コロナ禍が後押しした身を切る改革。九州ナンバーワン企業を目指して~株式会社Be BLOOM 代表取締役社長 物袋 栄一 氏~

10代で鹿児島から大阪へ行き、コズミックでの修業を経て福岡で独立した株式会社Be BLOOM 代表の物袋氏。「コロナ禍があったから会社は生まれ変わった」と笑う彼に、これまでの歩みと、コロナ禍での改革を聞いた。

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目次
16歳で鹿児島から大阪へ。コズミックで修業を重ねる
福岡で独立・起業。本場の九州料理や九州の食文化を発信
コロナ禍が後押しした身を切る改革
九州ナンバーワン企業、そしてテーマパーク建設を夢見て
「リーダー×一問一答」&「COMPANY DATA」

飲食業のノウハウを生かして、将来は九州を世界に発信するテーマパークを作りたい

 九州7県で「かこみ庵」「あや鶏」「八州」など、九州の料理を売りにした居酒屋をメインに展開する株式会社Be BLOOM。代表取締役社長の物袋(もって)栄一氏は、地元九州の魅力を発信すべく、福岡で起業し九州料理の居酒屋を立ち上げた人物。

 「九州活性化の未来のために」を会社のポリシーとして順調に成長していったが、コロナ禍に襲われて「会社が3カ月もたない」というところまで追い詰められた。しかし、そこで身を切る改革を断行し、今では「コロナ禍があってよかった」と捉えるようになったという。そんな彼の歩みとコロナ禍での改革、これから見据える会社と自身の未来について聞いた。

――若くして故郷の鹿児島・指宿から大阪に出たそうですね。飲食業を志した理由は?

 16歳のとき、先輩に誘われてあてもなく大阪に出ました。日雇い仕事で食いつなぎ、営業職についた後、電気工事会社に就職。そこで気の合う同郷の同僚と、よく居酒屋に行くようになったんです。その飲みの席で将来の話で盛り上がり「いつか2人で独立しよう!」と。そのとき、居酒屋で語り合うことが楽しかったこともあり、独立するなら居酒屋がいいと考えるようになりました。

 それでも当時は「飲食業=水商売」と思っていて、一生の仕事にするイメージはなかったのですが、「とにかく一度やってみよう!」というノリでした。当時は自宅アパートの台所でメニュー開発をしたりしていました。

 この夢を実現するために、ぼくは経営を、同僚は料理をそれぞれ学び、3年後に合流して起業すると決めました。ぼくはすぐに会社を辞め、飲食店の経営を学べそうな有限会社コズミック・セカンド・ダイニング(現・株式会社コズミックダイナー。以下、コズミック)に就職。入社直後から「半年で店長になります」と周囲に公言し、年下のアルバイトに叱られながら貪欲に仕事を覚えました。半年後、当時の店長が異動になったタイミングで店長に立候補したら、社長が認めてくれました。

1983年、鹿児島県指宿市生まれ。16歳から大阪でさまざまな職業を経験したのち、25歳のとき飲食業を志し有限会社コズミック・セカンド・ダイニング(現・株式会社コズミックダイナー)に入社。店長、マネージャー、執行役員などを経て、2013年30歳で独立。福岡で株式会社Be BLOOMを設立し、九州7県を拠点に48店舗を展開。

 その後、別の売上不振店の立て直しも任され、1年で目標を達成。大阪・梅田の客単価5,000円くらいのイタリアンだったのですが、梅田の客層に合わせて客単価を3000円台に下がるようにメニュー改定などをするとともに、結婚式の二次会にも注力。さらに、どんなサービスが集客につながるのかを探るために、店頭に立って声掛けを始めました。そこで反応がよかったのが「2,000円で朝までエンドレスで飲み放題OK」というアピール。終電を逃した人がどんどん来店してくれ、繁盛しました。

 しかし、成功ばかりではありませんでした。その後に意気揚々と企画したのが、BBQなど屋外の飲食体験を店内で楽しめる新業態だったのですが、これがうまくいきませんでした。今でも面白い業態だと思うのですが、当時のぼくには、この業態を成功に導くだけのマーケティング力や販促ノウハウがなかったんだと思います。

