2017/10/31 挑戦者たち

株式会社 猿屋一家 代表取締役 藤野 裕章 氏

目立つ看板もない地下の立地にも関わらず、賑わう「国分寺 猿酔家」。運営する株式会社猿屋一家の代表・藤野裕章氏は通例やセオリーにとらわれない店づくりを貫く。店舗展開や人材育成における戦略とは?

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将来、社員全員が独立を果たし、同じ経営者として語り合いたい

目立つ看板もない地下の立地にも関わらず連日、多くの人で賑わう人気店「国分寺 猿酔家(さすけ)」。運営する株式会社猿屋一家の代表・藤野裕章氏は、通例やセオリーにとらわれない店づくりを貫き、東京・国分寺と花小金井で直営6店舗を経営する。店舗展開や人材育成における“藤野流”の戦略、その先に目指すものとは? 藤野氏に話を聞いた。

――社会人としてのスタートはホテル業界だったそうですね。

ホテルマンに憧れてホテルの専門学校に進み、卒業後はハワイ島のヒルトンホテルでインターンとして働き始めました。配属部門は、希望していたフロントではなく、レストランのレセプション。そこで、後の人生に影響を及ぼす出会いがありました。レセプションにベテランの女性スタッフがいて、彼女に会うのを楽しみに世界中からお客様が訪ねて来るのです。彼女は多くのお客様の名前や会話の内容も覚えていて、そのことにお客様はさらに喜ぶ。今まで知らなかったサービスやホスピタリティに触れ、衝撃を受けました。

そんななかでレストランの仕事におもしろさを感じ、帰国後、求人誌で見つけた株式会社グローバルダイニングのアルバイトに応募。「ゼスト キャンティーナ 恵比寿」で働き始めました。完全実力主義で昇進は自己申告制という社風が性に合い、半年後には、100人を超えるアルバイトの中で一握りの“ウェイター”に昇格。担当するテーブルのお客様をリピーターにすべく、日々全力を注ぎました。

――そのときに学んだことで、今も礎になっていることはありますか?

当時の店長、石田聡さん(現・株式会社サイタブリア代表取締役)からは、店舗運営やサービスの考え方など、多くを学びました。なかでも、「お客様に『すみません』と呼ばれない、気持ちを先回りしたサービス」という教えは今も忘れず、心に刻んでいます。

25歳のときにグローバルダイニングを退社し、居酒屋や割烹などで調理を学んだ後、銀座の日本料理店の立ち上げに際し、店長を任されました。売上は順調でしたが、グローバルダイニングでの実力主義が自分の中に根付いていて、スタッフに「やる気がないなら辞めていい」という姿勢をとり、溝が生まれてしまいました。風土がないところに実力主義を持ち込んでも、うまくいくわけがない。大切なのはスタッフに気持ちよく働いてもらうための土台だったのだと、今ならわかりますね。

その後、2007年に32歳で独立し、「国分寺 猿酔家(さすけ)」をオープンしました。国分寺を選んだのは、家賃の手頃さに加え、街に賑わいがあったこと、また、再開発で人が増える兆候を感じたことも理由の一つです。すでに国分寺で数店舗を展開していた経営者の方と偶然知り合うという縁もあり、共同名義で物件を借りてスタートしました。

1975年、東京都生まれ。専門学校を経て、ハワイのホテルに勤務。帰国後、1998年に株式会社グローバルダイニングに入社。2002年に退社し、料理人・平野寿将氏の和食店のオープニングスタッフをはじめ、飲食店業務全般の経験を積む。2007年、独立開業して猿屋一家を設立。

――大きな通りから外れたビルの地下。勝算はあったのでしょうか?

来ていただいたお客様をリピーターにすることには、絶対の自信がありました。だから地下でも構わないし、目立つ看板もいらない。その考えは今も変わりません。ただ、忘れていたのは、まず店を見つけてもらう必要があるということ。販促もせず、まったく知られていない状態でオープンしたので、最初の1週間は大苦戦しました。

その状況を打開するため、「時間無制限980円飲み放題」のサービスを打ち出し、駅前で大きな声でアピール。興味を持ってくれた人にだけ、ビラを渡すようにしました。おかげさまで、数週間後に飲み放題のサービスを終了した後も、多くのお客様がそのままファンになってくださり、現在でも足繁く通っていただいています。

――以降、国分寺エリアに店舗をドミナント展開してきた理由は?

