2018/09/11 特集

人気女性シェフたちに聞く!「わたしの履歴書&未来予想図」

“女性の活躍”が叫ばれる一方、飲食の現場では少数派の女性料理人。料理人を目指す女性がもっと増え、レベルアップしていくためには?第一線を走る女性料理人6人に、そのヒントを語っていただいた。

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更新日:2024.1.26

専門学校で半数を占める女性。職場では一転して少数派に

司会・進行 料理プロデューサー 食ジャーナリスト 狐野(この)扶実子さん 1997年、パリの料理教育機関「ル・コルドン・ブルー」を首席で卒業後、3ツ星レストラン「アルページュ」に入り、スーシェフに就任。2001年よりパリを拠点に出張料理人として活動後、パリの「フォション」のエグゼクティブ・シェフに抜てき。現在はパリのアラン・デュカス氏主宰の料理学校で講師を務めながら、国内でも活動。2015年より「RED U-35」審査員。「女性が料理の仕事を続けていくために、料理界も改革が必要」

狐野(この)扶実子(司会・進行 料理プロデューサー 食ジャーナリスト) 今日は、第一線で活躍されている女性料理人の皆さんにお集まりいただきました。料理業界で頑張る女性、そして女性を雇用している経営者、同僚の男性の方々にも、ヒントになるようなお話を届けられればと思います。今日ご参加の桂さんは2016年に、藤木さんは2017 年に、「RED U-35(RYORININ's EMERGING DREAM U-35)」(※1)でもっとも優れた成績を収めた女性料理人に贈られる「岸朝子賞」を受賞されています。この「RED U-35」で私は審査員を務めているのですが、女性の参加者がなかなか増えないことを課題の一つだと感じています。調理師専門学校に行くと女性の学生が多いのに、職場では一転して女性が少ないのが現状ですよね。

北山 智映(「割烹 智映」元店主) 私もそれは感じます。先日、都内の調理師専門学校で講師をする機会があったのですが、訪ねてみて、学生の半数ほどが女性であることに驚きました。私自身は独学で料理を学んだので、調理師学校にこんなに大勢の女性がいることを知らなくて。この子たちは卒業後にどこへ行ってしまうんだろう…と不思議に感じたほどです。

五十嵐 美幸(「中国料理 美虎」オーナーシェフ) 日本は本当に女性の料理人が少ないですね。料理の仕事を長く続ける女性が少ないからだと思います。私の店でも過去に、採用して2~3年後、ようやく力がついてきた時期に辞めてしまった女性がいました。重い鍋を振る中国料理は体力的に厳しいだけでなく、男性に負けじと精一杯頑張るがゆえに、心身ともに負担がかかりがち。女性料理人が生き生きと働ける環境はまだ整っていないのが現状で、私自身も経営者として非常に悩んでいるところです。

樋口 宏江(「志摩観光ホテル」総料理長) つい頑張りすぎてしまう女性は、多いですよね。私自身も、20代のころは厨房で周りの男性と同じように重たい物でも何でも運んでいました。男性に負けたくない、女性だからと特別扱いをされたくないという気持ちが、当時はとても強かったですね。

桂 有紀乃(料理人) 私の身近では、10年間一緒に働いた後輩の女の子が、つい最近、結婚を機に事務職に移る選択をしたんです。将来的な育児・家事との両立を考えると、第一線で料理を続けるのは難しいと考えての選択でした。せっかく経験を積んできて辞めるのは本当にもったいないと思ったのですが、彼女が決めたことですから止めることはできなくて。どうすれば女性料理人がやりがいを持って長く仕事を続けられるのか。その方法を、私自身が別の場所で探してみたいと思ったことも、勤めていたレストランを9月に退職して、10月から公邸料理人になると決めたきっかけの一つです。(※2)

藤木 千夏(元シェフ) 以前に比べると女性の料理人も少しずつ増えてきていると思います。ただ最近、私の店で働きたいと連絡をくれた地方出身の新卒の女性がいるのですが、調理師学校の先生からは「料理業界に入るのは海に投げ出されてサメに食われるようなものだ」と言われたそうで。不安を抱えて、それでも料理が好きで志を持って飛び込んで来た若い人たちのために、続けられる環境を整えたいと強く感じます。

