人生で大切なことは、すべて厨房で学んだ
一流料理人たちが真剣勝負の料理バトルを繰り広げ、一世を風靡(ふうび)したテレビ番組「料理の鉄人」は、料理人をスターにし、その社会的地位を向上させた。当時は、この番組を見て、出演者のようにかっこいい料理人になりたいと思う若者も多かった。2代目フレンチの鉄人、坂井宏行氏も、番組を通してそんなスター料理人の一人になった。ムッシュと言うニックネームで多くのファンから愛された坂井氏を師匠に持つ工藤敏之氏は、自分はとても幸せ者だと語る。現在は、坂井氏の店「ラ・ロシェル」グループのエグゼクティブシェフを務め、自身もテレビに出演する人気シェフだ。今回は工藤シェフに、坂井氏との深い絆を、ラ・ロシェルへの熱い思いを、語っていただいた。
坂井宏行シェフと働くのは、きっと僕の運命だった
僕がムッシュ(ラ・ロシェルのスタッフは皆、坂井氏をムッシュ、工藤氏をシェフと呼ぶ)と初めて会ったのは27歳の時。当時は、青山の小原会館の地下にラ・ロシェルはあったのですが、ムッシュと面識のあった知人に連れて行ってもらったんです。
その時が初対面だったのに、ムッシュは「俺と一緒にここで働かないか」と突然、声をかけてきた。びっくりしましたが、とてもうれしかったです。その時、勤めていたファミリーレストランを辞めたばかりだったので、フレンチに憧れていた私には大チャンスだったのですが、次の就職先をすでに決めていたこともあって、その時は断りました。でもムッシュは「もし、そこを辞めるときが来たら、他へは行かずに俺のところへ来い」と言ってくれたのです。
初対面の僕のどこを見て、誘ってくれたのだろうと不思議に思っていたのですが、後で聞いたら「目が良かった。キラキラしていて、嘘のない目だった」と言われました。運命だったのでしょうか。結局、その3カ月後には僕はムッシュの下で働いていました。
ラ・ロシェルというブランドを未来につなげていきたい
当時の店は、30席くらいの小さな店で、6畳くらいの厨房でムッシュの料理を目の前で見て、肌で感じた。エネルギッシュで、ブルドーザーのような人ですから、ついていくだけで大変。それはもう必死にしがみついて学びました。
ムッシュは仕事には厳しかったですが、とても面倒見のいいやさしい師匠でもありました。スタッフの誕生日をお祝いしてくれたり、休みの日にバーベキューに誘ってくれたり、仕事終わりにラーメンをごちそうしてくれたり、これほどスタッフを大事にしてくれる料理人は、他にあまり知りません。当時は、スパルタ式は当たり前で、体罰も許される雰囲気が残っていた時代ですから。
ムッシュは、僕たちスタッフに対して、体罰はもちろん声を荒げることさえありませんでした。「楽しんで働くことは大切。余裕がないといい料理はできない」とよく言っていました。料理人の修業は、たいてい掃除や皿洗いなど雑務を担当する「追い回し」と呼ばれるポジションからスタートします。これは日本料理の習慣ですが、フレンチも似たようなものでした。でも、ムッシュは僕に最初から料理をさせてくれた。僕が特別なのではなくて、料理人を目指す新人に雑務ばかり強いるようなことはしない。
いつだったかムッシュが僕に「業界の古い慣習は自分たちが変えよう。それをラ・ロシェルから発信していこう」と言ったことがあります。週休2日制も飲食店としてはかなり早い時期に取り入れました。こうした考え方は、私をはじめ今のスタッフは全員引き継いでいます。「怒らない」「話を相手の目線でよく聞く」というムッシュのスタイルは、ラ・ロシェルのスタイルになりました。
「レストランはチームワーク。全員が一つのチームとしてまとまらなければやっていけない。全員が戦力になってもらうためには、他人を威圧して従わせるのではなく、本人が心の底から楽しいと思ってついてくる、そのようにしなければならないのです」というのは、ムッシュがあるインタビューで語っていた言葉です。
こんなムッシュの店だから、ラ・ロシェルには後継者問題がない。スタッフはみな店を愛し、ムッシュを愛しています。僕の役割は、こうしたムッシュの考え方やスタイルを次世代へつなげ、ラ・ロシェルというブランドを未来へつなげていくことだと思っています。
ムッシュは、他にも新しいことにいろいろチャレンジしています。いろんな意味でこの業界のパイオニアです。レストランウエディングを始めたのも、まだどこもやってない頃。小原会館の小さい店から、渋谷の200坪を超える大きな店に引っ越すのですが、その店を使って、ウエディングをやろうと考えたのです。当時は石鍋裕さんのクイーンアリスとうちぐらいだったのではないでしょうか。
今では、結婚式場やゴルフ場などを相手にコンサルティングビジネスも行っています。飲食店の枠を超えた新しいことにチャレンジができるのも、ラ・ロシェルのスタイルの一つなのだと思います。ムッシュが作ってくれた道を、僕はどんどん伸ばしていきたい。次世代につなげていきたい。ムッシュの生み出した新しい飲食ビジネスのスタイルを後世に残していきたい、そう思います。
僕は、世界一幸せなコックさんになりました
僕の料理人人生で2度ほど、お食事の後にお客様が感動で泣いたという経験があります。僕はムッシュから学んだことをしただけなのですが、ムッシュは「お前の料理だからだよ。俺は何もしていない」と言うんです。「俺の料理で泣いたお客様はまだいない。お前はすごい」とも。
僕はムッシュからレシピを教えてもらったことはありません。それは料理において、レシピ通りに作ることが一番大切なことではないからです。
ムッシュは、同時に何組のお客様がいても、同じ料理は出しません。それぞれのお客様の様子を見て、この人はあまりいっぱい食べられないかもなどと考えながら、メニューの構成やレシピを変えていく。大切なのはそのお客様に喜んでもらうことなのです。ムッシュが味だけでなく見た目にもこだわるのは、お客様に喜んで欲しいから。きれいな料理はお客様を感動させます。つまり、僕はムッシュに教わった通りに、お客様を喜ばせようとしただけ。それなのに、あの言葉です。ムッシュのやさしさです。
先日、ムッシュがやっているユーチューブチャンネルの撮影を手伝ったのですが、そのときもありがとうと何度も言ってくれた。師匠を手伝うのは弟子にとっては当たり前のこと。感謝の言葉など期待していませんでした。自分のことより、人のことを考え、常に感謝を表現するムッシュの姿勢は、僕に人生の大切なことを教えてくれました。
僕は、調理師専門学校などで教壇に立つことがあります。そんな時に生徒によく言うのが、料理人はどんな師匠に会うかで人生が左右されるということ。その点、僕はとても幸運だった。ムッシュは料理の師匠というだけでなく、人生の師匠です。公私にわたって、本当にお世話になった恩人でもあります。これからの僕の人生は、ムッシュへの恩返し。ムッシュの理想を、ラ・ロシェルの価値を、未来へつないでいこうと思います。
4人兄弟の3番目だった僕は、よく母親の手伝いをして台所にも立っていた。ある日、母親から「お前は大きくなったら、コックさんになるといい」と言われたことがあります。お母さん、僕はコックさんになりました。ただのコックさんではありません。いい師匠といい仲間に恵まれた、世界一幸せなコックさんです。
取材協力:「ラ・ロシェル 山王」 エグゼクティブシェフ 工藤敏之氏
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東京都千代田区永田町2-10-3東急キャピトルタワー1F
03-3500-1031
※株式会社テンポスホールディングス刊「スマイラー」91号より転載
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