先ほども触れましたが、都心より家賃が大幅に安いことが魅力です。家賃の高い物件を借りた場合、その分を早く取り返そうと無理をすることになりがちです。慌てずじっくりと腰を据えて、地域密着で店をつくり上げたいという想いから、固定費はできるだけ抑えています。また、エリアを固めて出店することで、店舗間でスタッフの融通がしやすいという利点もありますね。

過去には、つまずいた経験もあります。2店舗目を出す際、「魚介と日本酒の店」というコンセプトありきで、店長になれそうな人を外から探してスタートしました。すると、根本の“想い”の部分でズレが生じ、うまくいきませんでした。そのときの反省から、以降は「物件ありき、人ありき」の出店戦略を貫き、現在、国分寺と花小金井で直営6店舗を運営しています。

「猿酔家」「猿狗楽(さくら)」など、店名を読みづらいものにしているのは、それがお客様との会話のきっかけにもなるから。それに、店名を覚えてもらえなくても、例えば「藤野さんの店に行こう」など、私やスタッフの名前で覚えてもらえればいい。そういう関係性をお客様と築くことが大切だと考えています。そのため、店作りにおいては、カウンター越しの対面サービスに重点を置いています。ちなみに店名や社名の「猿」は、グローバル時代に、慕っていた社員の人とともに石田店長から「二匹の猿」と呼ばれていたから。そこに、みんなが集う場所、一人称でなく、みんながいるから成り立つ「家族」という想いを込めて、「猿屋一家」としました。

――社員やスタッフの育成について、心がけていることはありますか?

「教育が行き届いているね」と、お客様から言っていただくことがあるのですが、実は特に何もしていないのです。アルバイトの育成を含め、店舗の運営は基本的に店長に任せています。会議もほとんどしませんし、売上報告もLINEで済ませています。その代わり、社員を数名連れて、よく視察を兼ねた旅行に行っています。一方的に何かを伝えるのではなく、旅先でおいしいものを一緒に食べながら、同じものを見て、同じ時間を分かち合う。それが猿屋一家における「意思の共有」です。アルバイトの子たちとも普段からよく飲んで話をするようにしていますね。

あれこれ指示をしなくても、やる人は一生懸命やります。熱心に学び、経験を積んで、成長し、成功していく。その道を選ばないのであれば、それはその人の選択だと考えています。

猿屋一家設立10周年を記念し、スタッフがサプライズで作ってくれたTシャツを着ての集合写真

――今後の目標や展開について教えてください。

猿屋一家として、今いる社員が将来的に全員独立し、生計が成り立つようにしたい。それも体力や気力がある20代のうちに、独立してほしいと思っています。すでに2人が独立し、来年1月にはさらに1人がベトナムでラーメン店を出す予定で、全面的にバックアップします。独立支援のためにも、いろいろ経験できる環境を社内に整えたい。「○○の経験を積みたい」という社員に対して、「それなら、この店があるよ」と、選択肢やチャンスを幅広く提示できる会社でありたいのです。

独立した後は、縛られず自由にやってほしいので、完全独立の形をとっています。巣立った社員たちと、同じ経営者として対等な立場で酒を酌み交わし、語り合うことが大きな夢。仕事とは、それ自体が目的ではなく、仕事以外の時間を存分に楽しむための資金を得る手段であっていい。だから、高い家賃に苦しみながら店をやる必要はない、というのが私の考え。地域に密着し、自分の料理を食べてもらうお客様の顔がしっかり見える、そんな“商売人”になってほしいと願っています。

国分寺 猿酔家(東京・国分寺)
https://r.gnavi.co.jp/a042602/
ロフトも備えた大人が寛げる居酒屋。国産黒毛和牛の炙り寿司や、地元・国分寺の農家から毎日届く新鮮な野菜を使った料理が人気。
肉とワイン サルノコシカケ(東京・国分寺)
https://r.gnavi.co.jp/e050vz9z0000/
腸詰めから店内で手がける自家製ソーセージをはじめ、様々な肉料理とワインを楽しめるバル。オープンキッチンのライブ感も魅力。

Company Data

会社名
株式会社 猿屋一家

所在地
東京都国分寺市本町4-1-10 シティハイツB1

Company History

2007年 1店舗目の「国分寺 猿酔家」オープン
2008年 2店舗目の出店に際し、株式会社猿屋一家として法人化2012年「猿狗楽-さくら-」オープン
2015年 「大衆酒場 国分寺 獅~猿~」、「三代目 けむり家 猿吉」オープン
2016年 「酔ッテ 集ッテ 笑猿場」オープン(業務委託独立)
2017年 「肉とワイン サルノコシカケ」オープン

※本記事の情報は記事作成時点のものであり、情報の正確性を保証するものではございません。最新の情報はご自身でご確認ください。

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