北山 残念ながら、飲食業界はまだまだ“男社会”。来年この状況が変わるかといえば、急には変わらないと思います。そんななかで女性が頑張っていくには覚悟がいるし、好きじゃないと続かない仕事ですよね。一方で、若い人が夢破れてがっかりして去っていく状況は、何とかしなければと思います。

五十嵐 そうですね。夢を持って業界に入ってきたのに、続けられずに辞めてしまう。これを、現実は厳しいのだという一言で片付けてはいけないと思います。自分の店を持つ夢があっても、実現するには多額の借金をしなければならないし、家庭と両立している女性には、独立は選択しづらいですよね。経営者としても、厳しい経営の中で人を雇うなら、女性より男性を採りたくなる気持ちもわかる。この状況を根本的に解決するには、個人でやれることは限られており、国のサポートが不可欠です。例えば、女性料理人の独立を支援する助成金や、出産・育児などで料理人が欠け、厨房の戦力が落ちることを加味した助成金などがあれば、状況は大きく変わるのではないでしょうか。日本の料理人は、調理技術や味覚のレベルが世界的にも高いと思いますが、女性料理人にはさらに、独特の味覚や感性がある。女性が活躍できる土壌が整えば、日本の料理業界のレベルはもっと上がるはずです。

「中国料理 美虎」オーナーシェフ 五十嵐 美幸さん 東京都出身。幼少期から実家の中国料理店を手伝い、1993年に高校卒業後、正式に厨房へ。並行して休日に「竹爐山房(チクロサンボウ)」に通い研鑽。1997年、フジテレビ『料理の鉄人』に最年少挑戦者として出演し話題に。2008年、東京・幡ヶ谷に「中国料理 美虎(ミユ)」オープン。現在、直営3店舗を運営するほか、料理教室やイベントなど精力的に活動。「踏ん張る時も必要。同じ女性だからこそ伝えたいですね」

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女性の声を、経営者に届ける役割も

狐野 「志摩観光ホテル」では数十年前から料理人として女性を採用しておられたそうですが、最近の女性料理人の数はどのくらいですか?

樋口 現在、和食部門に2人、洋食部門には私を含め3人いて、ペストリー(パティシエ)は女性が多いですね。結婚を機に退職する人がいる一方で、入社する人もいて、毎年どの部門も女性の応募が1名以上あります。個人店に比べてホテルは従業員数が多いですし、24時間の中でもシフト制で勤務時間を調整しやすい利点はあると思います。また、当社(株式会社近鉄・都ホテルズ)では、女性が働きやすい環境作りを考える検討会が開催されています。例えば、職場内に託児所があれば安心して仕事を続けられるので、そうした要望を会社に伝えることや、自分の経験を後輩に伝えてサポートしていくことも、私の役割の一つだと考えています。

 私もホテルに勤めていた13年間、どうすれば女性が料理の仕事を続けられるのかを考えてきました。樋口さんも言われたようにホテルは24時間営業なので、基本的には女性も夜勤があります。シフト上は8時間勤務ですが、体への負担は少なくないので、改善の必要を感じていました。でも一従業員の私に組織を動かす力はありません。そこで考えついたのが、コンクールにたくさん出ることです。コンクールで結果を出すことで、私の考えを発信するチャンスもあるのではないかと思ったんですね。実際に受賞を重ねるなかで経営者クラスの人と話す機会が増え、夜勤制度の改善を申し入れるなど、現場の声を自発的に上に届けてきたつもりです。意見を言い続けるにはそれだけの実力が必要ですから、誰かに追いつかれるわけにはいかない。その思いが毎年コンクールに出続ける原動力にもなっていました。

「志摩観光ホテル」総料理長 樋口 宏江さん 三重県出身。1991年「志摩観光ホテル」に入社。フレンチレストラン「ラ・メール」シェフを経て、2014年に同ホテル総料理長に就任。2016年に行われたG7 伊勢志摩サミットでは、ワーキング・ディナーを取り仕切った。2017年、農林水産省料理人顕彰制度「料理マスターズ」にて、三重県初、女性初のブロンズ賞を受賞。「仕事と育児を両立し、長く働ける環境を整えるのも私の役割」

