“幸せな食の機会”を創造して、地域活性化に貢献したい
特別、料理が好きなわけでも、飲食業への憧れがあったわけでもない。「何か大きなことをやりたい」。株式会社RECITY代表取締役、杉本悠氏を独立へと駆り立てたのは、そんな漠然とした、しかし強烈な想いだった。2008年に起業後は、地元・栃木県小山市内を中心に意欲的に出店。その経営の根幹にあるものは何か。杉本氏に伺った。
――東京でITベンチャーの企業に勤めていたこともあるそうですね。なぜ飲食業を?
正直に言えば、起業する際、飲食業でなければならない明確な理由があったわけではありません。ただ、その企業に勤めながらも、漠然と「25歳で社長になる!」と決めていました。
そこでの主な業務は、ホームページ制作などをパッケージ商品として中小企業に販売することでした。事業が波に乗るにつれ、顧客である企業を業種ごとに分けた事業部制を敷くことになり、私は飲食業界を担当することになりました。
飲食業界専門となることで、提供するサービスは各種商品の販売・リースから、店舗のプロデュースまで、多岐にわたるものになっていきました。飲食店の経営の基礎を学んだのはその頃です。小規模の会社ではありましたが、その分、若手の私にも大きな仕事を任せてもらえたことは幸運だったと思います。飲食業界で熱意を持って働く方々と出会うことができたからです。
何より強く感じたのは、飲食業界の方々の多くが、人に対して壁を作らないということでした。いつお店に伺っても、楽しそうに働いていて、私のような若者にも気さくに話してくれる。その働く姿を見て「いいなあ」と感じたのです。
そうこうしているうちに、社長になると誓った25歳になりました。やるなら飲食業界。そう決断し、2007年の秋にその会社を退職しました。
――東京ではなく、地元の栃木県小山市で起業したのはどうしてでしょうか?
今から思えば、当時は生まれ育った街に恩返しをしたいというような、純粋な想いではなかったように思います。ただ、地元の友人がこぞって上京してくるのを見て、「何か違うんじゃないか」と思っていました。本当に独立したいのなら、場所は関係ないはず。本気ならどんな場所でも成功できるだろうと思いました。そんななかで、どうせお客様に喜んでいただくなら、地元の人たちに喜んでもらいたいという気持ちが芽生えました。そこで地元である小山に戻り、地域再生・活性化の想いも込めて、社名は「RECITY」としました。2008年に設立し、社員も地元の友人ばかり。まさに小山の、小山による、小山のための会社としてスタートしたのです。
――飲食店での実質的な業務経験がないなかで、どのように出店したのでしょうか?
当時、私は経営の知識もなければ、飲食店で働いた経験も、学生時代のアルバイトしかありませんでした。社員にも経験のある者はほとんどいませんでした。そこで、最初の店を出すときは、何より参入障壁が低いことを優先し、特別な専門的技能をそれほど必要としない居酒屋業態を選びました。そうして、会社設立と同じ年にオープンしたのが居酒屋「エンヤワンヤ」です。
とはいえ、もちろん出店前には様々な勉強は欠かせませんでした。前職を通じて知り合った飲食業界のつてを当たり、泊まり込みでお店のお手伝いをさせていただいたり、研修を開いていただくなどして、社員一人ひとりのスキルを磨いたのです。時には九州まで行ったこともあります。その時の学びが、「エンヤワンヤ」の看板メニューであるもつ鍋にも活かされています。
そのほぼ1年後には、「やさい家せん」を出店しました。この店の看板メニューは、地元の契約農家から仕入れた新鮮な野菜を使った野菜しゃぶしゃぶ。以前から、栃木はブランド食材こそ少ないけれど、食材の質はいいと感じていました。健康志向の高まりもあり、栃木の野菜のおいしさをアピールしようと考えたのです。「地産地消」という意味では、この店は最もRECITYらしい店と言えるかもしれません。また、近隣にパーティ需要に対応できる店が少ないことを考えて、結婚式二次会などの団体集客を狙える空間も作り、より地域に受け入れられる店になりました。
この2店舗が波に乗ったことが、その後の出店につながりました。昨年5月には串揚げの「旬をあげる 串三郎」を出店。今年2月に「OYAMA BAL」、3月に寿司の「にぎり屋 新門 -SHIMON- 宇都宮店」、7月には「にぎり屋 新門 -SHIMON- 小山店」と順調に出店できています。
――昨年から今年にかけての出店ラッシュ。業態が多彩なことにはどのような狙いが?
