3・11あの日から一年――。
出逢い・絆・未来がテーマのイベントが開催。
「復魂」リポート
2012年3月11日、日曜日。岩手、宮城、福島の3県で「出逢い・絆・未来」をテーマにした交流イベントが行なわれた。様々な人が飲食店という場所で出逢い、語らい、そして、未来に向けて新たな絆が生まれた――。多くの人々が参加した、仙台での模様をリポートする。
980名が新たな絆を育み、復興への想いを強くした日
東北地方を中心に、大きな被害をもたらした東日本大震災。発生からちょうど1年となる3月11日。岩手、宮城、福島の被災3県の飲食店で「出逢い・絆・未来」をテーマにした外食イベント「復魂」が開催された。
主催は、復魂実行委員会(岩手:盛岡復魂委員会、宮城:せんコン実行委員会、福島:福島復魂実行委員会)。震災から1年、飲食店を支えてくれた多くの人たちへの敬意と感謝を伝え、飲食店で様々な人が出逢い、未来へ向けての何かが生まれることを願って企画された。
仙台市で行なわれた「復魂」の参加者は、980名。イベントは二部構成になっており、第一部では希望者のなかから先着100名が、昨年9月に操業を再開し、今年2月に完全復旧したキリンビール仙台工場を見学。震災直後、同工場では15基ある貯蔵タンクの4基が倒壊し、敷地内にビール瓶や缶、ケースが散乱するなど、甚大な被害を受けた。そこから、工場で働く約350名の社員が、約100日間におよぶ清掃・片付けを手作業で実施。工場内のホールには、そんな復旧への歩みが写真パネルで展示されており、参加者はみな真剣なまなざしで見つめていた。また、工場見学終了後は、ビールの試飲を兼ねて献杯。そして、地震発生時刻の14時46分には、参加者全員で黙祷を捧げた。
第二部は仙台駅東口、仙台駅西口、一番町・国分町の3つのエリアにある飲食店、計62店舗が参加して交流イベントを開催。
その中の1店舗、仙台駅西口エリアにある「奥州魚河岸酒屋 天海のろばた」では、17時の開場とともにほぼ満席の状態となり、多くの人でにぎわっていた。そして17時30分。ジュリアーニ前ニューヨーク市長が9・11の後で市民に語りかけた言葉を引用しながら、同店のスタッフが「悲しんでばかりではなく、今日はみんなでハッピーな1日にしましょう」と挨拶。その後、献杯、そして17時46分には、各店同時に黙祷が行なわれた。
19時30分からは、参加者は2店舗目に移動して引き続き交流会が行なわれ、多くの人が震災を機に気づかされた「絆」の大切さを語り合う貴重な場となった。そして21時、すべてのイベントが終了。店の外へ出ると、あの日と同じ冷たい雪が降っていたが、参加者の顔は一様に未来への希望に輝いて見えた。
Interview震災後に気づいたこと。それは、飲食店として地域とともに歩んでいくことの大切さ
仙台市内で10店舗ほどの飲食店の経営、プロデュースを手掛ける株式会社スタイルスグループ。同社の代表取締役・佐々木浩史氏は、今回の岩手・宮城・福島の3県同時開催「復魂」の発起人でもある。
「私事ですが、僕の実家は宮城県石巻で、震災で弟と姪を亡くしました。震災直後は石巻と仙台を行き来するなかで、家族のことや会社のことで頭がいっぱいで。今でこそ復興バブルなどと言われていますが、当時はこのままお店のスタッフを雇っていけるのか、そして会社を続けていくことができるのか、まったく先が見えない状況でした」。
そんななかでも、スタイルスグループ各店では避難所で炊き出しを行ない、また、店舗を簡易宿泊所として開放するなどした。「そういった活動を通して、我々飲食店というのは、地域社会を構成する一要素であることにあらためて気づきました。ですから、今後はより地域に密着していこうと、町おこしとして、『せんコン』(仙台の複数の飲食店を会場に街規模で行なう合コン)を仕かけました。すると、1000人、2000人という集客につながるわけです。これは、仙台の飲食業界全体としてもプラスになります。ただ、今回の『復魂』の開催については、震災から1年後のこの日に、飲んだり食べたりするのはいかがなものかなど、実行委員の中でも賛否両論がありました。ですが、今“生かされている”我々が、1年後、これだけ元気になったということを、食を通して示したかった。そして、出た利益はすべて寄附することにしました」と話す。
最後に、今後のビジョンについて聞くと、「社会の中での立ち位置をしっかり意識して、地域と関わっていくことが大事だと思っています。イベントについても、今後は高齢者を対象にした『シルバーせんコン』など、細分化もしていきたいですし、県の観光課など、行政を巻き込むことも必要になってくるでしょう。また、生産者と消費者をつなぐ新たな枠組みも作らなくてはいけない。飲食業界全体の成長と、地域の振興を目指しながら、個人的な目標でもある東京進出も果たしたいですね」と、熱く語ってくれた。