子育てとの両立に不可欠な家族や職場の理解とサポート

狐野 樋口さんはホテルの総料理長であり、高校生と中学生のお子さんを持つお母さんでもあるんですね。どのように両立してこられたのですか。

樋口 子どもが小さい頃は、保育園に入れられなかったのですが、幸いにも私の場合は、厚意で子どもの面倒を見てくださる人が近所にいて、本当に助けられました。ただある時、その人の都合が悪くなり、慌てて代わりの預け先を探したことがありました。初めての場所だったので、子どもは不安でいっぱいだったはずですが、泣くと私が困ると知ってか、預け先の人に手を引かれながら振り帰らずに歩いて行って…。今でも思い出すと胸が痛みます。子どもが大きくなってからも、家族全員で一緒に夕食を囲む機会は年に数えるほどしかないのですが、その分、短い時間でも家族とのひとときを大切に楽しく過ごそうと意識しています。

五十嵐 うちにも3歳の息子がいますが、「子育てがこんなに大変だとは思わなかった!」というのが正直な感想。主人が仕事を辞めてサポートに回る選択をしてくれたからこそ、料理を続けてこられたと実感しています。仕事で海外に行く時は親や知り合いに預かってもらっていますが、子どもと離れるのは本当に辛いですね。そんな時に思い出すのは、女性料理人の先輩の「ママは仕事をしていて幸せなんだと、2、3歳でもちゃんと教えてあげて」というアドバイスです。最近は、頑張る父母の背中を見せることも大事な教育だと考えられるようになりました。店に子どもを連れて行くこともありますが、料理人はお客様の命を預かる仕事で、厨房は真剣勝負の場所。「白衣を着た瞬間からはママじゃない」と、自分にも子どもにも言い聞かせて切り替えるようにしています。

狐野 ヨーロッパでも、第一線で活躍する女性料理人の多くが、家族や職場の理解、社会のサポートの重要性について語っていますが、その点で日本の社会はまだまだ遅れをとっていると言えそうです。例えばフランスは、女性の就業率が80%以上と高いのですが、これは託児所やベビーシッターなどのサービスが、文化としてしっかりと根付いていることも大きく関係していると思います。仕事と家庭の両立が当たり前の社会で、男性も育児や家事を積極的に担っている。日本でももっとそうした風潮が広まってくれるとよいですね。ヨーロッパといえば、桂さんは10月からヨーロッパに単身赴任されるわけですが、ご主人の反対などはなかったですか?

 実は夫には、問い合わせを済ませ、面接の日取りを決めた後で報告したのですが、何のためらいもなく、喜んで賛成してくれました。仕事で普段から世界を飛び回っている人なので、私にも同じように、やりたいことに自由に挑戦してほしいとエールをくれました。いずれは子どもも欲しいですし、年齢的なことも気になるけれど、先のことを心配しても仕方がないので、「今やるべきことをやろう」という結論になりました。これまで勤めたレストランを退職して、新しい場所で料理をしてみようと思ったのは、女性が料理の仕事を続ける方向性を探るためでもあります。育児と料理人は続けられないと思う女性に、「両立できるこんな道や、こんな方法があったよ!」と、いつか示すことができたらと思っています。

藤木 私も、将来は家族を持ちながら料理人と両立する方法を考えていきたいと強く思っています。今は仕事やライフスタイルの選択肢もたくさんあるので、柔軟に仕組みを考えられればと思います。

※1 新時代の若き才能を発掘する、国内最大級の料理人コンペティション。現在進行中の「RED U-35 2018」では、一次審査に過去最多の567名が応募。

※2 座談会の収録は2018年8月8日。

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多様な働き方を認め合える懐の深さが料理業界には必要

「割烹 智映」元店主 北山 智映さん 埼玉県出身。イギリス・バースの高校に進学し、その後アメリカ・南カリフォルニア大学の声楽科に入学しオペラを専攻。ミュージカル女優を目指すも、体を壊して別の道を模索。帰国後、料理人を志して独学で調理技術を磨く。2008年、銀座に「割烹 智映」をオープン。独自の魚介料理を提供する。「食彩の王国」をはじめ、テレビ番組にも多数出演。「覚悟が必要な仕事。無理をしないことも持続のために不可欠」(2019年12月、多臓器不全のため永眠)

狐野 現状を根本的に変えるには国の支援が必要だという五十嵐さんの意見には、私も賛成です。それと同時に、女性の料理人たち自身や、料理業界としてまず何ができるかも考えていきたいですね。

