2018/02/21 挑戦者たち

株式会社 FOOTOP 代表取締役 山本 優輔 氏

北海道産の食材を使った料理とワインが売りの「北の国バル」をメインブランドに、現在、12店舗を展開する株式会社FOOTOP。代表の山本優輔氏に培ってきた自身の強みや、今後の展望を聞いた。

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飲食業の楽しさは自分で考え、自由にチャレンジできること

北海道産の食材を使った料理とワインが売りの「北の国バル」をメインブランドに、現在、12店舗を展開する株式会社FOOTOP。代表の山本優輔氏は前職で長く業態開発を担い、次々と新業態を世に送り出してきた。来期中に30店舗への拡大を視野に入れる山本氏に、培ってきた自身の強みや、今後の展望を聞いた

――かつて、プロのスノーボーダーを目指されていたそうですね。

仙台の大学に在学中、当時流行り始めていたスノーボードにのめり込み、卒業後はプロを目指して、海外の雪山を滑る生活を続けていました。ただ、27歳まで続けてダメならあきらめようと決めていたので、26歳で腕を骨折したことを区切りにプロの道を断念し、就職する道を選びました。

その後、焼肉「牛角」などを運営する株式会社レインズインターナショナルに入社したのは、学生時代からいくつかアルバイトを経験したなかで、飲食がいちばん長続きし、自分に合っていると感じていたからです。それに「牛角」は大体、営業時間が17~24時と短く、「これはいい!」と。ところが、入社して配属されたのは翌朝5時まで営業の「土間土間」で、当時は出店ペースが非常に早かったこともあり、3カ月後には新店の店長に就任。そして、入社1年後に業態開発に異動になりました。

――入社わずか1年での抜てきですね。どんな経緯だったのですか?

店独自のスタンプカードを自費で作って導入したところ、売上がアップしたんです。販売戦略が評価され、幹部社員から声をかけていただきました。当時のレインズには自由に挑戦させてもらえる風土があり、自分で考えて工夫することや、スタッフと力を合わせていろいろ取り組むことが楽しかった。それまで好きなスノーボードに打ち込んできて、学生に近い感覚を持ち続けていたので、若いスタッフとのコミュニケーションやチーム作りで、特に苦労はなかったですね。

業態開発に異動後は、当時の西山知義社長(現・株式会社ダイニングイノベーション 代表取締役会長)や、幹部の方々と直接やり取りできることに大きなやりがいを感じながら、いくつもの新業態の開発に関わりました。

レインズの業態開発では、最初から300店舗の出店を想定してブランドを作り上げることが要求されました。極めてハードルの高いミッションでしたが、コンセプトの立案から商品開発、内装デザイン、店舗運営、人材育成など、飲食店の出店や経営に必要なすべてを経験でき、多くを学びました。それが今の自分の強みになっています。

1974年、埼玉県出身。大学在学中にスノーボードに打ち込み、卒業後はプロを目指して競技を継続。27歳で株式会社レインズインターナショナルに入社し、1年後から業態開発に携わる。37歳で独立し、2013年3月に株式会社FOOTOPを設立。同月、「北の国バル」1号店を出店。

――いくつもの新業態を開発するなかで見えてきた大切なことは何ですか?

ゼロから新しいものを生み出すことに目が行きがちですが、むしろ重要なのはその後。実際に店がオープンした後に、必要に応じていかに柔軟に変更できるかが、結果を大きく左右します。開発の段階で「うまくいくはず」と見込んだことが、オープンしてみるとお客様のニーズとずれていた、というケースも多くあります。その時に、自分のアイデアやプランに固執せず、お客様の意見を汲んで素早く軌道修正していけるか。特に多店舗展開をしていくうえで、そうした柔軟性がとても大切だと学びました。

入社から約10年を経て、最優秀社員賞を取った後、37歳で独立しました。知り合いが北海道で地域おこしに関わっていた縁もあり、北海道の食材を使った料理とワインを気軽に楽しんでもらえるバルを作ろうと考え、2013年3月、会社設立と同時に「北の国バル」を東京・蒲田にオープンしました。

――1号店を出店する際の業態開発は、どんなコンセプトで決めたのですか?

