2020/04/16 挑戦者たち

有限会社 築地青空 代表取締役 石川 太信 氏

東京・築地で寿司店を開き、23歳の若さで経営者となった石川太信氏。「築地青空三代目」ブランドの認知度も上がり、国内外でFC含め10店舗を展開する。事業拡大の道程や好調の秘訣、今後の展望を聞いた。

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そこで経験を積むこと自体が、価値になる店を目指したい

――東京・築地で生まれ育ったそうですね。食への関心は子どもの頃からですか?

 父方、母方とも祖父の代から築地で仲卸を営んでいて、私も小学生の頃から店で販売の手伝いをしていました。場所柄、新鮮でおいしい魚は身近にありましたし、家族で食事に出かける先は隣の銀座など。振り返ると幼い頃から食生活の水準は高かったのだと思いますが、当時の自分にとってはそれが日常。食への思い入れがあったわけではなく、飲食の仕事を選ぼうとは考えたこともありませんでした。

 そんな中、大学時代にアルバイトをした東京・日本橋の居酒屋で、週5.6日働くうちに店長代理を任され、飲食業のおもしろさを感じるようになりました。そして卒業後、築地の知り合いから「空き物件があるから寿司屋でもやらないか」と声をかけてもらい、両親と寿司店を始めることを決めました。

 寿司を握る職人をどうしようか考えたとき、父と私の頭に浮かんだのが、かつて家族で行っていた寿司店の親方でした。親方の握る寿司は旨いのはもちろんのこと、盛り付けなど仕事が丁寧で、ほかの店とは違うと子ども心にも感じていたのです。そこで、千葉の浦安に転居していた親方を訪ねてお願いし、2004年、築地場外市場の一角に「築地青空三代目」をオープンしました。親方は寿司、私は仲卸のそれぞれ3代目であることから付けた名前です。私が会社の代表に就き、23歳にして出店費用3000万円の負債を抱える状態でスタートしました。

――経営の経験も十分にない中で不安はありませんでしたか?

 「なんとかなるだろう」という根拠のない自信がありました。成功して会社を大きくしたいという野心も、今より強かったですね。築地という場所の特徴は、「寿司を食べる」という目的意識のはっきりした人が来る街だということ。その一方、当時は今ほど江戸前寿司に対する評価が定まっておらず、「寿司はネタとシャリを合わせただけで、どの店もたいして変わらないでしょ?」という認識が一般的でした。だからこそ、一度でも食べてもらえれば、親方の腕の良さや仕事の丁寧さが必ず伝わるはずだと思っていました。

 開店後、1年半ほどは苦戦しましたが、ぐるなびに加盟して店の認知度アップに努めたところ、店舗ページを見たテレビ局から取材依頼が入り、これが大きな転機になりました。番組放送の翌日から店頭に長蛇の列ができ、行列が行列を呼ぶ形で来店客数が大きく伸びたのです。その光景に目をとめた不動産業者から物件情報が寄せられ、築地に2号店をオープン。2009年には、これもお話をいただいて銀座三越に3号店を出しました。「築地市場に朝並んだ魚を昼に出す」というコンセプトや、わかりやすい料金設定が受けて坪月商が100万円を超える繁盛店に。百貨店業界で名前が知られるようになり、その後の愛知・名古屋や東京・丸の内などへの出店につながりました。現在、10店舗に増えましたが、周りから声をかけていただいての出店、という経緯はすべて共通しています。

 銀座三越店では、当時25歳だった職人を板長に抜てきしました。その後は彼を築地青空グループの統括板長に据え、彼の下で2年ほど経験を積んだスタッフの中から、人間的・技術的に優れた人に新店の板長兼店長を任せて、店舗展開を進めてきました。

Motonobu Ishikawa 1981年、東京都生まれ。高校から大学にかけて日本橋の居酒屋などでアルバイトに打ち込み、飲食業を志す。2004年、「築地青空三代目」を地元の築地に出店。以降、銀座や名古屋、沖縄などへ出店を重ね、現在、日本国内に9店舗、中国・北京に1店舗(FC)を展開している。

――差別化が難しいと言われる寿司業態で成功した秘訣は何だったのでしょう。

 開業当時は今ほど築地に寿司店は多くなく、さらに、そのほとんどをチェーン店が占めていた中で、「築地青空三代目」が板前のセンスや個性で勝負する店であることは大きな強みだったと思います。他店にないような新しい名物を作ろうと積極的にアイデアを出し、炙り寿司や、大トロのしゃぶしゃぶなどもメニュー化しました。