五十嵐 かつて日本の料理業界には「このレベルに達しないとプロとして認められない」という線引きや、朝から晩まで働き続けることを美徳とする考えがあって、それが業界の高いレベルを維持してきた半面、女性にとってハードルになってきたことも事実です。例えば、子育てでいったん現場を離れた女性が、再び働き始めたいと思ったときに、料理業界は選択肢に上がりづらい。多様な人が、それぞれの事情に合わせたペースで働き続けられるような、懐の深さが料理業界にあるといいですよね。そうすれば、料理人という職業がもっと身近なものになって、目指す女性も増えていく。まずは女性の比率を高めることが第一歩だと思います。

北山 体力面など、男性と女性には違いがあるので、そこを認識することも大切だろうと感じます。私も以前は男性と同じだけの仕事をしなければ認めてもらえない、勝てない、と考えて、築地で何十キロもある魚の箱を担いで運ぶこともしょっちゅうでした。今では「手伝うよ」と声がかかると素直に頼れるけど、当時は「築地でよい品を買うためには周りに認めてもらわなければ」という一心。その時の辛さなくして今はないので、必死さが大事だと思う半面、無理をして体を壊してしまったこともあり、それは反省しています。自分にできることとできないことを知って、それを受け入れることも、長く続けていくためには必要です。

 私が勤めていたレストランでも、男性とまったく同じように働くべきと考える女性が多かったです。後輩の女の子が重たい荷物を持とうとしている場面もありましたが、そんな時に私は、後輩の男の子を呼んで「これ持ってあげて!」と言うようにしていました。重たいものを持つことで女性に負担がかかること、海外では力仕事は男性がやるのが当たり前ということなどを、ユーモアを交えながら繰り返し伝えていると、自然と男性が率先して力仕事を引き受けるようになってくれました。もちろん女性もその状況に甘えるのではなくて、作業の段取りを整理してホワイトボードに書く役割を引き受けるなど、自分がすべきことを考えて、チームに貢献できるように頑張ってくれます。厨房内でそれぞれが自分の力を発揮して助け合う文化を、若い世代に根付かせていくことは大事で、それが料理業界の未来を変えることにもつながると思うんです。

藤木 長く働き続けるためには、周りにサポーターを増やすことも大切かなと思います。これは男女を問わずですが、「あの人のためなら」と助けてくれる存在がいることで、困難に直面しても道が開けやすくなります。それから、若い世代の働き方の軸や価値観の変化にも寄り添いながら、それに対応できる職場環境を作ることも大事かなと。

樋口 藤木さんの言う通り、サポーターを増やすことは大事ですね。私自身、周囲の方々に助けていただくことが何度もありました。熱を出した子どもを迎えに行かなければいけない時、快く送り出してくれる同僚がどれだけありがたかったか。もちろん、一生懸命にやっていないと誰も助けてはくれませんから、何ごとにも真剣に向き合うこと、そして自分がどうしたいのかをしっかり持つことも大切ですね。

料理人 桂 有紀乃さん 埼玉県出身。2005年、「ザ・プリンス パークタワー東京」のオープニングスタッフとして入社。宴会調理部門を経て、西洋料理メインダイニング「レストラン ブリーズヴェール」に配属。ニューヨークの「Bouley」での研修など、研鑽を積む傍ら、様々な料理コンクールに毎年出場し、結果を残す。今年9月に退社し、10月より公邸料理人として渡欧予定。「料理以外の分野で自分の強みを見つけることもプラスになります」

女性の側から言葉に出して、臆せず伝えることも大切

五十嵐 女性は生理痛で立っているのも辛い日があったり、生理前にどうしても情緒不安定になったりすることがあります。ホルモンバランスによっては、味覚が普段と少し違ってくる時期もありますしね。

狐野 確かに、五感が少しずれて注意力が鈍るような時期はありますよね。包丁を洗っているときにうっかり手を切ってしまうとか、滅多にしない失敗をやってしまう。

五十嵐 生理学的にしょうがないことですが、負けてはいけないと、薬を飲んで頑張ってしまう女性は多くて。でも、やっぱり無理は続かないんですよね。

北山 体のことって女性はなかなか言い出しにくいけど、堂々とオープンにする姿勢は必要かもしれない。女性に限った話ではないですが、例えば背が低い人は高い場所に手が届きにくいし、逆に背が高い人は低い位置での作業がしにくい。自分の弱いところも強いところもさらけ出して補い合える、そういう人間関係は大事だと思います。