 その失敗の経験を生かして企画した夜景を売りにした新業態は大成功。どの席からも大阪の夜景が楽しめるカジュアルな店で、当時は夜景といえば客単価1万円超の高級店しかない中で、客単価4,000~5,000円で若いカップルでも使いやすい店を作ることで、月商1,000万円を超える人気店になりました。

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――しっかりと経験を積んで、2013年に福岡・博多で独立します。

 コズミックでの仕事が面白く、学びたいことがたくさんあったので、15業態15店舗の出店に携わり、30歳まで勉強させてもらい、最終的には執行役員にまでなりました。そのころ、昔から描いていた「起業したい」という思いに立ち返り、独立しようと考えたんです。ちなみに、以前起業を約束した同僚は一向に料理の修業を始めなかったので、一人で起業することにしました。

 独立するにあたり福岡を選んだのは、九州を拠点に「本場の九州料理や九州の食文化」を発信する店を作りたかったから。また、ぼくがコズミックの社長に出会って道を見つけられたように、何者かになりたいけれど何にも出会えていない九州の若者が夢を見られる場所を作りたい、という気持ちもありました。

 自社ブランド1号店は、2013年12月オープンの「かこみ庵」(福岡・博多)です。「新和風九州料理」をコンセプトにした業態でしたが、「九州で九州料理を出してどうする!誰が来んねん?」と周囲は大反対。実績もデータもなかったので不安がなかったわけではありませんが、ふたを開けたら12月のオープン初月から大盛況で売上800万円を達成。客単価3,500~4,000円ですが、若者から中高年、地元住民、観光客などを獲得しました。

福岡・博多で2013年12月に1号店をオープンし、九州各県に展開中の「かこみ庵」。九州各県の名物料理を厳選してメニュー構成しており、完全個室も売りになっている

 印象的だったのはお客様から「チキン南蛮ってこんなにおいしかったんだ!」といった声をいただいたこと。九州は広いし、県が違えば料理も異なるので、九州の人でも意外に地元の食文化の良さに気が付いてないんだとわかって、“九州料理の再発見と食文化の発信”というコンセプトに手応えを感じました。

 その後も、客単価3,000円の鶏料理専門居酒屋「あや鶏」、同4,000円くらいの九州和食「八州」を中心に、串と煮込み「門限やぶり」などを九州7県で展開。そのほか、黒豚しゃぶしゃぶと溶岩焼きが名物の鹿児島郷土料理「くろ屋」、もつ鍋とごま鯖が名物の博多郷土料理「しろ屋」など、各県の郷土料理を集め、県のイメージカラーを店名に冠した業態も開発。1年間で10店舗以上出店したこともありました。

主力ブランドの一つ「八州」。九州で作られた豊かな食材を使用した和食料理が楽しめる

 全てがうまくいったわけではありませんが、「九州料理を楽しむ」「県外の友人を連れていきたくなる」店に成長し、2018年の年商は33億円。山口県も入れて50店舗に成長していました。

――そんな中、コロナ禍に入りましたが、どのように乗り越えたのでしょう?

 当然、大きな影響を受けました。2020年と2021年で10店舗を閉店し、業態変更も行いました。2020年4月の最初の緊急事態宣言のときは、正直、倒産も頭をよぎりました。

 ただ、当社の業績不振はコロナ禍の前にすでに始まっていました。不振の原因の1つは、急速に成長したゆえの歪みです。人が十分に育っていない中で次々と出店したことで、現場が疲弊。教育しようにも有効な方法がわからず、現場の勘だけで進もうとするので、矛盾が広がる。加えて、ぼくの目標の一つが「正しい会社にすること」だったので、働き方を適正にしようとすると、限られた時間で膨大な業務を処理しないといけない負荷が現場にかかり、逆に不満につながるといった悪循環も生まれていました。

 それでも、業績が決定的に悪いわけではなかったので、改革の心構えと準備をしながら、少しずつ対策を始めたのが2019年。2020年の年初には立て直しの道筋が見えていたのですが、そこにコロナ禍が襲ってきました。売上が取れず、キャッシュがどんどん減って、「あと3カ月持たない」と覚悟したものです。