 客層のすそ野を広げようと、一時期は料理や盛り付けに洋食の要素も加えていましたが、途中で方向を転換し、ここ7年ほどは、より旨い江戸前寿司を追求する研究に力を注いできました。例えば、シャリの酢の配合を少しずつ変えながら1000通り近くを試作し、成果をメニュー開発に反映。また、ネタにはすべて、それぞれに合わせた仕込みを施し、素材の旨味をお客様に伝えることを意識しています。

 もう1つ決めていたのが、新店の立ち上げを人任せにしないこと。名古屋でも沖縄でも、私自身が妻子を連れて現地に2年ほど移り住み、板長とともに出店を進めました。その年月を過ごしてきたからこそ、今、私や統括板長の想いを共有してくれる板長たちに店を任せることができています。

――新業態「焼きうお いし川」の開発の経緯を教えてください。

 「焼きうお いし川」は、「築地青空三代目」の2号店を2018年にリニューアルして出した新業態です。開発のきっかけは、これまで名古屋や沖縄、中国出店時などは現地でも生活して多様な食文化に触れてきたことや、生まれも育ちも築地という経歴を活かして、新たな日本料理を作り出したいと思ったこと。熟考を重ねてたどり着いたのが、これまでも店で提供していた炙り寿司からヒントを得た「焼きうお」のスタイルです。刺身でも食べられる新鮮な魚を分厚く切り、お客様の目の前で表面を炙り、魚ごとに最も適した焼き加減で提供します。経営者である私が、自ら焼き手としてお客様をもてなすことがこの店の売りの1つ。お客様が帰り際に次の予約を入れてくださるなどリピート率が非常に高く、おかげさまで夜は満席が続いています。

 メニューの中でも特に人気なのが、コースの最初に「特上カルビと特上ロース」と銘打ってお出ししている大トロとブリです。5秒だけ炙り、茶碗に盛った赤酢のシャリと一緒に味わっていただくのですが、このシャリは、先述の1000通りもの試行錯誤の成果。つまり、江戸前寿司をとことん突き詰めて研究したからこそ完成したメニューと言えます。自ら考案して生み出した業態として、責任を持って常に高いクオリティーでやっていきたい。その決意を、自分自身の名前からとった店名にも込めています。

「築地青空三代目」の始まりを支えた親方。その後、統括板長はじめ、たくさんの職人が学び、育っていった

――今後の出店計画や会社としての目標などについて教えてください。

 今は店舗数を増やすより、既存店の料理やサービスの質をさらに磨き、底上げを図ることに注力しています。将来的に「名店」「老舗」と呼ばれる店を目指したいですし、ミシュランなどにおいて高評価を獲得することも目標です。それは単に店の評価や知名度を高めたいわけではなく、若い職人が「ここで腕を磨きたい」と思う店にしたいから。うちで経験を積むことで経歴に箔(はく)が付いたり、業界内で価値を認めてもらえる店になりたいと思っています。そして、信頼できるスタッフが育ってきたタイミングで、再び店舗展開へと舵を切れればと考えています。

 志のある若い職人が多く集まり、料理やサービスでお客様に喜んでいただけて、それが会社の成長にもつながる。その好循環を生み出したいですね。

Company Data

会社名
有限会社 築地青空

所在地
東京都中央区築地4-13-8

Company History

2004年 「築地青空三代目 本店」オープン
2006年 2号店オープン(のちに業態変更)
2009年 「築地青空三代目 銀座三越店」オープン
2014年 「琉球鮨 築地青空三代目 沖縄那覇」オープン
2016年 「築地青空三代目 大名古屋ビルヂング店」オープン
2018年 「焼きうお いし川」、立ち食い業態の「築地 男前鮓」(名古屋)、「築地男前鮓 国際通り屋台村」(沖縄)「築地青空三代目 丸の内」オープン

築地青空三代目 大名古屋ビルヂング店(愛知・名古屋)
https://r.gnavi.co.jp/pgprjxb70000/
東海地方で獲れた新鮮な魚介をメインに、ネタにひと手間を加える伝統的な江戸前スタイルで提供。「車海老ミディアムレア」が名物。
琉球鮨 築地青空三代目 那覇本店(沖縄・那覇)
https://r.gnavi.co.jp/d2vytujt0000/
「築地青空三代目」の味を受け継ぎつつ、沖縄の地魚も取り入れた「琉球鮨」を追求。割烹料理を学んだ職人による一品料理も充実。