藤木 言葉に出して言うことは必要ですね。そうでないと体のことは特に、男性はわからないんですよね。

五十嵐 だからこそ、私たち女性がアイデアを出して声を発していくことに意味があると思う。例えば厨房の環境にしても、足元が冷えにくい床材を使うことで女性はもっと働きやすくなるかもしれません。私の店では女性が鍋を振りやすいよう調理台を低くするなど、実際に工夫しています。

 私は、料理以外の強みを持つことも、実は大切なのではと思っています。今のお客様は、料理そのものはもちろん、料理人の人柄やそのお店ならではの体験、料理の中に込められた何かを求めて足を運ばれる場合も多いと感じます。だから例えば語学や芸術でもいいし、その人の得意分野を活かしてカバーできる面はあると思うんです。私の後輩に、重労働を男性に代わってもらうことをためらっている女の子がいたのですが、その子は重たい物を持つのは苦手だけど、すごくおいしいワサビ漬けが作れるんですね。その後輩には、「重たい荷物を持つことよりも、あなたのワサビ漬けでもっとたくさんの人を幸せにできるかもしれないよ!」と伝えました。自分の得意分野に自信を持って、できないことは得意な人にきちんとお願いするようにすれば、男女を問わず、みんなが力を発揮しやすい職場になるのではないでしょうか。

「Restaurant Umi」元シェフ 藤木 千夏さん 福岡県出身。東京調理師専門学校に進み、「ホテルオークラ」の厨房でアルバイト。卒業し、「ホテルオークラ福岡」にて勤務後、24歳で渡仏。ビストロや星付きレストランなどで修業。帰国後、国内のフランス料理店でも腕を磨く。2014年に再渡仏し、パリの「Restaurant Sola」でスーシェフを務める。今年6月、東京・恵比寿に「Restaurant Umi」をオープンし、シェフに就任。「周りの人たちとの信頼関係を築き、助け合うことも大切」

長く続けるペース配分と同時に大事な“踏ん張り時”

五十嵐 無理が続かないのは私自身もすごく感じることですが、一方で、踏ん張るべき時があるのも事実ですよね。例えば、仕事をするうえで3年のサイクルはすごく大事。料理を始めて1、2年目は辛くても、3年経てば違う世界が見えてくるようになります。私たち経験者はそれをわかっているんだけれど、そこに至るまでに挫折してしまう人も多くて、本当にもったいない。それから、かつて私が教わったのは「修業は料理を覚える場所ではなく、自分という人間を作る場所」ということ。日本のそうした素晴らしい修業の文化を伝えながら、女性がもっと活躍できる業界へと、時代に合わせて変化することも大切だと感じています。

樋口 私が働くホテルは比較的環境が整っていて、それは偉大な先輩方が築き上げてきた上にあるものですが、それを当たり前と受け止めないようにしたいと常々思っています。若い人たちにも、自分たちが働く環境のよさや課題を客観的にとらえる広い視野を持ってほしい。そうすることで環境はさらによくなっていくと思います。料理人として成長していくことと、子どもを生み育てること、どちらもかなえたいと考える女性を増やしたいですね。

狐野 皆さんのお話を聞くと、同じホテル業界でも環境は違うし、ご自身のお店でもそれぞれ工夫をされている。情報交換することで得られるものはとても多いですから、こうした場が普段からあるといいですよね。

五十嵐 女性料理人がこうして集まる機会はめったになくて、普段から交流の場があればと私も常々思っています。私たちも若い世代の声を聞いてみたいし、同じ女性同士だからこそ「ここは踏ん張りどころだよ」とか、「それは我慢しなくていいんだよ」と、自分たちの経験をもとにアドバイスできますよね。人にとって大切なのは、やっぱり出会い。桂さんがワサビ漬けの話をされましたが、その一言をもらえたことで後輩は救われたはず。人との出会いや言葉で進む力をもらえたり、救われたりする。職場や立場、世代を超えて、そんな前向きなやりとりが飛び交うような交流の場を作りたいですね。