当初から、FCを含む多店舗展開を念頭に置いていました。ただ、レインズで300店舗の出店を前提にしていたのとは違い、個人オーナーが1000万円の資金でFC出店できるような、開業のハードルが極力低い業態を作りたいと考えました。そこで1店目はモデルケースとなるよう、蒲田駅前の居抜き物件を借り、おしゃれ過ぎない店づくりを意識。ワインに興味のある人たちが気軽に足を運べる、気取らない店を目指しました。それは、現在も「北の国バル」の基本コンセプトです。

蒲田店はオープンから順調にいったわけではなく、最初は売上がまったく伸びませんでした。カウンターをスタンディングにし、さらに全席禁煙にしたことが響き、店内を見てすぐに出て行く人が続出しました。古くからの酒場が多い蒲田には、そうしたスタイルがまだなじまなかったのです。そこで、すぐにカウンターにイスを置き、分煙に変えたところ一気に軌道に乗りました。前職で学んだ柔軟に対応する考え方が、ここで役に立ちました。

FCを含めて10店舗を超えた現在の「北の国バル」の客層は、想定通り30~40代が中心と年齢層は意外と高く、親子3世代で足を運んでくださる方もいます。北海道の生産者とのつながりも年々広がり、札幌や函館でその日の朝に水揚げされた鮮魚をはじめ、水耕栽培の野菜、牛肉や豚肉のほか、日高産の蝦夷鹿肉など、現在は個性豊かな食材を北海道各地から仕入れています。

――FC店舗展開の戦略は? また、店舗運営で重視していることは?

本部体制を敷いていないため、これまで積極的にFCの営業はかけていません。現在のFCオーナーは全員、私の知り合いや、人づてに紹介された人たちです。FC出店に際して重視しているのは、オーナー自身、飲食業が好きで、能動的にアイデアを出しながら、店舗運営に取り組む姿勢を持っているか。料理のグランドメニューとワインは全店統一ですが、そのほかのメニューや販促方法、接客スタイルなどは、各店の裁量に任せています。FCに限らず、直営店も同様です。自分で考えて自由に工夫することこそ、飲食業の楽しさだと考えているからです。

例えば、門前仲町店では最近、スタッフが考案した複数の料理を店舗限定メニューとして販売し、注文数を競い合うイベントを実施しました。さらに店長からの提案を受け、1位を獲得したメニューは近々、新たなグランドメニューとして全店舗で提供を始める予定です。

スタッフとのコミュニケーションを大切にしており、バーベキュー大会など社内イベントも開催している

――現在の課題や、今後の目標を教えてください。

これから直営店の出店を加速するためにも、新店を任せられる人材の育成が目下の課題。昨年末、初めてコストをかけて人材を募集し、新たな社員が加わりました。今後は商品開発やWeb販促など、私が担ってきた業務に、各店長を巻き込みながら進めたいと考えています。

FCでは、今年4月に和歌山店と、香川・高松への出店が控えています。さらに、北海道への出店も計画中で、その目的の1つは近い将来の東南アジア進出を見据え、「北海道発」のブランド力をより高めるため。もう1つは、北海道の生産者や業者の方々に、自分たちの食材が様々な料理となってお客様の口に入るまでを、実際に見てもらいたいという想いがあるからです。

来期中にはFCを含め30店舗まで展開する予定で、新業態も開発しながら50店舗まで増やすことが当面の目標。そこに到達して初めて、西山さんにご挨拶に行けるような気がしています。私にとってそれほど大きな存在で、自分の土台となるものを身に付けさせてもらえたことに、自らが経営者となった今、あらためて感謝しています。

北の国バル 蒲田店(東京・蒲田)
https://r.gnavi.co.jp/gcwb500/
「北の国バル」1号店として2013年オープン。厚岸産牡蠣「まるえもん」や、グラス2杯分の「こぼれスパークリング」が名物。
北の国バル 赤羽店(東京・赤羽)
https://r.gnavi.co.jp/frem0de90000/

開放的な店構えとリーズナブルな価格設定が受け、多くの飲食店が立ち並ぶ赤羽駅東口エリアで客足が絶えない人気店に成長。

Company Data

会社名
株式会社 FOOTOP

所在地
東京都大田区西蒲田7-29-8 田中ビル1F

Company History

2013年 株式会社FOOTOP設立。
    「北の国バル蒲田店」「北の国バル 門前仲町店」オープン
2014年 FCの「北の国バル 新宿西口店」オープン
2015年 「北の国酒場 蒲田本店」「北の国バル赤羽店」など計4店オープン
2016年 「北の国バル 鶴見店」など計2店オープン
2017年 「北の国バル 神保町店」など計2店オープン
2018年 西日本初出店となる「北の国バル 高松店」(FC)オープン

※本記事の情報は記事作成時点のものであり、情報の正確性を保証するものではございません。最新の情報はご自身でご確認ください。

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