2018/05/08 挑戦者たち

EVER BREW株式会社 代表取締役社長 菅原 亮平 氏

日本でのベルギービールの知名度と人気を高めた、菅原亮平氏。製造、輸入卸、飲食店経営のすべてを手がける。今年3月には、初の自社醸造所を併設したブルーパブをオープン。菅原氏が目指すものを聞いた。

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縁よりも強い人の「円」を広げ、ジャパンビールを発信したい

日本でのベルギービールの知名度と人気を飛躍的に高めた立役者の一人、菅原亮平氏。製造、輸入卸、飲食店経営のすべてを手がけ、ビールの6次産業化に力を入れる。今年3月には、初の自社醸造所を併設した念願のブルーパブを都内にオープン。新たなステージで菅原氏が目指すものとは?

――大学での専攻は建築だそうですね。そこから飲食業界に進んだ経緯は?

鹿児島の中高一貫の進学校にいた頃から、「人と違うことで勝負しよう」と考えていました。優秀な同級生に勉強では太刀打ちできませんでしたが、体操部だったこともあり、バック転を披露すると、「すごい!」とほめられました。また、講演で学校に来た数学者・秋山仁さんの「人と違う道を選んで自分で商売をしてもいい」という言葉も心に残り、起業を志すようになりました。

高校卒業後、体操部の環境が整っていることにも惹かれて早稲田大学に進学。建築を専攻しましたが、緻密な作業が自分には向かず、早々にその道で生きていくことは諦めました。一方、当時はちょうど、マクドナルドやスターバックスが上場した頃で、飲食業での起業に関心を持つように。そんななか、自分で考えた事業アイデアについて意見を聞きたいと思い、在学中にタリーズコーヒージャパンの創業者・松田公太氏に企画書を持って会いに行き、それがきっかけで卒業後はタリーズに入社。新規事業の立ち上げに1年半従事しました。そこで学んだのは、生き残るには業界の2、3番手までに入る必要があるということ。その位置に入り込める分野で起業しようと考え、目を付けたのがベルギービールでした。

――ベルギービールとはいつ出合い、どこに可能性を見出したのですか。

学生時代からビールが好きで、おいしいと感じたビールのラベルにはベルギーと書いてあることが多く、好んで飲むようになりました。フルーツを加えたものなど、味わいも多彩で、ラベルのデザインもおしゃれ。それまで男性中心だったビールのマーケットに女性を呼び込みつつ、ブームでは終わらない成長が期待できると考えました。

そして、2004年に1店舗目の「ベル・オーブ六本木」をオープン。しかし、なかなか客足は伸びませんでした。飲食店経験者から「ビアカクテルを出して原価を下げた方がいい」と、助言もされましたが、それは違うなと感じました。この狭い店をビール好きで埋められないようでは、その先の事業展開も見込めないと思ったからです。その後、3店舗まで拡大しましたが、集客は芳しくなく、2、3店舗目は閉店せざるを得ませんでした。

1979年、福岡県出身。早稲田大学建築学科を卒業後、タリーズコーヒージャパン株式会社で緑茶事業に従事。2004年「ベル・オーブ六本木」をオープン。現在、「デリリウムカフェ」など、16店舗を運営する。「SASUKE」出場2回。マッスルミュージカル初代メンバーでもある。

――起業してすぐに直面した試練を、乗り越えるきっかけは何でしたか?

よりおいしいビールを安く仕入れ、提供価格を下げるため、直接、ベルギーのブルワリーを訪ねて交渉し、輸入を始めました。事前に決めていた訪問先は数軒だけ。その先は、すべて現地の醸造家の紹介で広がっていきました。交渉といっても、こちらは中学校の英語レベル。とにかくビールが好きという想いを知ってもらおうと、朝から晩まで一緒に杯を傾けました。そうして直接仕入れを始められたことで、経営を軌道に乗せることができました。

また、ベルギーを訪れるなかで、首都ブリュッセルでいちばん有名なビアカフェ「デリリウムカフェ」を日本に持って来たいと考えるように。連絡先もわからず、現地のビアフェスに足を運び、数日がかりでオーナーを探した結果、幸運にも会うことができ、熱意が通じて商談が成立。2007年にアジアで先駆けて、「デリリウムカフェトーキョー」を出店することができました。その後は「ベル・オーブ」「デリリウムカフェ」の多店舗展開に加え、「ブラッスリー セント・ベルナルデュス」「ブッチャーNYC」など業態を増やし、現在16店舗を展開しています。