狐野 今日の座談会は、女性料理人の結束力を高めるスタートとしても、意義は大きかったと思います。お集まりいただきありがとうございました。

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【五十嵐 美幸さん「中国料理 美虎」オーナーシェフ】自らが歩む“人生”そのものを味わってもらえる料理を

・2008年9月 「中国料理 美虎」開業
・2017年2月 「Chinese Dining 美虎 銀座」開業
・2017年4月 料理教室、料理研究スペース「みゆらぼ」開業
・2018年4月 「みゆらぼ」にて、家庭料理店デリ「みゆきごはん」スタート
・2021年   コロナ禍における飲食店の新たな形として、美虎銀座店を熱海に移転
「熱海美虎本店」静岡県熱海市中央町16番地3号
https://www.miyuki-igarashi.com/

実家の中国料理店で、小学生の頃から調理の手伝いをしていた五十嵐さん。高校卒業後、本格的に料理の道に進み、22歳でテレビの料理番組に出演したのを機に一躍、時の人に。ただ、当時は葛藤もあったという。「自分の実力以上のことをやろうとして、虚勢を張っていたと思います」。腱鞘炎を悪化させながらも鍋を振り続けるなかで、大好きだった料理はどんどん辛いものに。そんな時に、ある先輩から『幸せじゃない人が作る料理が、人を幸せにできるのか』と言われ、目が覚めたという。

わずかな現金を握りしめて実家の中国料理店を出て、初めてできた自由な時間を使い心身を休めながら、出張料理人として活動。そして、33歳で独立し、店を構えた。以来、医食同源の思想をくむ、体に優しい中国料理を探究。食育やフードロス対策などの活動にも取り組む。2014年に長男を出産し、子育てとの両立に現在進行形で奮闘中だ。「お客様は料理だけでなく、作り手の人生を味わいに来られる。だからこそ、より多くの女性料理人が笑顔で働き、女性として、母としての自らの人生を料理に込めて、お客様に味わってもらえるような環境作りが必要だと感じています」。

「Chinese Dining 美虎 銀座」で提供するコースの一例。季節ごとに変わるメニューには旬の野菜を多く使い、食材本来の旨みが生きた優しい味わい

それぞれのスタイルに迫るQ&A

Q. 自身のスペシャリテ

「フカヒレの昆布締め」。フカヒレを昆布に挟み、旨みを移した前菜。日本人だからこそ生み出せる中国料理を目指しています。

Q. 仕事で欠かせないもの

五感(心の健康)

Q. 座右の銘

我を出さずに料理と向き合う。

Q. 女性料理人へのメッセージ

楽しむこと。仕事の中に喜びを見つけよう!

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【「志摩観光ホテル」総料理長 樋口 宏江さん】26年間、変わらずにあるのは「料理が好き」という初心

・1991年 「志摩観光ホテル」入社
・2008 年 「志摩観光ホテル」のフレンチレストラン「ラ・メール」シェフに就任
・2014 年 「志摩観光ホテル」総料理長就任
・2016 年 G7 伊勢志摩サミットにてワーキング・ディナーを担当 
「志摩観光ホテル」 三重県志摩市阿児町神明731(賢島)
https://www.miyakohotels.ne.jp/shima/index.html

三重県・賢島に1951年開業した名門「志摩観光ホテル」の総料理長として、約50名の料理人と調理サポートスタッフが働く調理部門のトップに立ち、厨房全体のマネジメントやメニュー考案を担う樋口さん。若手の料理人の育成にも力を入れている。「私の修業時代のような、『後ろ姿を見て倣え』というやり方では、今の若い人はついてきません。料理の楽しさをもっと知り、やりがいを持って仕事を続けてほしいという想いから、コース料理の一皿のアイデアを任せたり、一緒に漁港に出かけて生産者の話を直接聞くなど、こちらから声をかけて巻き込む工夫をしています」。そうすることで次第に、若手のほうから目を輝かせて「次はこんなことをしてみたい」という声が聞かれるように。そんなやり取りを地道に積み重ねることも、より働きやすい環境へとつながる一歩だと樋口さんは考える。

「私自身は子どもの頃に台所仕事を手伝うのが楽しくて、『好き』から始まった道ですが、26年経った今も変わらず料理が好き。この先もずっとそうだと思います」。一生涯、料理人でいることを自らの目標に掲げ、ホテル伝統のレシピを守りながら、地元ならではの食材を活かした新しい料理の提案を続けている。