 そこから思い切った改革に着手しました。「少しずつ」などと言っていられないので、希望退職を募って人員を減らし、閉めるべき店を閉め、徹底的なコストカットを断行しました。ヒト・モノ・カネを大胆に見直して、2020年のうちに経営をスリム化して、機動性を取り戻しました。

 さらに、2021年には補助金や協力金を得て、コロナ禍でも売上が取れるポートフォリオを構築。テイクアウト、デリバリーのほか、「とろーり天使のわらびもち」のFC店舗を出店し、出店という会社としての前向きな姿勢を示すことで社員のモチベーションアップと業績回復に努めました。

 これらが実を結び、2022年には人も組織も大きく変わって、新生「Be BLOOM」が始動。同年6月、コロナ禍以降はじめて居酒屋の新業態「馬かもん熊本屋台村店」(熊本市)をオープンしました。観光客も地元客も取れるようなアルコール業態で、当社の新しいスタートを象徴するような店です。

――以降、新業態を次々に繰り出しています。今後の目標と展望を教えてください。

 振り返ってみると、ぼくらにとってコロナ禍は最高のタイミングの災厄だったと言えます。やらなくてはいけなかった改革を、コロナ禍という危機が後押しをしてくれたからです。スタッフも自主的・能動的になり、コスト意識が向上して数字に強くなりました。

 2023年6月には「宮地鮮屋」という新ブランドを宮崎市でスタート。24時間営業の浜焼きと地鶏の店ですが、創業以来初めて、ぼくが全く関与せずにスタッフだけで立ち上げたブランドです。24時間営業なんて時代に逆行しているようですが、かなり繁盛しています。しかも、「夜だけ働きたい」「朝なら働ける」という声が多く、雇用機会の創出にもつながって地域経済に貢献できることも発見しました。それなら、県に1つくらいは24時間営業の店があってもいいでしょう。

2023年6月に宮崎に出店した新業態「宮地鮮屋」。24時間営業で雇用機会の創出にもつながっている
  • 「宮地鮮屋」の人気メニューの一つ「超豪華鮮魚舟盛り」(1,980円)
  • 市場直送の新鮮魚介を炭火で焼きあげる「浜焼き」も、素材の味が楽しめると好評

 夢は九州のナンバーワン企業になること。飲食業界の中ではなく、文字通り、あらゆる業種を含めた中でのナンバーワンです。3年で1.5倍の成長を追求し、ぼくが90歳の時にそれが達成できている計算です。そのためには、食品製造に進出し、日本全国はもちろん世界にも繰り出したいです。

 さらに長期的な野望としては、九州を世界に発信する“九州のテーマパーク”を作りたい。飲食業はいろいろな業界と関わりがあるとともに、企画力、コミュニケーション力、マーケティング力など幅広い技量が育ち、製造業から販売に至るまであらゆる要素が詰まっています。この集団でできないことは何もありません。

 これからのぼくの役割は、こうした夢を語ること。ここ数年、数字や労務のことばかりで、夢を語ってきませんでした。社長であるなら、夢を語ることを忘れてはいけないと、ある人に教わりました。人も育ってきているので、大いに夢を語ってみんなで実現していきたいと思っています。

リーダー×一問一答

■経営者として一番大切にしていること
夢を見続ける事、夢を語り続ける事、夢を実現させ続けること

■愛読の雑誌や書籍、Webサイト
「外食日報」「フードリンクニュース」「FOOD FUN!

■日課、習慣
毎日の日報・売上・口コミ確認

■今一番興味があること
自社の可能性

■座右の銘
今やらないつやる?お前がやらないで誰がやる?

■尊敬している人
成長をし続けている全ての方々と子育てを立派にされてきた全ての方々

■最近、注目している店舗・業態
物語コーポレーションさんのカフェ、ラーメン餃子、カルビ丼などの新業態店舗。
「焼肉きんぐ」さんのように激戦区マーケットに後発で入り込んで成長させていく物語さんの経営スタイルが非常に興味深いです。

■COMPANY DATA
株式会社 Be BLOOM
福岡県福岡市中央区舞鶴1-4-31 舞鶴コーポラス2F
https://bebloom.co.jp/
設立:2013年
ブランド・店舗数:16業態・47店舗
従業員数:約1,005人(社員114人)

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