小山には、業態が違えば新たなニーズを生み出す余地がまだまだあると考えています。もちろん、出店にはトレンドも考慮しますが、流行している業態をそのまま小山に持ってきても成功しません。この土地に合うようにフィルターを通すことが重要です。例えば、近年バル業態は至るところで目にしますが、東京などでは差別化を図るため細分化されつつあります。しかし、小山ではまだバル自体がなじみの薄い業態なので、いわゆるワインバルのような王道のバル業態であること、加えて、よりカジュアルであることが求められます。
また、「にぎり屋 新門」では、初めて寿司という専門性の高い業態にも挑戦しました。知り合いから、もともと寿司屋だった物件を紹介され、その内装を活かすかたちで、初めに宇都宮にオープンしました。宇都宮という新しい土地での出店に、少なからずためらいもありましたが、小山から外に出て、さらなる発展を考えるうえでは、よい機会になりました。職人が握る寿司が60分食べ放題というシステムが好評で、その後、すぐに小山にも2号店を出すことができました。
――これからの展開と目標、そのために御社が現在、力を入れていることを教えてください。
目標は起業から10年で年商10億。そのために、まずは小山に10店舗出店を目指します。
よく、外食業界は不況だと言われます。市場が縮小し、中食、内食にパイを取られていると。しかし、「やさい家せん」ではかつて宅配弁当を出し、大変な好評を博すことができました。それと同じで、市場が変化しているなら、私たちも変化すればいい。既存の市場を奪い合うのではなく、新しい食事の機会を創造していくことが大切だと思います。その実践として来年、また新たな業態に挑戦します。手羽先を看板メニューにした大箱の居酒屋です。客単価もこれまでの店より高めに設定し、新しい価値を小山に届けたいと思います。
また、出店を加速する中で、改めて強化していることがあります。人材育成です。事業を興して5年。会社が大きくなるにつれ、従業員の想いや行動の拠りどころ、共有すべき明確な価値観が必要だと感じたからです。何のために働くのか、働くうえで大切にすべきことは何なのか。それを経営理念として定め、スタッフ全員に落としこむことに今、力を入れています。経営理念にはこう記しました。「幸せを創造し、おもてなしをするスタッフがまず幸せであれ」。人材が店を作り、お客様の笑顔を作り、よい地域を作ります。この理念を全員で共有できれば、これまで小山で培った様々なノウハウを、ほかの地域でもきっと展開できるはず。さらなる成長に向け、挑戦あるのみです。
Profile
すぎもと ゆう
1982年
栃木県小山市生まれ
1999年
高校時代、居酒屋のアルバイトを経験。
2003年
東京のITベンチャー企業に就職。飲食業界を対象に様々なサービスの営業担当に。飲食業界の基礎を学ぶ。
2007年
25歳で社長になる夢を叶えるため、会社を退職。
2008年
地元に戻り、株式会社RECITYを設立。同年、居酒屋「エンヤワンヤ」を出店。起業の夢を果たす。
Company Data
会 社 名
株式会社RECITY
所 在 地
栃木県小山市西城南6-32-4
店 舗 名
「エンヤワンヤ」「やさい家せん」「旬をあげる 串三郎」「ワイン酒場 OYAMA BAL」「にぎり屋 新門 -SHIMON-」「にぎり屋 新門 -SHIMON- 小山店」