和の要素を取り入れたスペシャリテ「松阪牛フィレ肉 焼リゾットと鰹のコンソメとともに」

それぞれのスタイルに迫るQ&A

Q. 自身のスペシャリテ

「松阪牛フィレ肉 焼リゾットと鰹のコンソメとともに」。三重を代表する松阪牛、鰹節、伊勢茶を使った一皿。和のニュアンスを併せ持つ新しいフランス料理を構築。

Q. 仕事で欠かせないもの

・アイデアなどをメモする赤いノート、 ブルーインクのペン
・ソースをかけるお気に入りのスプーン

Q. 座右の銘

総料理長とは、美味くて、売れて、儲かって、そして作り甲斐のある料理を考えること。(先々代総料理長の言葉)

Q. 女性料理人へのメッセージ

高い志を常に持ち、料理の道を志した時の気持ちをいつまでも持ち続けてほしい。何より「楽しく」仕事に取り組んで。

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【「割烹 智映」元店主 北山 智映さん】愛してやまない魚の魅力を料理という言葉で伝える

・1994年   イギリス・バースの高校に進学
・1999年   南カリフォルニア大学声楽科へ入学。オペラ専攻
        帰国後、料理人を志す
・2008年   銀座「割烹 智映」を開業
 2019年12月 多臓器不全のため永眠 

アメリカの大学でオペラを専攻し、ミュージカル女優を目指していた北山さん。喉を痛め、夢をあきらめざるを得なくなった時、見つけた道が料理だった。「母がレストランや旅館を経営していたので、厨房は私にとって、幼い頃の遊び場であり原風景。なぜ職業として選んだのかを聞かれると説明しづらいのですが、自分の心の底にある大事なものを人に伝えるのに、いちばん適した"言葉"が料理だった」という。23歳でほぼゼロから独学で料理を始める。スタートが遅かった分、周りと同じことをしても追い付けないと考え、自らの強みや特色を考え抜いた末、「魚」「20代の店主」「銀座という場所」を打ち出すことを決め、27歳で銀座に「割烹 智映」をオープン。築地や各地の漁港に足繁く通い、目利きの力や豊富な知識、信頼関係を培った。今では築地で最上級の魚が北山さんの店に集まる。

「魚離れが進む日本の食卓に、もっと魚を届けたいという想いで料理をしています。ゆくゆくは、完全予約制の割烹料理店を併設した魚屋を開きたい。おいしく食べる方法を対面で教えながら魚を販売し、より多くの人に魚の魅力を伝え、日本の食文化を守っていきたい」。

ある日のコースの一品、熟成させた鯛の刺身。店で提供する料理は日替わり。その時期に最も良い状態の魚介を、最も適した調理法で提供する

それぞれのスタイルに迫るQ&A

Q. 自身のスペシャリテ

「香箱蟹」。カニの内子(みそ)、外子(卵)に、ライムのメレンゲを合わせた一皿。

Q. 仕事で欠かせないもの

小出刃、柳包丁、スチールウール

Q. 座右の銘

自然には勝てない。自然に添う。

Q. 女性料理人へのメッセージ

最初は覚悟が必要。そして、続けるために、自分のできること、できないことを知りましょう。

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【料理人 藤木 千夏さん】「原点にあるのは、古き良き日本の食。“一汁多菜”のフランス料理で表現

・2002年 東京調理師専門学校へ入学。在学中にアルバイトで「ホテルオークラ」にて勤務 
・卒業後、「ホテルオークラ福岡」入社
・2009年 渡仏し、複数レストランで修業 帰国後「銀座ロオジエ」などで修業
・2014年 フランス・パリの「Restaurant Sola」スーシェフ就任
・2018年6月 「Restaurant Umi」オープンと同時にシェフ就任 (閉店)

