重ねたからこその鋭い嗅覚が下した、今日につながる決断だった。

果敢な業態開発から居酒屋へも進出

しかし、「築地銀だこ」が生まれるまでには、さらなる苦難があった。「当時の私の本業はアイスキャンデー屋です。それで生計を立てながら、製粉会社、ソース会社、タコの加工場などに教えを請いに出向きました。商品開発に1~2年、たこ焼だけでの出店に賛同してくれるショッピングセンターを見つけるのに、さらに2年かかりました」。その後、1店出店する度に苦労は続いたが、佐瀬氏が信じた”みんながホッとできる”和風ファストフード店は、10周年を迎えたときにはたこ焼だけでなく、たい焼店ややきとり店の出店へと結びつき、一大事業へと発展していた。

「たこ焼の次は、たい焼でした。たい焼は、たこ焼店での”ついで買い”の商品として結構売れるのですが、売上が冬場に偏るので、店作りとしてはたこ焼と切り離したほうがよかった。そこで、専門店として独立させ、夏場も売れる商品を開発し、種類を増やしたら、たこ焼を超える売れ行きになったのです」。

そのたい焼店を始めるに当たっては、自家製の餡を作るため、まず第一に餡の工場作りから取り組んだというから、味へのこだわりは半端ではない。聞けば、「築地銀だこ」で使われるタコにしても商社を通さず、世界各地の船と直接契約して買い付け、タコのボイル工場やたこ焼器の製造工場も自社で所有するという徹底ぶりだ。

「今、夏場に向けてかき氷店を準備していますが、それも製氷工場の建設から始めています。真透明な氷を作り、かち割り氷としても活用する。カップも作る。何か事業を始めると、土台からすべて作る会社なんです」と笑顔を見せる。数々のヒットを生む秘密は、そのこだわりにこそあるといえそうだ。

一昨年から今年にかけては、居酒屋業態「築地銀だこハイボール酒場」「B級グルメ村ギン酒場」をオープン。たこ焼やご当地グルメとお酒という新しい組み合わせを、居酒屋業界に投入した形だ。また、東京・新橋の「B級グルメ村ギン酒場」は、トレーラーハウス4台を組み合わせた店舗というから、その斬新な発想には驚かされる。移動可能な居酒屋の出現ともいえ、従来にはないスタイルがどう育っていくのか、今後の展開に目が離せない。

未曾有の被害を出した大震災外食産業ができることは何か

今、佐瀬氏には没頭していることがある。「東日本大震災以来、被災地に対して自分たちができることは、いったい何だろうと、仲間たちとずっと議論しました」。仲間とは、かつて教えを請うた製粉会社やソース会社、たこ焼のテーマソング「たこ焼のうた(明日もがんばろう!)」を作った音楽家らだ。

「被災地での炊き出しも行いましたが、一過性ではないことをしたい。地元の人たちに要望を聞くなかから生まれたのが、仮設商店街構想です」。これは、石巻の600坪の土地に、トレーラーハウスを利用した仮設の商店街を建設しようという計画だ。「現地では食料品は手に入っても、外食の環境は整っていません。だから、焼きたてのパン、たこ焼、お好み焼き、カロリー計算された弁当の宅配のほか、夏はかき氷も販売したいと思っています。そこにはカラオケやCDショップもあり、ストリートライブも楽しめる。芝生の広場では野球やサッカーのプロ選手を呼んでイベントもやる予定です。雇用が生まれ、文化も発信できる。もちろん当社だけではできませんから、いろいろな業種が資本と力と知恵を出し合って取り組みたいと思っています」。

名づけて「ホット横丁・石巻」。そこからは間もなく、外食産業だからこそ生み出せる、笑顔あふれるやさしい光景が広がることだろう。

Company History

1994年

群馬県桐生市に焼きそばとおむすびの専門店「ホットランド」創業

1996年

株式会社ホットランド 設立

1997年

「築地銀だこ」1号店(アピタ笠懸店/群馬県)をオープン

1999年

東京・銀座に東京本部を開設。
同時に「築地銀だこ」銀座本店をオープン

2000年

群馬県桐生市広沢町に本社新社屋を建設、移転

2002年

埼玉県八潮市に自社たこボイル工場開設

2004年

「築地銀だこ」海外1号店(UNY香港店)オープン

2007年

「銀のあん」1号店(アトレ大森店/東京都)オープン

2009年

築地銀だこハイボール酒場」1号店
(歌舞伎町店/東京都)オープン
「銀心研修センター」を銀座に開設

2010年

「ギンダコハイボール横丁」1号店
(浜松町/東京都)オープン

2011年

「B級グルメ村 ギン酒場」1号店
(銀座店/東京都)オープン
「銀カレーTOKYO」1号店
(イオン品川シーサイドSC店/東京都)オープン

そのほか、天ぷらの「日本橋 からり」、「下町焼きそば 銀ちゃん」、「やきとりのほっと屋」など、親しみのある日本の食文化をテーマに業態を開発・運営している。

飲食店の課題解決は「ぐるなび」におまかせください!

「ぐるなび通信」の記事を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

「ぐるなび」では集客・リピート促進はもちろん、顧客管理、オペレーション改善、コンサルティングなど、飲食店のあらゆる課題解決をサポートしています。ぜひ、お気軽にお問い合わせください。

ぐるなびのサービスについての詳細は、こちらから。