それぞれの人生を豊かにした運命的な出会いから十年
――お二人は10年前、ここ「串カツ田中」の創業店で出会い、その後のそれぞれの生き方や事業に少なからず影響を与え合いました。当時の経緯やお気持ちを、お聞かせください。
池田 事故にあって、ある日突然、歩けなくなり、それまで当たり前にできていたことができなくなりました。
それでも、もともと外食も買い物も旅行も大好きだったので、車イスでも出かけられるところはないかとインターネットで探してみました。ところが「バリアフリー」と書いてある店でも、実際に電話をしてみると「ほかのお客様の迷惑になるので」と断られることが多く、とてもショックを受けました。一部の駅ビルやホテル、百貨店など、完全バリアフリーの施設しか受け入れてもらえず、車イスの私が自由に行ける店なんてないのだと思っていたときに、家の近所に開店したのが「串カツ田中」の1号店でした。
私は大阪出身なので、リハビリの行き帰りにお店の前を通るたびに、「串カツ、懐かしいなあ。食べたいなあ」と思っていました。でも、入口には段差があるし、店内も狭そう。しかも、いつも混んでいるので、半ば諦めていたのですが、ある日、勇気を出して家族と行ってみたのです。
貫 ここ(現・世田谷店)は、倒産寸前の時期に出店したため、資金がなくてほとんど手作り。今より簡素で汚かった。でも、おかげさまで大繁盛し、連日満席。周囲は閑静な住宅地でしたが、お客様のなかにはミュージシャンや俳優の方も多く、ワイワイガヤガヤと賑やかでした。
池田さんが来店した日のことは、よく覚えています。2009年のある日、空席が出始めた夜の10時頃でしたか、「車イスでも大丈夫ですか」と聞きそれぞれの人生を豊かにした運命的な出会いから十年にいらしたのが池田さんのご主人でした。それまで様々な飲食店を経営してきましたが、車イスのお客様は1人もいらっしゃらなかったし、車イスを触ったこともなかったので、率直に「どうしたらいいですか?」とお聞きしたのです。
池田 それを聞いたとき、断られなかったことが、まず意外でした。入口に少し段差があったのですが、「こことここを持ってください」とお願いしたら、アルバイトの男性が3人で車イスを持ち上げて入れてくれました。でも、中はやっぱり狭くて、車イスでは通れません。どうしようと思っていたら、貫さんが「車イスを通したいので、一度立ってもらっていいですか」と、お客さんに呼びかけてくれ、みなさん気持ちよく、串カツ片手に立ちあがり、テーブルを動かしてくれました。バリアフリーではない飲食店で、お客として受け入れてもらえたのは、それが初めてでした。
貫 串カツを食べたいと思って来てくれたお客様を断るなんて、とても考えられません。なんとか入ってもらい、串カツを食べてもらうことしか考えていませんでしたから。池田さんはビールもガンガン飲むし、ほかのお客さんと何も変わりませんでした。その日に車イスの扱い方がわかったので、帰り際には「こんなお手伝いでいいなら、いつでも来てね」と声をかけました。
池田 そう言われて気づいたのが、段差があっても通路が狭くても、お店の人にウェルカムな気持ちさえあれば、車イスでも居心地よく快適に過ごせるということ。つまり“心のバリアフリー”が大切だと感じたんです。この日の楽しい経験がきっかけで、世田谷店には週に1~2回通うようになりました。1人で行くこともありましたね。