藤木さんの出身地は有明海に面した福岡県の町。両親が共働きで祖父母と過ごす時間が長く、祖母が自ら育てた野菜で作るおいしい手料理を食べて育った。「10代の頃から将来は人の命に関わる職に就きたくて、看護師か料理人になろうと考えていました。ところが高校生の時、看護実習で血を見て倒れてしまい、これは向いていないなと…。そこで、ご飯を食べるのも作るのも大好きな私には、料理の道以外にないと確信し、高校を出て上京し、調理師専門学校に入りました」。「ホテルオークラ」で勤務後、24歳で渡仏。以降、日仏を行き来しながら修業を重ね、パリのフランス料理店「Restaurant Sola」では吉武広樹シェフのもと3年間スーシェフを務めた。今年6月、恵比寿に「Restaurant Umi」をオープン。祖母から受け継いだ昔ながらの一汁多菜の食卓を、フランス料理で表現する。

「シェフになってまだ日が浅く、手探りのことも多いのですが、性別を問わずみんなが働きやすい職場をどうすれば作れるのか、考え続けたいと思います。必要な場面で互いに支え合える関係性を、料理人としてだけでなく、いち人間として築いていきたい」。

島根産白イカに、シトロンキャビアと夏野菜を合わせた一品。松の実のソースと、イカの出汁を煮詰めズッキーニを合わせたエスプーマソースの2種を添えた

それぞれのスタイルに迫るQ&A

Q. 自身のスペシャリテ(思い出の料理)

「ホテルオークラのコンソメスープ」。先輩がていねいに作られたスープを初めて食べた時、感動と激震が走りました。

Q. 仕事で欠かせないもの

包丁、ノート、ペン、心身の健康、情熱

Q. 座右の銘

やるしかない!!!

Q. 女性料理人へのメッセージ

起こるすべてを全力で楽しんで、今を精一杯生きよう!! 以上!!!

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【料理人 桂 有紀乃さん】消去法で見つけたのは、一生をかけて続けたい素敵な仕事

・2005年 株式会社プリンスホテル 「ザ・プリンス パークタワー東京」入社
・2007年 ホテルの西洋料理メインダイニング レストラン「ブリーズヴェール」配属
・2014年 ニューヨークのフレンチレストラン「Bouley(ブーレイ)」にて3ヵ月間研修
・2018年9月 株式会社プリンスホテルを退職。
・2019年 8月 NYの「Bouley at Home」「Bouley Test Kitchen」のR&D(Research and Development)シェフへ就任。
・2022年帰国後、フードデザイン事務所「Forkreator(フォークリエイター)」独立開業。
 商品開発、料理教室、食事会イベントを日本各地で開催中。

料理の道を選んだのは、実は消去法だった。「高校の進路選択の際、時代の変化に左右されない衣食住に関わる仕事がいいなと、漠然と考えました。でも不器用だからミシンは使えないし、大工のように釘も打てない。残ったのが『食』、料理人だったんです」。辛くとも頑張ろうと覚悟を決めて調理師学校へ。ところが、実際に学び始めてみると、料理の世界は想像していた以上に楽しかった。「特に、在学中のオーストラリア研修で視野が広がりました。卒業後にホテルに就職してからも、辞めたいと思ったことは一度もありません」。ホテルで勤める傍ら、ニューヨークのフレンチレストラン「Bouley」のデイヴィット・ブーレイ氏にも師事。日米を行き来しながら、その土地ならではの食の魅力を探求し続けてきた。

この秋、13年間のホテル勤務に区切りを付け、公邸料理人という新たなキャリアへ踏み出す。「女性が仕事として料理を続けていくためのいろいろな選択肢を、私自身が経験して、若い世代に伝えたい。そして、健康への影響など、情報が多すぎて『食べること』を恐れがちな現代だからこそ、みんなが心から食を楽しめるような世の中を作っていくことも、この先の目標です」。

スペシャリテの「アボカドよう」を使ったデザート「アボカドようパンデピス オリーブオイルとカカオのグラサージュ」

それぞれのスタイルに迫るQ&A

Q. 自身のスペシャリテ

「アボカドよう」。沖縄の豆腐ようの発酵原理を応用し、アボカドを長期発酵させたもの。ソースやデザートなどに幅広く使っており、進化を続けている。

Q. 仕事で欠かせないもの

健康な心身

Q. 座右の銘

不安の“ふ”は、 吹き飛ばせ!の“ふ”

Q. 女性料理人へのメッセージ

手を動かすこと、思考を止めないこと、思いやりを持つこと。この3つを持ち続けていれば、幸せを与えられる料理人になれると信じて歩いています。そこに男性、女性の違いはないと思います。

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