――出店に際して重視することやメニュー開発について教えてください。

テラスで人々が賑やかに集い、ビールを飲む光景が好きなので、テラスを設置できるかは重視します。そのほかは、物件を最初に見た瞬間のイメージや勘でほぼ即決しますね。スケルトンから「こういう店ができるな」と完成形を思い描けるのも、「ここならいける」と勘が働くのも、建築を学んだ経験が活きている気がします。

メニュー開発に際しては、料理担当者に「ワインに合わせるつもりで考えてほしい」と、指示することが多いですね。そうすると、自然とベルギービールと相性のいい料理ができあがってくる。最初から「ビールに合うものを」と伝えると、どうしても揚げ物や煮込みといった、固定概念に引っ張られやすくなるので、それを避けています。

――スタッフの育成・教育において大切にしていることは何ですか?

興味やモチベーションを保てる環境作りを意識しています。それには、ビールを好きになってもらうのがいちばんだと思い、新しく採用したスタッフには、ビールの種類による特色や発酵の原理などを教える研修を、5時間かけて私が行っています。この研修を人に任せないのは、私自身がビールにどれだけの情熱を持って事業に取り組んでいるかを感じてほしいから。研修を通してビールの奥深さを知り、自分たちが扱う商品に誇りと愛着を持ってもらうことで、おのずとよい接客につながると考えています。

アルバイトスタッフに関して、印象的なエピソードがあります。ある時、大手企業で働く中高時代の同級生から連絡が来て、「採用面接に来た学生がベルギービールのことを熱く語るから、バイト先を聞いたらお前の店だった」と。本人にとってベルギービールがそれだけ思い入れのある存在になっていたのだと感じ、とてもうれしくなりました。

会社の理念には、「食でつなぐ人の円」を掲げています。一期一会の「縁」ではなく、繰り返し親交を深め、より強くつながる「円」です。私自身、そんなふうに「円」をつなげてきた醸造家がベルギー中にいて、毎月のように誰かが来日し、訪ねて来てくれます。当社ではワインの輸入卸も手がけていますが、それもベルギーの醸造家がわざわざ車を走らせ、フランスのワイナリーに連れて行ってくれたことがきっかけです。出会いを一期一会で終わらせず、もう1度会いたいと思う間柄になれたことが取引につながりました。

ベルギーの醸造所とのコラボレーションビールを醸造する菅原氏。彼らとの出会いが会社の成長につながった

――いよいよ日本でのビール醸造も始まりました。今後の展開は?

今年3月、東京・五反田に「RIO BREWING&CO.東京醸造所」をオープンし、念願だった日本での自社醸造を開始。以前からベルギーの小会社でオリジナルブランド「初陣 Uijin」を委託生産し、世界に輸出していますが、東京醸造所が加わり、製造・流通・販売をカバーするビールの6次産業化が実現します。東京醸造所では、これまで学んできたビール醸造の技術を活かし、ヨーロッパ産ホップに加えて日本由来の原材料なども使っていきたいと思っています。

来年中には、さらに規模の大きな醸造所を稼働させる予定です。その先に目指すのは、「ジャパンビール」として世界で親しんでもらえる魅力あるビールを作り上げ、発信していくこと。製造、卸販売、店舗運営の3つの事業を成長させながら、ビールや食文化の輸出・輸入を通して、航路図のように世界をつないでいきたいと思っています。

RIO BREWING & CO. BISTRO AND GARDEN(東京・六本木)
https://r.gnavi.co.jp/13knrp2k0000/
東京ミッドタウンに昨年4月オープン。特注の石釜で焼く丸鶏や黒毛和牛が名物。ベルギービールに加え、国産クラフトビールも充実。
RIO BREWING & CO. 東京醸造所(東京・五反田)
http://www.riobrewing.jp/
東急池上線高架下に今年3月オープンしたブルーパブ。店内に醸造所を併設し、オリジナルの新鮮なベルギースタイルビールを提供する。

Company Data

会社名
EVER BREW株式会社

所在地
東京都港区赤坂7-10-7 赤坂FSビル3F

Company History

2004年 1号店「ベル・オーブ 六本木」オープン
2005年 ベルギービールの直輸入をスタートし、翌年から卸事業にも参入
2007年 「デリリウムカフェ トーキョー」オープン
2015年 ベルギーに子会社RIO BREWING & CO.SPRLを設立。本社社名をEVER BREW株式会社に改称
2017年 東京ミッドタウンに「RIO BREWING & CO. BISTRO AND GARDEN」オープン
2018年 「RIO BREWING & CO.東京醸造所」「BUTCHER NYC UNITED」オープン

※本記事の情報は記事作成時点のものであり、情報の正確性を保証するものではございません。最新の情報はご自身でご確認ください。

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